(その3からの続き)
内裏にいた間も、この雪の山のことが気がかりなので、下仕えの女などに命じて、絶え間なく注意しに行かせました。七日のお節句のお下がりなんかまで与えたので、「庭木番が喜んで拝礼していましたよ」などと、笑いながら報告がありました。
宿下がりして里にいても、何はさておき、夜が明けるとすぐに、これが大事とばかりに、雪の山を見に行かせました。
十日の頃に、「十五日までもつくらいは残っています」という報告があったので、うれしく思いました。
引き続き、昼も夜も人をやって確かめさせているうちに、十四日の夜に入って、雨がひどく降るので、「この雨で消えてしまうだろう」と、気が気でなく、「もう一日二日というところなのに、もちきれないなんて」と、夜も起きていて、座ってため息などをつくので、それを聞いている家人は、「気ちがいじみている」と、笑うのです。
朝早く誰かが出て行くので、そのまま私も起きていて、下仕えの者を起こさせるのに、いっこうに起きないので、ひどく憎らしく腹が立ってきて、やっと起きてきた者を見に行かせると、
「円座の大きさぐらいは残っております。庭木番が『一生懸命番をして、子供たちも近づけていません。明日、明後日まできっとございますでしょう。ご褒美を頂戴します』と言っておりました」
と言うので、大変うれしくて、「早く明日になったら、歌を詠んで、入れ物に雪を入れて中宮様に差し上げよう」と思いました。それまでが、まったく気がもめて、やりきれない気持ちでした。
当日、まだ暗いうちに起き出して、折櫃などを使いに持たせて、
「これに雪のきれいそうなところを入れて持ってきなさい。汚らしそうなところは、かき捨ててね」などと、よく言ってきかせて、行かせたところ、随分早く、持たせてやった折櫃をぶら下げて帰ってきて、
「とっくに、なくなっておりました」と言うので、まったくあきれてしまって、「うまく和歌を詠んで見せて、人々に語り伝えさせよう」と、うめき苦しみながら詠みあげた歌も、さっぱり役に立たずじまいになってしまいました。
「いったいどうして、こんなことになってしまったのでしょう。昨日まではたくさんあったらしい雪が、一晩のうちに、消えたらしいなんて」と、愚痴を言っていますと、
「庭木番が言っておりましたのは、『昨日は、とても暗くなるまでは残っておりました。ご褒美をいただこうと思っておりましたのに』と、悔しさに手を打って騒ぎ立てていました」
などと、もめていると、内裏より中宮様のお手紙が届きました。
「ところで、雪は今日までありましたか」と仰せられていますので、とてもいまいましく残念ではありますが、
「『せいぜい年内か、元日までもあるまいと皆さんが申し上げられましたのに、昨日の夕暮までありましたことは、実にたいしたことだと思っております。今日までもつのは、程度を越えたことでございました。夜中のうちに、誰かが私を憎らしがって、取り捨てたのでございます』、と申し上げて下さいませ」
などと、ご返事を申し上げました。
そして、二十日、参内しました時にも、真っ先にこのことを、中宮様の御前ででも話題にしました。
「『身は投げ捨た」とばかりに、蓋だけを持って来たという法師のように(釈迦の半偈投身と、中身を捨てた、をかけた洒落の猿楽を引用している)、使いの者がすぐに戻ってきた時のがっかりしたことといいましたら」
「何かの蓋にでも雪の小山を作って、白い紙に和歌を見事に書いて、お目に掛けようと思っておりましたのに」
など申し上げますと、中宮様はたいそうお笑いになる。
御前に仕えている女房たちも同じように笑うと、中宮様は、
「これほど一心に思いつめていたことを、無にしたのでは、きっと罰が当たるでしょう。本当は、中の四日(十四日)の夜、侍たちを行かせて取り捨てたのですよ。そなたの返事に、誰かが取り捨てたと言い当てたのが、実に面白いことでした。
その庭木番の女が出てきて、懸命に手を合わせて頼んだらしいのですが、『中宮様のお言いつけごとなのだ。あちらの里からやって来るような人に、こうとは知らせるな。もし知らせたなら、小屋を打ち壊してしまうぞ』などと侍たちは言って、左近の司の、南の土塀などにみな捨ててしまったらしい。
『大変固くて量もたくさんあった』と侍たちが言っていたようですから、なるほど、二十日まででも間に合ったことでしょう。今年の初雪も降り積もっていたことでしょうね。
主上もこのお話をお聞きになって、『随分確かな見通しをつけて言い争ったものだ』などと、殿上人たちなどにも仰せられたのですよ。
それにしてもその歌を披露しなさい。今となれば、こう私に話させてしまったのだから、同じことで、そなたが勝ちです」
などと、中宮様はおっしゃいますし、女房たちにも奨められましたが、
「どうして、これほど情けないお話を承っておきながら、歌を披露など出来ましょうか」と、心底から、むきになってふさぎ込み、情けながったものですから、
「全くだ。年末は、宮の『お気に入りの女房なのだろう』と思っていたが、この話を聞くと、どうも『あやしいものだ』と思ったよ」
などと天皇までが仰せになるものですから、いよいよ情けなくて、つらくて、泣き出してしまいそうになりました。
「なんとも、まあ。大変につらい浮世ですねぇ。あとから降り積もっておりました雪を『うれしい』と思いましたのに、『それは筋が違う、かき捨ててしまいなさい』とご命令がございましたものねぇ」
と申しますと、
「宮は勝たせまいとお思いになったのだろう」
と言って、天皇もお笑いになるのです。
大変長い章段なので四回に分けさせてもらいました。
他にも同じほど長いものもありますが、本段は枕草子の中の最も長いものといえます。
さて、この章段は「雪の山」をめぐる少納言さまの頑張りを中心に、「常陸の介」と「斎院」のエピソードが挿入されています。
長編ではありますが、比較的分かりやすい筋書きだと思うのですが、少納言さまの勝気な一面が特に鮮明に描かれている章段だともいえます。
また、少納言さまと中宮の、少々ヒヤリとしてしまいそうな関係も垣間見れるようにも思われますが、少納言さまに勝たせると仲間外れになるかもしれないという中宮の配慮だという考え方もあります。
内裏にいた間も、この雪の山のことが気がかりなので、下仕えの女などに命じて、絶え間なく注意しに行かせました。七日のお節句のお下がりなんかまで与えたので、「庭木番が喜んで拝礼していましたよ」などと、笑いながら報告がありました。
宿下がりして里にいても、何はさておき、夜が明けるとすぐに、これが大事とばかりに、雪の山を見に行かせました。
十日の頃に、「十五日までもつくらいは残っています」という報告があったので、うれしく思いました。
引き続き、昼も夜も人をやって確かめさせているうちに、十四日の夜に入って、雨がひどく降るので、「この雨で消えてしまうだろう」と、気が気でなく、「もう一日二日というところなのに、もちきれないなんて」と、夜も起きていて、座ってため息などをつくので、それを聞いている家人は、「気ちがいじみている」と、笑うのです。
朝早く誰かが出て行くので、そのまま私も起きていて、下仕えの者を起こさせるのに、いっこうに起きないので、ひどく憎らしく腹が立ってきて、やっと起きてきた者を見に行かせると、
「円座の大きさぐらいは残っております。庭木番が『一生懸命番をして、子供たちも近づけていません。明日、明後日まできっとございますでしょう。ご褒美を頂戴します』と言っておりました」
と言うので、大変うれしくて、「早く明日になったら、歌を詠んで、入れ物に雪を入れて中宮様に差し上げよう」と思いました。それまでが、まったく気がもめて、やりきれない気持ちでした。
当日、まだ暗いうちに起き出して、折櫃などを使いに持たせて、
「これに雪のきれいそうなところを入れて持ってきなさい。汚らしそうなところは、かき捨ててね」などと、よく言ってきかせて、行かせたところ、随分早く、持たせてやった折櫃をぶら下げて帰ってきて、
「とっくに、なくなっておりました」と言うので、まったくあきれてしまって、「うまく和歌を詠んで見せて、人々に語り伝えさせよう」と、うめき苦しみながら詠みあげた歌も、さっぱり役に立たずじまいになってしまいました。
「いったいどうして、こんなことになってしまったのでしょう。昨日まではたくさんあったらしい雪が、一晩のうちに、消えたらしいなんて」と、愚痴を言っていますと、
「庭木番が言っておりましたのは、『昨日は、とても暗くなるまでは残っておりました。ご褒美をいただこうと思っておりましたのに』と、悔しさに手を打って騒ぎ立てていました」
などと、もめていると、内裏より中宮様のお手紙が届きました。
「ところで、雪は今日までありましたか」と仰せられていますので、とてもいまいましく残念ではありますが、
「『せいぜい年内か、元日までもあるまいと皆さんが申し上げられましたのに、昨日の夕暮までありましたことは、実にたいしたことだと思っております。今日までもつのは、程度を越えたことでございました。夜中のうちに、誰かが私を憎らしがって、取り捨てたのでございます』、と申し上げて下さいませ」
などと、ご返事を申し上げました。
そして、二十日、参内しました時にも、真っ先にこのことを、中宮様の御前ででも話題にしました。
「『身は投げ捨た」とばかりに、蓋だけを持って来たという法師のように(釈迦の半偈投身と、中身を捨てた、をかけた洒落の猿楽を引用している)、使いの者がすぐに戻ってきた時のがっかりしたことといいましたら」
「何かの蓋にでも雪の小山を作って、白い紙に和歌を見事に書いて、お目に掛けようと思っておりましたのに」
など申し上げますと、中宮様はたいそうお笑いになる。
御前に仕えている女房たちも同じように笑うと、中宮様は、
「これほど一心に思いつめていたことを、無にしたのでは、きっと罰が当たるでしょう。本当は、中の四日(十四日)の夜、侍たちを行かせて取り捨てたのですよ。そなたの返事に、誰かが取り捨てたと言い当てたのが、実に面白いことでした。
その庭木番の女が出てきて、懸命に手を合わせて頼んだらしいのですが、『中宮様のお言いつけごとなのだ。あちらの里からやって来るような人に、こうとは知らせるな。もし知らせたなら、小屋を打ち壊してしまうぞ』などと侍たちは言って、左近の司の、南の土塀などにみな捨ててしまったらしい。
『大変固くて量もたくさんあった』と侍たちが言っていたようですから、なるほど、二十日まででも間に合ったことでしょう。今年の初雪も降り積もっていたことでしょうね。
主上もこのお話をお聞きになって、『随分確かな見通しをつけて言い争ったものだ』などと、殿上人たちなどにも仰せられたのですよ。
それにしてもその歌を披露しなさい。今となれば、こう私に話させてしまったのだから、同じことで、そなたが勝ちです」
などと、中宮様はおっしゃいますし、女房たちにも奨められましたが、
「どうして、これほど情けないお話を承っておきながら、歌を披露など出来ましょうか」と、心底から、むきになってふさぎ込み、情けながったものですから、
「全くだ。年末は、宮の『お気に入りの女房なのだろう』と思っていたが、この話を聞くと、どうも『あやしいものだ』と思ったよ」
などと天皇までが仰せになるものですから、いよいよ情けなくて、つらくて、泣き出してしまいそうになりました。
「なんとも、まあ。大変につらい浮世ですねぇ。あとから降り積もっておりました雪を『うれしい』と思いましたのに、『それは筋が違う、かき捨ててしまいなさい』とご命令がございましたものねぇ」
と申しますと、
「宮は勝たせまいとお思いになったのだろう」
と言って、天皇もお笑いになるのです。
大変長い章段なので四回に分けさせてもらいました。
他にも同じほど長いものもありますが、本段は枕草子の中の最も長いものといえます。
さて、この章段は「雪の山」をめぐる少納言さまの頑張りを中心に、「常陸の介」と「斎院」のエピソードが挿入されています。
長編ではありますが、比較的分かりやすい筋書きだと思うのですが、少納言さまの勝気な一面が特に鮮明に描かれている章段だともいえます。
また、少納言さまと中宮の、少々ヒヤリとしてしまいそうな関係も垣間見れるようにも思われますが、少納言さまに勝たせると仲間外れになるかもしれないという中宮の配慮だという考え方もあります。
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