ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

深まる秋、思い出の童話、まとめ

2019-10-07 09:59:47 | 日常

曇りから晴れへ、夜間小雨。24-18℃

涼しくなってとても嬉しい。夏の疲れがとれだし、元気が少しずつ出てきた。

目に涙を流しているようだから、ツチイナゴ君かな? 

ムクドリの大好物だ、見つからないように。

暑さに非常に強いラベンダーを人にあげる程増やしていたのだが、株元を更新させなかったので、木化して折れてしまう。 また、駐車場側の花壇は、車を換えたら日陰になり、しかも車の下敷きにもなり全滅、今年は暑くて挿し木も失敗、現在数センチ残っているが、どうなるか、以前、分けた伯母の畑から、逆に持ってくるしかない。

100均のは暑さに弱いラベンダーだし、蒔く時期も悪いが、好きなので、とりあえず蒔いておく。

伊予柑がぎっしりなれている。

それとスダチも大量に。

 

今日は、小鳥達の洗って乾かしていた巣箱を籠に取りつけ、その他アクセサリーも取り付けた、

小鳥達4羽は嬉しそうに巣箱を出入りしている、夜はそこに潜ってキチンと寝るのだが、涼しくなって良かった。夏は見ていてとても暑苦しく思えるのだ。残り3羽は巣箱は使わない。あとは冬に向けて、暖房の支度だ。

 

ところで、いきなり話は変わるが、

食べてはみたが、悪魔のおにぎりって普通だと、いや、普通のおにぎりの方が好きかも私。

空の袋でスマナイですが。

 

きーじは老猫3匹のご飯の残りを食べて、いきなり肥ゆる秋となっている。

リウマチ結節で、右人差し指の伸縮が上手くいかず苦労している、特にシャッターが押せない、それとボーイングは致命的。けれども何回かここで貼って紹介した、義手のバイオリンの女性もいるし、なんていう事もない、一度で決まらないけど、何度でもやり直し、やることだ。

いきなり、みーみーぼー乱入。

この猫も、猫が嫌いなので、夏は好きなところにいるが、冬はヒーターをつけたケージを一つ用意、温かい場所を特別に確保しないと阿鼻叫喚の大変な事になる。どいつもこいつも冬支度に手間がかかる。

ようやく涼しくなり、皆さんもそろそろ衣替えの時期でしょうが、私も昨日2着増えたので、洋服を見直している。油断大敵。

昨年一度も着なかった洋服は、ホームウェアに降格しよう。つーか、みな基本、普段着でつがw

昨日買ったものは、緩い所を少しだけ手直しする、今シーズンは着ない、昨晩は来年しようと思ったが、やはり気持ちが落ち着かないのだ、出来れば今週に直してから、仕舞おう。

そういう風に考えていると、5着、アラが気になる洋服が出てきて、でもそれを今いじれば、クローゼットや衣装ダンスを開けた時の気持ちが、もうどんより重くない、着なくても、開けたらルンルンなので、やってしまおう。

細かい事をしていると、時間が足りない、だが、細かい事が好きだ。

料理、運動は健康の基本だし、沢山聴きたいもの、読みたいもの、見たいもの、この世には溢れていて、昔覚えた物は記憶が薄れ、学び直し、新しい物も取り入れ、だが覚えられずw、記事も書き、一日があっという間だ。

虻蜂取らずでなく、実りのある人生の方は、時間の使い方が上手いのと、集中力が違うのだろう。私は雑多なままで終わるのがわかる。ジタバタして終る。

涼しくなって、色々やる気が出てきたことは確かだ、その実りの無いジタバタであっても、とりあえず動いている、

パッサパサになった髪の毛先を数滴のベビーオイルでもんでパックして、ゆっくりお風呂に入り、シャンプーし、髪を乾かしながら5日に録画の映画、二回目で内容がもうわかっていても観る。うん、髪に艶が出たぞ、お金もかからない、なんで自分、近頃しなかったんだろう、明日は歯医受診だ。

色々な事が、もうどうでもよくなっていた事は確かだ。

このロバート・デニーロのような老いかたが出来たら、かなり素敵でしょうね。見本ですね。

映画『マイ・インターン』予告編(120秒)【HD】2015年10月10日公開

 

 

 

※童話は、10月3、4、5、6日からの続きです。

【モモちゃんとあかね 椋鳩十】まとめ

このモモは17年も生きました。17年というと、猫では珍しい位長生きした方です。

モモはすっかり歳を取って、呆けてしまいました、

あかねに抱かれて寝ながら、布団の中に、おしっこやうんちを毎晩のように漏らすようになりました。

仕方がないので、竹ごうりの中にぼろ切れを厚く敷いて、その中に寝かせる様にしました。体がすっかり弱ってしまって、竹ごうりの中から、這いだす事も出来ませんでした。

あかねがそばにいないと、ガオー、ガオーと鳴きたてるので、夜はその竹ごうりを、寝床のわきに置いて、頭か体にそっと手を乗せたまま、眠るのでした。

あかねの手が、何処かに触れていれば、モモは安心しているようでした。

こんなに弱っていても、あかねが学校から帰ってくると、モモはその声を聞きつけて、消え入るような、鳴き声をたてるのです。

こんなに慕われると、あかねもモモが可愛くてたまらぬのか、学校から帰ると、余り外にも出ず、付きっ切りでモモの世話をするのでした。

モモを相手にして、人間とお話するように、あかねは、色々の事をお喋りしている事もありました。

モモには人間の言葉なぞわかるはずもないでしょうが、それでもモモは、娘のお喋りを聞きながら、返事でもするように、細い細い声で、ニャーゴと鳴いたりするのでした。

こんな日が、一か月近く続きました。

そういうある日、あかねの友達が遊びに来ました。あかね達は、二階の部屋で、大きな声ではしゃいだり、笑ったりしていました。夕方近くまで、あかね達は楽しそうに話し合っていました。

あかねの寝室は、二階のすぐ下の部屋でした。モモは竹ごうりに入れられて、あかねの部屋で暮らしていたのです。

もう、すっかり弱ってほとんど身動きも出来ない程でした。そのモモが、どうして竹ごうりから這い出したのか、いや、這い出しただけでなく、二階迄のぼっていったのか、ほんとに不思議でなりません。が、モモは二階迄這い上がったのです。

はっとあかねが気がついた時には、モモは階段を這い上がって、あかねの傍までいざり寄って来ていたのです。

モモは死ぬ時がいよいよ迫ってきたのを、動物のあの不思議な心で、感じ取ったのでしょう。そして、あかねのそばで死にたかったに違いありません。

とても、考えられないような力をふり絞って、あかねの声を頼りに、階段を這い上がっていったのです。身動きもようやくという身体で、這い上がっていったのです。

精神力というものは、人間だけが持っているものではないかもしれません。

「おお、モモ」

あかねは愛しさと、感動のこもった気持ちで、モモを抱き上げました。

モモはあかねに抱き抱えられながら、あかねの指をくわえました。

母親のお乳でもくわえるように、モモはあかねの小指をくわえました。

小指をくわえると、モモはぴりぴりと身体を小刻みに震わせました。

そして、声も立てずにモモは、気をつけの姿勢をとるような具合に、身体をぴーんと、伸ばしました。

力尽きたモモは、あかねの膝に抱かれたまま、あっという間に、冷たくなってしまったのです。

あかねの友達の、ただごとでない声に、私は二階に駆け上がっていきました。

モモは息絶える時に、ぐっと、歯を噛みしめたのでしょう。モモの口に含まれたあかねの小指からは、赤い血の粒がプツプツと噴き出していました。

あかねは、その小指をモモの口から取り出そうともせず、モモをしっかり抱いたまま、大粒の涙を、ポロリポロリと流していました。

 

※アマゾンレビューより抜粋

モモちゃんとあかね“は27ページの作品。この作品のみ1ページ半の大きさのカラーの3枚の挿絵が入っている。平凡社発行の”作家の猫“によれば、この作品に書かれたことは、ほとんどが実話で、モデルは椋鳩十の娘のあかねさんと、その飼い猫のモモで、実際のモモはトラ猫である点が異なる(物語では真っ白なペルシャ猫)。小説の中の17年に及ぶモモとあかねの愛情は感動的だが、

それ以上に感動的なのは、椋鳩十が作品を書いた動機で、

”(あかねの嫁入りに際して)貧しい物語作家である私は、永久の記念になるお宝物も、持たしてやることができませんでした。そのかわりに、お嫁にゆく、あかねのために、私は、この物語を書いたのでした“とのことである(作家の猫p87)。

この作品と椋鳩十のコメントは、多くの読者にとって”永久の宝物”といえるだろう。“

 

 

※今年になって、お孫さんが伝記を書かれておいでなんですね。とても嬉しいです。

【椋鳩十 生きるすばらしさを動物物語に】

https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033897651&Action_id=121&Sza_id=E1 

 

街から本屋も消え、本は電子書籍にとってかわられるのかもしれませんが、私は椋鳩十氏の著作はもう一度読みたいと思っています、特にこの作品は、今、猫を飼う事になった自分の、幼き日のその根底を作ったもの、人生の一部を変えた、そういう作品であるとしか言えません。しかし手に入らない。

記憶違いもありましたが、このストーリーを読み返し、やはり心温まる大好きな作品、人と猫の絆が素晴らしい描写だと思います。動物が人間の倍で歳を取ること、最後まで看取ることの大切さも、もう一度考えたいものです。

歴史とは、多くの書物が生まれては消え、の繰り返しなのでしょうが、

椋鳩十氏のような、動物などの弱者に優しい視点を持った文学作品が、品切れ、廃刊中で、現在手に入らない事を大変残念に思います。

コメント (6)
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