夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

『ゲンボとタシの夢見るブータン』

2021年05月17日 | 映画(か行)
『ゲンボとタシの夢見るブータン』(原題:The Next Guardian)
監督:アルム・バッタライ,ドロッチャ・ズルボー
 
緊急事態宣言発令下、大阪ではたった2館営業中の劇場のうちの1館、
十三の第七藝術劇場へこの日もGO。
1鑑賞につき1つ押してくれるスタンプがあっというまに10個貯まりました。
 
2017年のブータン/ハンガリー作品。
 
ブータン中部の小さな村ブムタンに暮らす一家。
長男のゲンボは16歳、父親が守る寺院を継ぐためには僧院学校に行かなければならない。
学校を辞めて父親の跡を継ぐべきかどうか悩んでいる。
長女のタシは15歳。性同一性障害で、サッカーが大好き。
自分の唯一の理解者であるゲンボには遠く離れた僧院学校に行ってほしくない。
 
ふたりの日々を中心に、父親と母親の目線からの話も綴られています。
 
LGBT問題も取り込んではいるものの、のどかな村の風景が心地よくて、
いつものようにしばしば睡魔に襲われる。
ぼんやりしているとエンドロールが流れ始めるという鑑賞になってしまったのですが、
上映終了後に配給会社のサニーフィルム代表と京都大学の熊谷誠慈先生による、
リモートトークショーがありました。これがとても面白かった。
 
兄を家に繋ぎ止めたい妹は、「僧侶になったら戒律を守らないといけないんだよ。
一生ヤレないんだよ。そんなこと守れる?」などと問いかけます。
寺院を守る父親が結婚したから子どもたちが生まれたわけなのに、
ゲンボが僧院に行ったら結婚できないってどういうことなのかと思ったら、父親は在家の僧なんですね。
息子は一旦出家させたい。しかし出家するとどこかほかの寺院に行かされるかもしれないから、
そのときには還俗して在家となり、実家の寺院を継いでほしいと思っているのではないかと。なるほど。
 
欧米の映画では、息子がゲイだとわかれば、母親がそれを受け入れたとしても、
父親は世間体などのこともあって絶対受け入れようとしない場合が多い。
少なくとも「いいよいいよ、おまえは好きなように生きろ」などという理解は示さない。
でもこの父親は「タシは生まれたときから自分のことを男だと思っているんだ。
前世が男だったのかもしれないね」とわりとあっけらかんと話します。
これはキリスト教と仏教の違いなのだということは、熊谷先生のお話でわかりました。
「自分のことを男だと思い込んでいるんだ」じゃなくて「思っているんだ」という翻訳もいいなぁ。
もともとのニュアンスがそうなのかどうかは知りたいところ。
 
また、ゲンボが「イマドキの恋愛は」などと言うシーンには、
オヤジみたいに達観したこと言いよるなと思っていたら、
仏教にちゃんとこういう言葉があるそうで、これもなるほどでした。
 
父親が寺院を継いでほしいと強く思っているのに対し、
母親が息子に望むのは、高校まではちゃんと行って、英語堪能になること。
外国人観光客相手に英語で案内できるようになってほしいと。超現実的。
 
インフラは遅れているけれどスマホなどのネット環境は逆に発達しているとの話も驚き。
「江戸時代にスマホがあるみたいな国」という熊谷先生の表現に笑いました。
 
国民の幸福を目指し、その指標をきちんと設け掲げている国。
こういったことを知ったうえでもう一度観たらより面白いだろうと思います。

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