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みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

さらば2006

2006-12-31 23:54:52 | ちょっと論じる
ようやく、年末モードです。
さきほど、例年よりはやや早めに年賀状を送り終え、
 独自ルールとして、前年中に手元を離れればセーフとしています。
  昨年は、0時ギリギリに自宅目の前のポストに投函・・・。
両親とともに紅白歌合戦を見るともなく見て、
「おぉ、年末だ・・・」、と実感しております。


夕方のドライブ中、そして、いまこの時間、
ボケッとしながら今年1年を振り返ってみました。
総じて、前年よりも「ガンバル」ってことをサボってしまったような気がします。
それが、反省点。
反省したんだから、来年はしっかりと「ガンバル」をしよう。

・・・書いたからな。
チャンとしろよ、ワタシ。


で、突然ですが、今年の私の重大トピックス。
良し悪しの順位はつけませんが、印象に挙がった順です。


さらば初台。2月から品川へ異動。 [2/1]
 5年弱の年月を過ごした初台を離れ、品川の支店へ異動。
 寂しさよりも、自分の中でもステップアップな気持ちで臨めた異動でした。
 (しかし、異動後は思ったよりもホネが折れた・・・。)
 初台の皆さんとは、異動後も公私で接点があることが、嬉しい昨今。

(異動発令に伴い)セルフプロデュース送別会。 [1/27]
 偉大なるMYKONOSさんのご協力で、20名ほどの同僚に参加いただき、
 自分の送別会を自分で主催。
 すっごく楽しくて、大満足でした!

(セルフプロデュース第2弾)セルフプロデュース誕生会。[10/13]
 大好きなwoodbellさんちで
 私の大切な、大学時代の悪友さんたちに集まってもらって、
 私の誕生会を主催いたしました。
 面白いプレゼントに、可愛いケーキ、どうもありがとう。

これからも、常連です。「新生神戸館」・『woodbell』開店。[4月]
 品川勤務になってから、寄ることが少なくなってしまったとはいえ、
 今では私にとっての「トウキョウの家族」とも言える存在。
 とってもとっても素敵なお店となって復活いただけたこと、感謝です。
 これからもこれからも、ヨロシクお願いしま~す☆

ン年の年月を超えて、カナダメイツとの再会。[11/5]
 mixiで、ネット上の再会を果たしていた、カナダ時代の日本人の友人と
 最大20年ぶりの再会!!
 小学校時代と比べて、オトナになっていたものの(←当たり前)、
 話せば話すほど、受ける印象はあの頃のまま。
 これを機会に、再び深い交流を育んでいきたいと思います。
 ヨロシクね!
 (ちなみに、年明けにもまた新たな再会があります☆)

ひとの命の大切さを再実感。
 今年は、歳の近い方の「親」が亡くなるということを
 2回経験しました。
 同時に、殺伐した事件のニュースを、再三目の当たりにさせられました。
 そのたびに、命のたいせつさ、近しい人のたいせつさ、というものを
 実感させられました。
 「かけがえのない」というのは、こういうものを指すんですよね。
 私から広く万民に訴え、理解を得ることは難しいですが、
 少なくとも、自分の中のこの気持ちは、失わないようにしていきたい。

同期の結婚・出産。
 今年は(も)、たくさんの同期が結婚、または出産されました。
 第2児出産も当たり前ぇ~~。
 みんな立派になってるねぇ。
 私も見習いなさい(←他人口調)。

多くは語りませんが、反省&懺悔。
 ストーカーはコワイっす。はい。

自分へのご褒美シリーズ。
 ホテルに腕時計! 自分にオツカレサン!!
 
 
ライブたくさん、ありがとう。
 今年も、Mamiちんブラピ、織川さん、阿佐ヶ谷BOYS(←勝手に命名)wash?など、
 楽しいライブを楽しませていただきました。
 ストレス発散!!どうもありがとう。
 来年も、たくさんたくさん楽しませていただきますヨン☆

たくさん飲みました。
 4バカ、同期・同僚、古い友人、新しい友人、
 woodbellにMYKONOS様、 みんなみんなありがとう。
 酒が美味かったゼ!!



SMAPさんの歌じゃないけど、
いろんな方に、心から「ありがとう」

来年も、よろしくね☆



フト気づいたんですが、
今年のモットーは、『淑女たれ!』としていました。
・・・・・・全然淑女してない・・・。

来年こそ、淑女たります。
見てろよぉ~~~~!!

 




写真は、実家のベランダから見えた、2006年最後の日の入りです。
左側に、少~しだけ富士山が見えています。ちょっと感慨。


「亡くす」こと。

2006-11-20 23:59:17 | ちょっと論じる
仕事を定時であがらせていただき、お通夜に行って来ました。
同期のお父様が、先週末急逝されたのです。
前日まで普通に元気にされていたのに、突然・・・だそうです。

小学生のときに父方の祖父が亡くなって以来、
しばらくお葬式関連と関わることがなかった私ですが、
やはり会社に入った頃から、知人の親御様や、友人、恩師、
母方の祖父、と、それなりに様々な「お別れ」を見てきました。
が、「ある日突然」、最愛の存在が亡くなるという事態は
かなり数年ぶりであり、ショッキングだった。

もちろん、長患いをしていた人(例えば、私の祖父)を亡くすことも
十二分に淋しく悲しく、優劣をつけるような比較対象にはなり得ないが、
それでも、予期しない別れというのは、やはり格別の衝撃を伴うものだと
思われる。

今回お父様を亡くした我が同期も、第一報を受けた共通の先輩いわく、
「落ち込みようがすごい。あいつ、立ち直れるか心配だ」とのことだった。
いつも笑顔で冗談ばかり言ってる、明るいキャラの女性だったので、
落ち込んでいる姿というのが想像しがたく、それだけに、よほどの
落ち込みようなのだと推察された。

だがしかし、お通夜の場で偶然話す機会があった彼女は、
非常に落ち着いていて、5歳になるお子さんをあやしながら、
「この前(父親と)七五三したんだけど・・・」と、淡々と話していた。
聞いていた様子と随分違うことに、一瞬戸惑ったが、お通夜の会場で
泣き崩れているお母様とおぼしき方の姿を思い出すと、
彼女が立場的に冷静にならざるを得なくなったように思われ、
その健気さにかけるコトバが見つからなくなった。
多分、いまのバタバタが過ぎ去った頃、彼女はまた落ち込んでしまうのでは
ないだろうか。


自他共に認めるマザコンの私。
今回のように、自分に歳の近い方が父親(または母親)を亡くすという事態に
直面すると、「いつか私の親も・・・」という想像がはたらいてしまうが、
その想像を自らかき消したくなるくらい、考えたくない事態だし、
できれば永遠そんなことは自分に起こって欲しくないと思っている。
ただ同時に、同年代の友人を亡くしたときの、ご両親の姿を見たときから、
「親より先に死んではいけない」という、さだまさしさんの曲にも
歌われていることを信条とするようにもなった。
我が子を失った親の姿ほど、見るに耐えないものは、ない。
やや感情的に矛盾しているが、そういう意味では、やはり親には先に
逝ってもらうつもり・・・というか、常に、親を亡くす覚悟をしている
と同時に、その恐怖におびえているところはある。


こんなことを思うのは、決して私だけではなく、
どこの誰であろうと、「親」を亡くすことも、「子」を亡くすことも、
例え話にも挙げたくないくらい、あって欲しくないことだし、
あったときには耐え難いことだと思う。

昨今の、自殺騒動ってのは、何なのかね。
歪んだ報道が、変に煽る作用をしている感がなくはないが、
それを差し引いても、オトナもコドモも、簡単に命を絶ちすぎだと思う。
近しい人に先立たれ、悲しんでいる方の姿を見たり、
目にしなかったとしてもその悲しみを想像するだけでも、
そんな思いを自分の身の回りの方に、敢えてさせたいと思うだろうか?

「亡くす」ことってのは、「悲しい」とか、「淋しい」とか、「つらい」
なんてコトバで簡単に表せないくらい、壮絶で痛烈な感情を伴うんだと思う。
それも、刹那的なものではなく、ともすれば、一生続くほどの・・・。

事件・事故・病気という、一種不可避なもので「亡くし」ても、
どないもしようないくらいつらいんだ。
それを、自らヤッチマオウなんて気持ちは、この世から消し去って欲しいな。



ちょっと論点がズレてしまいましたが、ひとつの命がなくなるの場に
接するたびに、命の尊さ・大切さを、本当に、心の底から実感するのです。


この教訓は、絶対ムダにしてはいけないですよね。






20年ぶり!の再会。

2006-11-05 12:39:34 | ちょっと論じる
昨日は、Yちゃんの結婚パーティーに、YちゃんYちゃんと一緒に参加しました。

・・・って書くと、意味わかんないですよね。(^_^;)
気付いたら、みんなイニシャルがYちゃんでした・・・。
ので、便宜上ちゃん、ちゃん、ちゃん、と呼び代えます。
(このイニシャルにもそれぞれ意味はあるが、省略します。)

この、Tちゃん、Kちゃん、Uちゃんは、
今から遡ること20年近く前、私がカナダにいた頃、
幼少時代をともにした古い友人なのです。
古い、というか、帰国以来音信不通に近い状態だったのですが、
ヒョン、まさに、ヒョンなことからつい最近また連絡をとるようになり、
知らないうちにオランダで生活をしていたTちゃんの、
日本での結婚披露パーティーに呼ばれたのをきっかけに、
長~~~~い時間を経た再会を果たしたのでした。

実は私を含めたこの4人がカナダで完全にカブッたことはなく、
一同に会したのは今回が初めて!
私自身としては、Uちゃんと10年前に会ったのが一番最近の再会で、
Tちゃんとは17年ぶりくらい?、で、Kちゃんとは見事20年ぶり
要するに、全員軽く10年は会ってなかったワケで・・・。

20年ぶりに友人と再会を果たす、なんて、なかなかないことですよね?
余談ですが、この日の髪をセットしてもらいに行った美容院で
このことを話したら、
「ウチの(スタッフの)●●ちゃんの歳と同じだけの期間ですよ!」
ものすごい例えをされて、改めて20年という年月のすごさを実感しました。
そうだよね、ヒトが成人するだけの期間だったんだよね・・・。


20年ぶりの再会ともなると、感動カンゲキというよりは、
何だか新鮮で不思議な感覚でした。
何てったって最後の記憶が小学生のときのものなので、
懐かしいというよりは、「・・こんなにオトナになって」、みたいな(笑)。
初対面のような感覚もありつつ、でもやっぱり知り合いで、・・みたいな。

新婦のTちゃんを囲んでの歓談も、これまで10年以上実現していないのに、
ごくごく自然で、まるでつい先週もこんな感じで話してたみたいな感じ。
うまく言えないけど、これが古い時代をともにした絆なのかな、って思った。
パーティーのあとに、Kちゃん・Uちゃん・ワタシで日吉駅界隈で
フツウに軽く飲んで帰ったのも含めて(笑)。


思えば、カナダにいたとき、いつ、誰が先に帰国しても、
自分が帰国する番になっても、「淋しい」とか「悲しい」という感覚を
覚えたことがなかった。
それは幼さゆえのことかな、と思いつつも、我ながらずっと少し不思議だった。

その謎が、解けた気がした。
多分ワタシは、この頃から何となく分かってたんじゃないかなぁ?
またみんなと会える日が来るんだってことを。
きっと、そうだったんだと思う。そうとしか、思えない。
再び連絡をとれるようになったのは、偶然のようで必然だったんだと思う。
ますますクサイことをいうと、そのために今日まで生きてきたんだろうな
とさえ思う。・・・クサすぎるが、本当にそう思う。


20年近い時を経て、再びつながった幼少時代の友情。
これからまた、大切にあたためていきたい。



Tちゃんの住むオランダにも、必ず遊びに行くよ!




※写真はいずれも昨日のパーティー会場にて。
 肖像権を考慮すると、いつものように「少年A」的な感じに・・。