弊社でも、弊社なりに被災地復興策が検討されているんですが、
その策を誰が実行するのか、ということで議論になるお粗末ぶり・・・。
担当では、「オレたち、現地に行かされるのかなぁ・・」という話題が挙がる。
私を含め、派遣されることに全く抵抗のない者もいるにはいるが、
「オマエ行けよ」「イヤイヤ、俺にはまだ家族計画が・・・」とか、
ヘラヘラデカい声で話しているバカモノが担当部長含めて多数おり、
そんな彼らに心の中でここでは書けない不謹慎な罵声を浴びせている私です。
まぁ、こんなご自分主義なアホウを派遣されても、被災地の方々の迷惑になるだけでしょうから、
別にいいんですけどね。。。
そんな私の癒しは、気の合う人との会話、睡眠、NHK(登坂アナも支援登板!)、
そして音楽、ですね。
計画停電が夕方に予定されていた昨日一昨日は、ライブに行って募金をしてきた。
・・・と書くとものすごい善人みたいですので正直に書くと、
募金しつつ、音楽を楽しませていただいて、元気をもらってきた。
昨日、地元駅についてのは0時過ぎ。
家に足りてない物資は特にはないのだが、数日前にスーパーに行ったら
報道されているとおり何にもなかったので、その数日後の姿が
どう変わっている(or変わっていない)か、確認してきた。
先日なかったもの:
トイレットペーパー、ティッシュ、おむつ、生理用品、米、乾電池
水ペット、お茶ペット、カップ麺、パスタ、醤油(高いの以外)、牛乳、粉ミルク
数日前、これらのコーナーは、文字通り空っぽ。何の商品も陳列されていなかった。
まさに、異常事態。
で、昨日の深夜に寄ったスーパーの状態。
相変わらず、上の段に記載したもの(ペーパー類、米、乾電池)は、なかった。
牛乳、粉ミルクは自分的に全く必要なかったのでチェックし忘れたが、
水ペット、お茶ペット、カップ麺、パスタ、醤油は、一部数の少ないのは
あったものの、全て復活。
ラスト1本だけ残ってたご愛用の「サントリー天然水」を買ってきた。
これはラス1だったが、キリンの水はまだ沢山並んでた。
パスタも、一部麺は品薄だったが、ショートパスタは潤沢且つ“生活応援価格”で
ご提供。ちょうど家になかったので、2種類ご購入。
卵の売り場には、ダース売りのもの少しと、たくさんの「ヨード卵・光」が並んでた。
ここぞとばかりに、誰かへの見せしめのように(誰もいないんだけど)、
「ヨード卵」買ってやったわよ!!
どうじゃ!!
このペースだと、3連休中には何事もなかったかのように普通の営業に戻るんじゃないかしら。
その様子を見て、そもそもこの状況を作った買い溜め民族たちはどう思うんだろう?
買い溜めした自らの行為を恥じるのか、フツウに「あーヨカッタ♪」と安堵するのか・・・。
もちろん、ひとり暮らしの私と、家族もちの方とでは、モノの消費のペースが
全然違うし、その分、こういう事態における緊張感や切迫感も違うんだと思う。
でも・・・・・。
・・・・・・・・・・何かやりきれないのは、私の理想主義ゆえなんだろうか。
私も日々たくさん笑ってるし、「あーヨカッタ♪」って思うことだっていっぱいある。
正直、今日計画停電がなくなったことも、大変嬉しい。
でも、昼間っからキャッピキャピのバラエティ番組を放送しながらも、
いまだL字型枠での震災関連情報が取れていないテレビ放送のように、
・・・ていう例えが適切かやや不安だが、
ココロの隅っこ・・よりももっと大きな割合で、被災地の方々に想いを馳せ、
自分の状況に申し訳ない気持ちになる。
意識してそうなる、というよりは、条件反射のように、そうなる。
で、そう思うことが、復興への原動力になるような気がするんだ。
自分の周りの環境が正常化していくことを望み、喜ぶのは、
ある意味当たり前で仕方がないこと。
キモは、自分の環境が満たされたとき、全体「ハイこれで終了~」って思わないで、
「じゃ、今度は自分以外の方々を満たせるようにならなきゃ」って思うことだと思う。
それが、必ずしも現地派遣ではないとも思うけど、気持ちは震災地に向けて欲しい。
向けていたい。
ウソでも冗談でも、・・例え本音でも、
「あんなトコ行きたくないッスよぉ~~」なんて、聞きたくない。
テレビやTwitterを見ていたら、たくさんのアスリートや有名人が、
「自分にできることは何なのか考えたい」「自分に何ができるだろう」と
考えてくださっている。
一瞬、「誰も解持ってないンかいっ!」とツッコミたくもなるくらい、
皆さん異口同音に仰ってる。
それが、新たなmovementへの序章・助走なんだと私は思う。
これからみんなが自分にできることを考え、自分なりに実行する。
すでにそれをやって、実行に移してる人々だって、いる。
正解なんて、ない。
でも、すべてが正解になることだって、あると思うんだ。
その策を誰が実行するのか、ということで議論になるお粗末ぶり・・・。
担当では、「オレたち、現地に行かされるのかなぁ・・」という話題が挙がる。
私を含め、派遣されることに全く抵抗のない者もいるにはいるが、
「オマエ行けよ」「イヤイヤ、俺にはまだ家族計画が・・・」とか、
ヘラヘラデカい声で話しているバカモノが担当部長含めて多数おり、
そんな彼らに心の中でここでは書けない不謹慎な罵声を浴びせている私です。
まぁ、こんなご自分主義なアホウを派遣されても、被災地の方々の迷惑になるだけでしょうから、
別にいいんですけどね。。。
そんな私の癒しは、気の合う人との会話、睡眠、NHK(登坂アナも支援登板!)、
そして音楽、ですね。
計画停電が夕方に予定されていた昨日一昨日は、ライブに行って募金をしてきた。
・・・と書くとものすごい善人みたいですので正直に書くと、
募金しつつ、音楽を楽しませていただいて、元気をもらってきた。
昨日、地元駅についてのは0時過ぎ。
家に足りてない物資は特にはないのだが、数日前にスーパーに行ったら
報道されているとおり何にもなかったので、その数日後の姿が
どう変わっている(or変わっていない)か、確認してきた。
先日なかったもの:
トイレットペーパー、ティッシュ、おむつ、生理用品、米、乾電池
水ペット、お茶ペット、カップ麺、パスタ、醤油(高いの以外)、牛乳、粉ミルク
数日前、これらのコーナーは、文字通り空っぽ。何の商品も陳列されていなかった。
まさに、異常事態。
で、昨日の深夜に寄ったスーパーの状態。
相変わらず、上の段に記載したもの(ペーパー類、米、乾電池)は、なかった。
牛乳、粉ミルクは自分的に全く必要なかったのでチェックし忘れたが、
水ペット、お茶ペット、カップ麺、パスタ、醤油は、一部数の少ないのは
あったものの、全て復活。
ラスト1本だけ残ってたご愛用の「サントリー天然水」を買ってきた。
これはラス1だったが、キリンの水はまだ沢山並んでた。
パスタも、一部麺は品薄だったが、ショートパスタは潤沢且つ“生活応援価格”で
ご提供。ちょうど家になかったので、2種類ご購入。
卵の売り場には、ダース売りのもの少しと、たくさんの「ヨード卵・光」が並んでた。
ここぞとばかりに、誰かへの見せしめのように(誰もいないんだけど)、
「ヨード卵」買ってやったわよ!!
どうじゃ!!
このペースだと、3連休中には何事もなかったかのように普通の営業に戻るんじゃないかしら。
その様子を見て、そもそもこの状況を作った買い溜め民族たちはどう思うんだろう?
買い溜めした自らの行為を恥じるのか、フツウに「あーヨカッタ♪」と安堵するのか・・・。
もちろん、ひとり暮らしの私と、家族もちの方とでは、モノの消費のペースが
全然違うし、その分、こういう事態における緊張感や切迫感も違うんだと思う。
でも・・・・・。
・・・・・・・・・・何かやりきれないのは、私の理想主義ゆえなんだろうか。
私も日々たくさん笑ってるし、「あーヨカッタ♪」って思うことだっていっぱいある。
正直、今日計画停電がなくなったことも、大変嬉しい。
でも、昼間っからキャッピキャピのバラエティ番組を放送しながらも、
いまだL字型枠での震災関連情報が取れていないテレビ放送のように、
・・・ていう例えが適切かやや不安だが、
ココロの隅っこ・・よりももっと大きな割合で、被災地の方々に想いを馳せ、
自分の状況に申し訳ない気持ちになる。
意識してそうなる、というよりは、条件反射のように、そうなる。
で、そう思うことが、復興への原動力になるような気がするんだ。
自分の周りの環境が正常化していくことを望み、喜ぶのは、
ある意味当たり前で仕方がないこと。
キモは、自分の環境が満たされたとき、全体「ハイこれで終了~」って思わないで、
「じゃ、今度は自分以外の方々を満たせるようにならなきゃ」って思うことだと思う。
それが、必ずしも現地派遣ではないとも思うけど、気持ちは震災地に向けて欲しい。
向けていたい。
ウソでも冗談でも、・・例え本音でも、
「あんなトコ行きたくないッスよぉ~~」なんて、聞きたくない。
テレビやTwitterを見ていたら、たくさんのアスリートや有名人が、
「自分にできることは何なのか考えたい」「自分に何ができるだろう」と
考えてくださっている。
一瞬、「誰も解持ってないンかいっ!」とツッコミたくもなるくらい、
皆さん異口同音に仰ってる。
それが、新たなmovementへの序章・助走なんだと私は思う。
これからみんなが自分にできることを考え、自分なりに実行する。
すでにそれをやって、実行に移してる人々だって、いる。
正解なんて、ない。
でも、すべてが正解になることだって、あると思うんだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます