お祭燈

2015-01-12 04:39:42 | 日記


 恒例の村社の妙見神社のお祭燈、職業の多様性等から1月第2日曜日。若い頃は成人の日の1月15日で国民の祝祭日だった。午後から神社管理の消防団はポンプで豪雪の中内から御祭燈で燃やす太い桑の木、雑木を提供してくれる家々を廻り集めていた。
 市道から神社までの参道は急な石段で車は通行出来ず雪の中大勢の団員がロープで神社前の広場まで上げていた。絶対の権力者の部長采配で枯れ杉葉、小枝、太い雑木と重ねて周囲は青いヒバ、杉葉を立てかけて藤、アケビの蔓で結んでいた。
 燃やす材料を積み重ねるにも青いヒバ、杉の葉の枝を立てかけるにもそれぞれ理由があった。点火して途中で消えたり、燃え上がってから積み重ねた木材が崩れたりしないようにしっかりと大勢の団員で蔓を切って着て硬く結んだ。
 青ヒバの枝は杉枝で周囲を縦に囲むのは横風は雪を防ぎ煙突の役目でしかも点火後に煙がモクモク立ち上がる狼煙の役目だつた。全て理屈はどうであれ見よう見まねで先輩からの伝承を引き継ぎ後代に残した。各には村社があり方々の神社からの点火の狼煙を見て退屈な子供達は揃って遊び廻っていた。
 夕飯前には太い雑木も燃え上がり真っ赤な炭火で大勢の参拝者でごった返した。親達はどこのだれそれとは関係なく焙った餅を子供達に分け与えて食べさせた。餅を焙り懐に入れて家に持ち帰り家族で一緒に食べて健康を祈願していた。夜遅くまで当番が日の番で防火をした。
 我家の稲荷神社、文殊様に藁束に点火してささやかな御御祭燈で家内と一緒に諸々の願い事をして来る。今も村社管理は消防団がやっていて4~5人の当番の若い団員が社で参拝者にお神酒を御馳走していた。燃やす雑木も僅かで参拝者は少なくなんかしら昔の御祭燈を懐かしむ。