ウガンダと暮らす  

ウガンダと日本の、日々の暮らし

ミャンマー 失われるアジアのふるさと

2008-07-11 23:43:24 | Book
乃南アサさんの『ミャンマー 失われるアジアのふるさと』を読みました。


二〇〇七年、私たちはかつてない程「ミャンマー」「ヤンゴン」といった言葉を耳にすることになった。
だが実のところ、ミャンマーがどこにあるのかも分からないままニュースに接していた人々は少なくなかっただろうと思う。コメントする側も、「よく分からない」国のことだけに、表面的かつ曖昧な感想しか述べていないのがほとんどだった。ついに日本人ジャーナリストまで射殺されるという事態に至って、誰もが衝撃を受けたし、敏感に反応もしたけれど、どのチャンネルを見ても「じゃあ、もともとミャンマーってどういう国なの」という疑問に答えるような解説を加えているところはなかった。それでも、大半の人たちは感じていたはずだ。やっぱりミャンマーは怖い国だ。物騒だ。関わりたくない国だ、と。そこで普通に暮らし、行き続けている人たちのことなど、分かるはずもなければ、考える材料さえもないのだから、仕方がない。
-「まえがき」より-




わたしたちがミャンマーに訪れたのは2005年でした。当時タイに住んでいたので、今想うよりもすごく身近な国でした。
それなのに日本に帰ってくると、僧侶たちによる反政府デモ、日本人ジャーナリストの射殺、サイクロンの直撃・・・
メディアを通して映るミャンマーの姿は、わたしたちが本当に目にしたミャンマーなのか分からなくなってしまいます。そんなときにこの本に出会い、ホッと安心させられたような、温かい気持ちになりました。たとえミャンマーがどういう風に報じられようとも、ミャンマーで生きる人々の姿を忘れたくない、とミャンマーを訪れた人は言う。



バガンからヤンゴンへ向かう夜行バスに乗ったときでした。
2、3日前から降り続いていた雨による洪水で、道路が川のようになっていました。わたしたちは訳も分からずバスを降ろされ、ひざ下まで押し寄せてくる洪水に立ち向かうように歩きました。暗闇の中、何が起こっているのか把握もできず本当に怖かった。バスに乗っていた外国人は見る限りわたしたちだけでした。そんなときに懐中電灯で足元を照らし手を引いて一緒に歩いてくれたのは、ミャンマー人でした。
わたしはこのとき、現状を把握し、テキパキと行動に移し、みんなで手を取り合って助け合う姿と前へ進んでいくミャンマー人の姿に感動したのです。

ミャンマーの姿、わたしは忘れません!!

最新の画像もっと見る

post a comment