曇りから晴れへ、夜間小雨。24-18℃
涼しくなってとても嬉しい。夏の疲れがとれだし、元気が少しずつ出てきた。
目に涙を流しているようだから、ツチイナゴ君かな?
ムクドリの大好物だ、見つからないように。
暑さに非常に強いラベンダーを人にあげる程増やしていたのだが、株元を更新させなかったので、木化して折れてしまう。 また、駐車場側の花壇は、車を換えたら日陰になり、しかも車の下敷きにもなり全滅、今年は暑くて挿し木も失敗、現在数センチ残っているが、どうなるか、以前、分けた伯母の畑から、逆に持ってくるしかない。
100均のは暑さに弱いラベンダーだし、蒔く時期も悪いが、好きなので、とりあえず蒔いておく。
伊予柑がぎっしりなれている。
それとスダチも大量に。
今日は、小鳥達の洗って乾かしていた巣箱を籠に取りつけ、その他アクセサリーも取り付けた、
小鳥達4羽は嬉しそうに巣箱を出入りしている、夜はそこに潜ってキチンと寝るのだが、涼しくなって良かった。夏は見ていてとても暑苦しく思えるのだ。残り3羽は巣箱は使わない。あとは冬に向けて、暖房の支度だ。
ところで、いきなり話は変わるが、
食べてはみたが、悪魔のおにぎりって普通だと、いや、普通のおにぎりの方が好きかも私。
空の袋でスマナイですが。
きーじは老猫3匹のご飯の残りを食べて、いきなり肥ゆる秋となっている。
リウマチ結節で、右人差し指の伸縮が上手くいかず苦労している、特にシャッターが押せない、それとボーイングは致命的。けれども何回かここで貼って紹介した、義手のバイオリンの女性もいるし、なんていう事もない、一度で決まらないけど、何度でもやり直し、やることだ。
いきなり、みーみーぼー乱入。
この猫も、猫が嫌いなので、夏は好きなところにいるが、冬はヒーターをつけたケージを一つ用意、温かい場所を特別に確保しないと阿鼻叫喚の大変な事になる。どいつもこいつも冬支度に手間がかかる。
ようやく涼しくなり、皆さんもそろそろ衣替えの時期でしょうが、私も昨日2着増えたので、洋服を見直している。油断大敵。
昨年一度も着なかった洋服は、ホームウェアに降格しよう。つーか、みな基本、普段着でつがw
昨日買ったものは、緩い所を少しだけ手直しする、今シーズンは着ない、昨晩は来年しようと思ったが、やはり気持ちが落ち着かないのだ、出来れば今週に直してから、仕舞おう。
そういう風に考えていると、5着、アラが気になる洋服が出てきて、でもそれを今いじれば、クローゼットや衣装ダンスを開けた時の気持ちが、もうどんより重くない、着なくても、開けたらルンルンなので、やってしまおう。
細かい事をしていると、時間が足りない、だが、細かい事が好きだ。
料理、運動は健康の基本だし、沢山聴きたいもの、読みたいもの、見たいもの、この世には溢れていて、昔覚えた物は記憶が薄れ、学び直し、新しい物も取り入れ、だが覚えられずw、記事も書き、一日があっという間だ。
虻蜂取らずでなく、実りのある人生の方は、時間の使い方が上手いのと、集中力が違うのだろう。私は雑多なままで終わるのがわかる。ジタバタして終る。
涼しくなって、色々やる気が出てきたことは確かだ、その実りの無いジタバタであっても、とりあえず動いている、
パッサパサになった髪の毛先を数滴のベビーオイルでもんでパックして、ゆっくりお風呂に入り、シャンプーし、髪を乾かしながら5日に録画の映画、二回目で内容がもうわかっていても観る。うん、髪に艶が出たぞ、お金もかからない、なんで自分、近頃しなかったんだろう、明日は歯医受診だ。
色々な事が、もうどうでもよくなっていた事は確かだ。
このロバート・デニーロのような老いかたが出来たら、かなり素敵でしょうね。見本ですね。
映画『マイ・インターン』予告編(120秒)【HD】2015年10月10日公開
※童話は、10月3、4、5、6日からの続きです。
【モモちゃんとあかね 椋鳩十】まとめ
このモモは17年も生きました。17年というと、猫では珍しい位長生きした方です。
モモはすっかり歳を取って、呆けてしまいました、
あかねに抱かれて寝ながら、布団の中に、おしっこやうんちを毎晩のように漏らすようになりました。
仕方がないので、竹ごうりの中にぼろ切れを厚く敷いて、その中に寝かせる様にしました。体がすっかり弱ってしまって、竹ごうりの中から、這いだす事も出来ませんでした。
あかねがそばにいないと、ガオー、ガオーと鳴きたてるので、夜はその竹ごうりを、寝床のわきに置いて、頭か体にそっと手を乗せたまま、眠るのでした。
あかねの手が、何処かに触れていれば、モモは安心しているようでした。
こんなに弱っていても、あかねが学校から帰ってくると、モモはその声を聞きつけて、消え入るような、鳴き声をたてるのです。
こんなに慕われると、あかねもモモが可愛くてたまらぬのか、学校から帰ると、余り外にも出ず、付きっ切りでモモの世話をするのでした。
モモを相手にして、人間とお話するように、あかねは、色々の事をお喋りしている事もありました。
モモには人間の言葉なぞわかるはずもないでしょうが、それでもモモは、娘のお喋りを聞きながら、返事でもするように、細い細い声で、ニャーゴと鳴いたりするのでした。
こんな日が、一か月近く続きました。
そういうある日、あかねの友達が遊びに来ました。あかね達は、二階の部屋で、大きな声ではしゃいだり、笑ったりしていました。夕方近くまで、あかね達は楽しそうに話し合っていました。
あかねの寝室は、二階のすぐ下の部屋でした。モモは竹ごうりに入れられて、あかねの部屋で暮らしていたのです。
もう、すっかり弱ってほとんど身動きも出来ない程でした。そのモモが、どうして竹ごうりから這い出したのか、いや、這い出しただけでなく、二階迄のぼっていったのか、ほんとに不思議でなりません。が、モモは二階迄這い上がったのです。
はっとあかねが気がついた時には、モモは階段を這い上がって、あかねの傍までいざり寄って来ていたのです。
モモは死ぬ時がいよいよ迫ってきたのを、動物のあの不思議な心で、感じ取ったのでしょう。そして、あかねのそばで死にたかったに違いありません。
とても、考えられないような力をふり絞って、あかねの声を頼りに、階段を這い上がっていったのです。身動きもようやくという身体で、這い上がっていったのです。
精神力というものは、人間だけが持っているものではないかもしれません。
「おお、モモ」
あかねは愛しさと、感動のこもった気持ちで、モモを抱き上げました。
モモはあかねに抱き抱えられながら、あかねの指をくわえました。
母親のお乳でもくわえるように、モモはあかねの小指をくわえました。
小指をくわえると、モモはぴりぴりと身体を小刻みに震わせました。
そして、声も立てずにモモは、気をつけの姿勢をとるような具合に、身体をぴーんと、伸ばしました。
力尽きたモモは、あかねの膝に抱かれたまま、あっという間に、冷たくなってしまったのです。
あかねの友達の、ただごとでない声に、私は二階に駆け上がっていきました。
モモは息絶える時に、ぐっと、歯を噛みしめたのでしょう。モモの口に含まれたあかねの小指からは、赤い血の粒がプツプツと噴き出していました。
あかねは、その小指をモモの口から取り出そうともせず、モモをしっかり抱いたまま、大粒の涙を、ポロリポロリと流していました。
※アマゾンレビューより抜粋
モモちゃんとあかね“は27ページの作品。この作品のみ1ページ半の大きさのカラーの3枚の挿絵が入っている。平凡社発行の”作家の猫“によれば、この作品に書かれたことは、ほとんどが実話で、モデルは椋鳩十の娘のあかねさんと、その飼い猫のモモで、実際のモモはトラ猫である点が異なる(物語では真っ白なペルシャ猫)。小説の中の17年に及ぶモモとあかねの愛情は感動的だが、
それ以上に感動的なのは、椋鳩十が作品を書いた動機で、
”(あかねの嫁入りに際して)貧しい物語作家である私は、永久の記念になるお宝物も、持たしてやることができませんでした。そのかわりに、お嫁にゆく、あかねのために、私は、この物語を書いたのでした“とのことである(作家の猫p87)。
この作品と椋鳩十のコメントは、多くの読者にとって”永久の宝物”といえるだろう。“
※今年になって、お孫さんが伝記を書かれておいでなんですね。とても嬉しいです。
【椋鳩十 生きるすばらしさを動物物語に】
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033897651&Action_id=121&Sza_id=E1
街から本屋も消え、本は電子書籍にとってかわられるのかもしれませんが、私は椋鳩十氏の著作はもう一度読みたいと思っています、特にこの作品は、今、猫を飼う事になった自分の、幼き日のその根底を作ったもの、人生の一部を変えた、そういう作品であるとしか言えません。しかし手に入らない。
記憶違いもありましたが、このストーリーを読み返し、やはり心温まる大好きな作品、人と猫の絆が素晴らしい描写だと思います。動物が人間の倍で歳を取ること、最後まで看取ることの大切さも、もう一度考えたいものです。
歴史とは、多くの書物が生まれては消え、の繰り返しなのでしょうが、
椋鳩十氏のような、動物などの弱者に優しい視点を持った文学作品が、品切れ、廃刊中で、現在手に入らない事を大変残念に思います。