日本人が火をつけた「慰安婦」問題
ことの起りは、平成二年(一九九〇)三月のことでした。「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を百人委員会」という組織の事務局長格である青柳敦子氏(大分県在住)が、最初に火を点けたのです。ソウルにある「太平洋戦争犠牲者遺族会」の会員約千人が集まった席に顔を出し、日本に対して公式陳謝と賠償を求める裁判を呼びかけたことが、発端となりました。その時青柳氏は、「裁判に必要な費用は、いま日本で四百万円用意している」とまで付け加えたのです。裁判を起せば何百万もの金が転がり込むという思惑もからんで、韓国人会員は日本大使館にデモや座り込みを行ない、日韓両国のマスコミが誇大に報道しました。
その頃、ある在日韓国人は私に洩らしました。「慰安婦問題は、日韓両国にとって恥部だ。強制の部分があったかも知れないが、全体的には金銭がやりとりされている。
『売春』も『買春』も同罪ではないか。こんなことを掘り起せば、両国の関係は悪くなる一方だ」と。
にも拘らず青柳氏などは、裁判費用まで用意して、日本を訴えよと、韓国人にけしかけたのです。
そして翌年の八月、高木健一弁護士らが中心になって(韓国からも遺族会のメンバー五十三人が参加し)、「戦後補償国際フォーラム」を東京で開き、終了するとデモ行進に移りました。そしてその年の十二月、韓国の遺族会員らが、日本国を相手どって東京地裁に提訴しました。
高木氏らは、日韓基本条約で解決したのは、国対国のレベルであって、個人の請求権は残っており、補償を受ける権利がある、というのです。
しかし昭和四十年に、日韓が国交回復した時に結ばれた「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」によれば、第一条で日本は韓国に無償で三億ドル、長期低利の借款を二億ドル供与することが決められました(因みに当時の日本の外貨保有高は十八億ドル、韓国は一億三千万ドル)。
そして第二条では、韓国の独立に伴う未精算部分が、完全かつ最終的に解決されたことを確認するとして、議事録に次のように書かれています。
〈両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において「韓国の対日請求権要項」の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがって同対日請求要項に関しては、いかなる主張もなし得ないことになることが確認された。〉
この中の「韓国の対日請求権要項」というのは、八項目あり、その3が「被徴用韓国人の未収金」、4が「戦争による被徴用の被害に対する補償」となっています。従って、日本に徴用(強制連行と言われている)された韓国人に対する未払いの部分や被害があったら、それは韓国政府が支払うことになっているのです。日本は韓国に沢山の財産を残して引揚げたし、有償・無償計五億ドルを払っているので、それを(韓国人の賠償に)当てて貰いたい、という趣旨なのです。
もし裁判を起すとするなら、日本政府に対してではなく、韓国政府に対して起すのが筋なのです。
軍が関与した実態
それに慰安婦は、日本軍が徴用(強制連行)したものではないのです。
戦前・戦中は、慰安婦は公娼制度として認められていましたし、民間の業者は慰安婦を集めて軍の駐留地や危険な戦場にも軍の後を追って行きました。確かに軍は関与しました。彼らに便宜をはかって施設の建設をしたり、危険が迫れば安全を守ったし、激戦となれば、彼女らが炊事係や看護婦の代役を務めたこともあります。言うなれば、善意の関与をしました。そして持ちつ持たれつの関係が生れたことも確かです。
ところが、我が国では、軍が関与した具体的な内容を掴まず、軍が徴用してすべてを管理したかのように報道されました。そもそも軍が関与したのは、①占領地で現地人に婦女暴行のような不法行為をして、日本軍の面目を失わないようにすること、②性病が蔓延して軍の士気が衰えないように、定期的に軍医が慰安婦の身体検査を実施したこと。③慰安婦の募集に当る者の人選を適切に行なうよう通達したこと。④業者が暴利をむさぼらないように、料金や営業日時を規制したこと。⑤慰安施設の増改築に兵員を差出す命令を出したこと、等であります。
このように軍は関与しましたが、連行し管理した主体は、民間の業者でした。
例を挙げましょう。各大学には、学生たちの便宜をはかって食堂を設けています。この食堂の運営は業者にまかせているし、食堂で働いている人も、業者が連れてきた従業員であって、大学の職員ではありません。しかし学校側は、業者に場所を提供したり、値段や衛生設備などについて、意見を言います。そして食堂を利用する学生たちは、自分の財布をはたいて料金を払います。
それに対して学生の急病やら健康管理を担当する養護教員は、学校の職員です。学生が授業中病気になったり、体力測定のために要した費用などは、学校が持ちます。
前者が軍と慰安婦の関係を示し、後者が軍と従軍看護婦の関係を意味すると言ったら、解り易いでしょうか。
無謀なる提訴と日本の対応
さて、韓国の元慰安婦たちは平成三年十二月から翌年四月にかけて、合計九人が、東京地裁に対して「各自に二千万円払え」と提訴しました。この訴状を見ると、軍人や警察によって連行されたというのが三名、業者や肉親によって連れてこられたのが六名です。提訴がムードとなって、平成五年までに更に韓国から四件が提訴され、続いてフィリピンや中国からも提訴されました。
このように次々と提訴されるのに対して、日本のマスコミが賢明であったら、「方向を問違えた提訴」とか、「原告不適格?」などの見出しをつけて、次のような理由で訴訟になじまないことを教えてあげるべきであったでしょう。
①戦争による被徴用の被害に対する補償は、韓国政府に対して行なうことが既に日韓両国間で決められている。
②慰安婦は、基本的には「徴用(強制連行)」ではない。
それに裁判の場合は、当事者と第三者による確かな証言や記録が揃わなければ成り立たない。原告にはその資料が皆無である。
③訴状には、強姦事件も含めているが、強姦なら七年で時効になっている。そして二十年以上前の事件で損害賠償を求める場合は「除斥」になり、裁判の対象にならない。
このように素人が考えても裁判で争うことは無謀であり、空回りに終ることは判っています。
平成七年に韓国に行った折、裁判を起した韓国の元慰安婦たちを当の韓国人が唾棄しているのには驚きました。
次のように言います。
「あの連中の中には、最近まで売春を商売にしていた者がいる。彼女らは戦争中慰安婦として稼ぎ、戦後も売春で稼ぎ、韓国政府に補償を要求し、日本からももぎとろうとしている。四重取りを狙っている。」
このようにその評判は散々でした。
にも拘らず、日本のマスコミは取材能力が乏しいのか、問題を大きくしたいのか、「責任をとらぬ四十六年許さない。来日の韓国女性、従軍慰安婦問題を批判」「問われる人権感覚、制度の枠超え真の補償を韓国人従軍慰安婦の提訴」(いずれも「朝日新聞」)等、煽動的な見出しをつけて報道しました。そして支援者側は、「軍隊による組織的な性暴力システムの構築」とか「軍事的性奴隷制が、アジアの女性に加えた犯罪性」とかの言辞をもって煽りたてました。
さらに韓国では、「挺身隊」というのは、身体を捧げるとの意味ということで「慰安婦」と同じに理解されています。そのため女子児童が、富山県に「勤労挺身隊」として派遣されたと判ったら、小学生まで日本軍の性的犠牲にされたと報道しました(もちろん誤報です)。
そういう雰囲気の中で平成四年一月、日本の首相が訪韓しました。この首相の名前は忘れましたが、昭和五十七年に官房長官をやった人です。この人は外圧によって教科書の内容を「政府の責任に於て是正する」と約束した人です。それ以来近隣アジア諸国に関わる近現代史については、文部省は検定を放棄し、今や書き放題となりました。その原因を作った官房長官が首相になったのです。この人は事実に基づいて思考する知性に欠けており、センチメンタリズムの方が優先する人なのです。だから訪韓した時、慰安婦問題について涙ながらに反省と謝罪の演説を行ないました。だから韓国では、それまで報道していたことは、すべて事実だと信じられ、反日感情を増幅する結果となりました。
それ以来日本政府は、慰安婦問題について調査に入りました。防衛庁、外務省、厚生省、文部省等が取組み、計百三十八件に及ぶ調査結果を公表しました(平成五年八月)。私はその資料を、内閣官房外政審議室から貰い、目を通してみました。今から五十数年前の資料ですが、実際に日本は強制連行などしていないのですから、「強制連行」の事実が出てくるはずがありません。その内容は、前記した「軍が関与した実態」に尽きます。
ところが、韓国政府はあくまで慰安婦の強制連行を認めよ、と日本に迫りました。いくら探しても政府資料には、軍や官憲が直接「強制連行」したという事実は見出せません。そこで韓国政府は、日本政府に「強制連行」を認めさせるべく、韓国の元慰安婦から証言を聞くよう求めました。それに対して日本政府は「強制連行」があったことを認めるためにわざわざ調査官をソウルに派遣して、たびたび反日デモをしている「太平洋戦争犠牲者遺族会」の事務所で、しかも元慰安婦の国家補償を求める訴訟原告団の福島瑞穂弁護士らの同席のもと、聞き取り調査を行ないました。そして、その聞き取り証言の裏付け調査を全くしないまま、その証言を唯一の根拠として時の河野洋平官房長官は、八月四日、元慰安婦の募集は「総じて本人の意志に反して行われた」と発表したのです(この経緯は、平成九年一月と三月の参議院予算委員会における、片山虎之助議員と小山孝雄議員の追及によって明らかになった)。そのため、慰安婦は総て強制連行されたと受け取られてしまったのです。
学ぶべき韓国政府の態度
日本の政府は、マスコミ論調に対して迎合的で、ヘッピリ腰です。沢山の資料を抱えている政府なのですから、それを振りかざして日韓両国のマスコミを説得し、叱るべきです。それをやる迫力も責任感もなく、「顔のない日本」と嘲笑される始末です。
それに対して韓国の政府(マスコミはともかく)の方は、しっかりしているように思うのです。盧泰愚大統領は、『文藝春秋』(平成五年三月号)誌上(「日韓摩擦・韓国の責任」というタイトル)で、浅利慶太氏のインタビューに答えて、次のように語っています。
〈(挺身隊問題は)実際に日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。……そうなると韓国の言論も、日本は反省していないと叫び、日本に対して強い態度に出ない政府の対応はひどいとさらに感情論で煽ってきます。こうした両国の言論のあり方は、問題をさらに複雑にしても、決してよい方向には導かないと考えているのです。〉
盧大統領も、日本のマスコミが韓国の国民感情に火をつけ、韓国のマスコミも感情論を煽り、両国を悪い関係に持ってゆこうとしていることを指摘しているのです。
続いて大統領になった金泳三氏も就任直後、慰安婦問題については日本に真相究明を要求するが国家補償を求めず、韓国として元慰安婦の生活支援に着手する、と言明しました。金大統領も、日韓基本条約の趣旨に基づいて発言しているのです。
この意を体して韓国政府は平成五年三月、元慰安婦に対する生活措置を発表しました。元慰安婦百四十人のうち国内居住者百三十五人に対して五百万ウォン(約七十万円)、そして毎月十五万ウォン(二万円)を支払うことを決め、平成六年度予算に具体化しました。
それに対して日本の首相はめまぐるしく交代し、そのたびに「侵略戦争と認識」し、「植民地支配を反省謝罪」してきました。私が平成七年に訪韓した時も、ある韓国人が洩らしました。
「日本の首相は、訪韓するたびにお詫びをするが、口先だけのお詫びはもう沢山だ。そこには謝罪をしておけば済む、という安易さがある。韓国をなめているのではないか。日本人に誠意があるのなら、当時の日本の立場はこうだった。しかしこの点は気づかず行き過ぎもあり、申し訳なかった、と具体的に言えば、我々も納得ゆくのに……」
「日韓関係は基本条約の締結以来、好転しつつあった。それなのに日本の首相が全面的に謝罪するようになっておかしくなった。そんなに謝罪するのなら、条約で決めた補償金にさらに上乗せして、多額の資金を支払わなければ、筋が通らないのではないか。」
韓国のこのような当然の発言は黙殺して、一方的に煽るマスコミに乗せられて、遂に日本では「従軍慰安婦」を教科書に載せる動きさえ出てきました。平成七年の秋に来日した韓国の教科書研究院の院長は、当時池袋にあった韓国文化院で講演した時、列席した日本人に対して次のように語りました。
「慰安婦問題は、日本だけでなく、韓国にとっても恥部だ。日本では教科書に載せるそうだが、どう教えるのか。日本が取り上げたら、韓国でも採用せよという声が起る。もうこれ以上我々に恥をかかせるのは、やめてくれ。」
韓国で直接教科書編集を担当している人々ばかりではありません。平成八年五月に訪韓した時も、元中学校長であったR氏が私のホテルまで訪ねてきて、日本の教科書に慰安婦を記述することを中止して貰いたい、と強く求めてきました。
「戦争と性」―諸外国の例
(略)
平成九年度から使われる文部省検定済の中学校・歴史的分野の教科書(七種)はすべて、あたかも日本軍だけが「従軍慰安婦を強制連行した」ような扱い方です。いったん採択された教科書は最低四年間修正はできません。それではどう扱ったらよいのか。
慰安婦問題は、複雑な人間研究の課題です。男女の生理の差、性病の存在、軍隊の秩序維持、戦場心理等がからんでいて、中学生を対象に教材化すべき課題では決してありません。
(略)
外地に進駐した部隊が現地の女性を強姦したら、軍隊は一挙に現地の信頼を失う。そのような事件が発覚したら、直ちに軍法裁判にかけて処断するのが、当時の日本の軍紀(軍隊の規律)であった。そのため軍をあずかる指揮官は、必要悪を承知のうえで、慰安所配慮をしなければならなかった。配慮したのは日本ばかりではなかった。太古・中世の昔から、戦場は野獣性のぶつかりあう場所であった。ジンギスカンの遠征が、征服地の女性をいかに性の奴隷にしたことか。
ナポレオンの遠征から第二次大戦に至るまで、どこの国の軍隊にも、慰安所は「必要悪」として存在していた。
「必要悪」に配慮したのは、日本だけではなかったことを教えなければ、バランスを欠くばかりではない。軍隊と性の抱える問題の深刻さは解らない。これらの事実関係については、M・ヒルシェフェルト編『戦争と性』(河出書房)や、両角良彦著『反ナポレオン考』(朝日選書)等を参照せられたい。ここでは第二次大戦以後の例に限って述べてみよう。
韓国の場合
私は最近「帰らざる海兵隊」という韓国映画(李晩煕監督)を見た。この映画は、朝鮮戦争を戦った海兵隊の分隊や小隊の群像を描いたもので、躍動感あふれる傑作である。男の体臭がムンムン充満して、戦場わけても国内戦の深刻さをまざまざと見せつける。
この映画にも、韓国にある国連軍相手の慰安所(韓国人経営)が出てくる。韓国の海兵分隊がそこに押しかけるのだが、「外国人対象の慰安所だから」と断られる。すると韓国兵は怒って狼籍を働き、札束を見せびらかして占領してしまう。戦場という異常の中に起る事件だから、見ている方はその展開が自然に受け止められるのである。
もう一つ例を挙げよう。私は平成八年二月にベトナムを訪ねたが、ベトナム戦争でも似た悲劇は起った。この戦争に韓国は十年間で延べ三十一万人を派遣している。
現地の古老に聞けば、「韓国兵はよくなかった。ベトナムの女をすべて慰安婦にした。そのために生れた混血児は一万人以上」という。
そればかりではない。いま韓国には米軍が駐留しているが、東豆川の米軍基地には「洋郎」と呼ばれる韓国人慰安婦がいて、サービスしている。
(略)
独・伊・米の場合
ドイツはフランス、ソ連、ポーランド等の占領地に於いて、慰安婦に対して厳重な管理を行なった。ドイツ兵が利用する指定店を設けたり、直接軍が管理した例もある。米軍は第二次大戦中の一九四三年、イタリアのシシリー島を占領した時、独・伊の運営していた慰安所を、慰安婦も含めてまるごと引き継いでいる(秦郁彦「ドイツの従軍慰安婦問題」、『諸君!』平成四年九月号)。
アメリカでは自由恋愛の風潮があり、婦人部隊(WAC)がその役割を果したり、別に「ヴィクトリ・ガール」と称する志願制度もあると聞いている。
また、セオドア・ホワイト『個人的冒険の回想・上・歴史の探求』(サイマル出版)の中には、慰安婦の対策を怠った米軍の失敗談が書かれている。一九四二年、中国の蒋介石政権を支援するべくインドから中国の重慶に向かって武器弾薬や物資の空輸作戦(八十機)を指揮した米軍のシェンノート少将は、パイロットの半数が昆明の売春宿で性病に罹ったため、作戦を中止せざるを得なくなった。そこで病気を持たないインドの慰安婦十二人を前線基地に連行し、性病の蔓延を防いだ、というのである。その後、米軍は慰安婦対策の必要性に気づいたのか、日本に進駐した時、まず最初に東京都に命令したことが、慰安所を設けることだったことは、既によく知られている(『占領秘録』中公文庫)。その時、日本政府は、施設を作るために予算を割いたのだが、ある大臣が「一億円程度で日本女性の貞操が守られるのなら、安いものだ」と洩した。
最近の例を挙げよう。平成八年、沖縄で在日米軍兵士による少女暴行事件が起り、日本人の憤激を買ったことは記憶に新しい。その時、アメリカのある上官が「(少女を拉致するために借りた)レンタカー代で女を買えばよかったのに」と語ったという。
(略)
戦場慰安婦たちの心意気
以上、私は他国の例を挙げながら「必要悪」の世界を紹介しました。
誤解のないように言っておきますが、私はここで、戦場に慰安婦施設を設けるべきだ、と言っているのではありません。そんなものはないに越したことはありません。
しかし歴史的事実として存在したのですから、この問題を取り上げるのであったら、人間性や戦争の持つ美醜を多面的に見なければ、浅い理解になってしまうことを言いたいのです。そしてもう一つ触れておかねばならないことがあります。
我が国は満洲事変以来「非常時」が叫ばれ、支那事変長期化に伴い「国防国家建設」と言い、「国民精神総動員」が声高に叫ばれるようになりました。大東亜戦争が勃発すると、「挙国一致」「一億一心」「大東亜の解放」のスローガンに代表されるように、老若男女を問わず聖戦意識に燃え、総力戦体制に入りました。
男子中学生は予科練を志願し、女学生は勤労動員に応じ「女子挺身隊」となって、軍需工場で働きました。朝鮮・台湾も例外ではなく、昭和十三年に特別志願兵制度を採用したら、志願者が殺到しました。大東亜戦争開戦と共に、志願者はうなぎのぼりに増え、昭和十七年には、朝鮮は五十六・五倍、台湾はなんと六百倍の驚異的競争率となったのです。
こういう時代の雰囲気は、慰安婦にも及びました。貧しく恵まれぬ家庭で育ち、醜業女と蔑まれながらも、愛国心は燃えたのです。銃後の安全な場所で働くよりも、危険な最前線に出て、兵隊さんを直接慰安し励ます方が国のためになる、という心意気に燃えた人があったことも忘れてはなりますまい。
当時、前線の慰安所には、「聖戦大捷(大勝)の勇士大歓迎、身も心も捧ぐ大和撫子のサービス」という看板が掲げられていました。慰安婦たちは金儲けだけが目的ではなく、このスローガンのような志もあり、一種の母性本能も満足させていたのです。
(略)
【名越二荒之助】(「日韓共鳴二千年史」明成社より)
平成9年に名越二荒助氏が本に書かれた所謂従軍慰安婦に関する著述です。これを読めば従軍慰安婦問題が何故大きくなっていったかが分かります。
軍隊と性に関しては何処の国も後ろめたい物があります。
その後ろめたさを癒やすには「自分達よりもっと酷いことをした者が居る」と考えるのが一番です。日本を最大の悪役に仕立てて「我々はそれほど酷くなかった」と自己防衛しているに過ぎません。
米国でこのようなことが取り上げられるのは、支那、韓国のロビー活動があるかもしれませんが、それと同じくらい心理的後ろめたさからも来ているのではないでしょうか。
盧泰愚元大統領が「実際に日本の言論機関の方がこの問題を提起し」などと仰っていたのは初めて知りました。本当に韓国政府(過去のですが)の方がよくおわかりですね。驚きました。
日本政府や外務省はこういう実態をアメリカに知らせる努力を、なぜしないんでしょうね。
ブログに文字数制限があるので省略しました。
韓国も最初は自分達が補償しなければならなくなるので迷惑だったようですね。
しかし、今の盧武鉉大統領はどうしようもないです。
外務省は所謂従軍慰安婦についての認識が違いますね。
あらゆる関連本の中で一番良い。
この問題の全容も把握できる。