『KANO 1931 海の向こうの甲子園』(原題:Kano)
監督:マー・ジーシアン
出演:永瀬正敏,坂井真紀,ツァオ・ヨウニン,吉岡そんれい,大沢たかお他
ほぼ1カ月の間に野球の映画が3本も公開されるとは珍しい。
『バンクーバーの朝日』、『アゲイン 28年目の甲子園』、そして本作。
野球好きとしては嬉しく、どれもよかったけれど、これがいちばん。
TOHOシネマズ西宮にて。
『海角七号 君想う、国境の南』(2008)と『セデック・バレ』(2011)、
あまりに異なる日本人の描かれ方に、同じ監督の作品なのかと驚きました。
しかし、日本人に対する憎しみは後者にも感じず、
日本人を正しく理解したいというウェイ・ダーション監督の姿勢を感じました。
その監督が脚本と製作を担当した本作は、本国台湾で空前の大ヒット。
本作の監督を務めたマー・ジーシアンは俳優でもあり、
『セデック・バレ』にモーナ・ルダオと敵対するタイモ・ワリス役で出演。
自身、日本人を憎んで当たり前のセデック族の家系なのに、
こんな作品を撮るなんて、それだけで胸が熱くなります。
現在の全国高等学校野球選手権は、1915(大正4)年に全国中等学校優勝野球大会として第1回が開催されました。
1920年代、日本統治時代の台湾のチームも台湾代表として出場を認められていましたが、
出場するのは台湾在住の日本人のみで編成された学校ばかり。
本作は1931(昭和6)年に初出場して決勝まで進んだ嘉義農林学校野球部の実話に基づいています。
「嘉農(かのう)」はみんなに使われていた略称。
日本統治下の台湾へ赴き、会計士となった近藤兵太郎(永瀬正敏)。
かつては愛媛県立松山商業学校を全国出場に導いたこともあるが、
その後は野球を避けるかのような毎日を送っている。
嘉農球部部長を務める教師の濱田次箕(吉岡そんれい)は、
そんな近藤にねばり強く野球部の監督就任を依頼する。
めげない濱田に近藤の妻(坂井真紀)は申し訳なく思うも呆れ顔。
ある日たまたま嘉農野球部の練習を見かけた近藤は、
ちょうどその日も依頼に訪れていた濱田に監督就任を承諾。
1勝もしたことのない嘉農にスパルタ式の厳しい練習を課す。
甲子園出場を果たすという近藤の言葉を最初は誰も信じないが、
毎日「甲子園」を連呼しながらランニングするうち、
それが夢ではないように思えてくる不思議。
初めて試合に勝ったのを皮切りに、快進撃を続ける嘉農野球部。
本命視されていた強豪校を次々と破り、甲子園出場を決めるのだが……。
甲子園で嘉農と対決して敗れた札幌商業学校野球部主将の錠者博美(青木健)が
1944(昭和19)年に台湾を訪れるシーンから始まります。
冒頭、いったい彼にどんな関係があるのかと思いますが、
部外者といえば部外者だった彼の嘉農に対する思いが終盤わかるので、
最初から大事に見ておきたいシーンです。
出番は少なくも灌漑事業に取り組む八田興一(大沢たかお)に励まされる様子は力強く、
パパイヤの木を人間に例える濱田の言葉も面白いです。
日本人と漢人と蕃人の混成チームが勝てるはずはないと嘲笑う者に、
蕃人の足の速さ、漢人の打撃、日本人の守備は目を見張るべき、
この混成チームは必ず最強のチームになると断言する近藤。
厳しい練習には賛否ありましょうが、
近藤の凄いところは、選手にただ「走れ」というのではなく、
自らも選手と一緒になって走るところだと思いました。
『アゲイン 28年目の甲子園』で印象的だった台詞、「ちゃんと負けてから次へ進め」。
近藤も、ちゃんと負けなかったから次へ進めなかったひとり。
ちゃんと負けることができたら、得られる何かが必ずあるはず。
数日前、ニュース番組の1コーナーで本作を取り上げていました。
帰国後の近藤監督に指導を受けたことがある元選手が言うには、
スパルタ式の厳しい練習といっても、近藤監督は選手に決して手を上げなかった。
選手を叩く指導者がいるけれど、叩く人は言葉が足りないんだよ、
言葉できちんと伝えようとしなければと、監督は話していたと。
東日本大震災のとき、世界最大の義援金を寄せてくれた台湾。
なのに、その台湾の新聞には感謝広告を寄稿しなかった日本政府。
2013年のWBCの日本vs台湾終了時、日本が台湾への支援感謝の横断幕を掲げ、
観客席全体から拍手が沸き起こったという話はいつ聞いても泣きそうになります。
本作が台湾で大ヒットしたということはどういうことなのか。
台湾の人たちは私たち日本人にこんな想いを持ち続けてくれている。
それをしっかり受け止めたいです。
監督:マー・ジーシアン
出演:永瀬正敏,坂井真紀,ツァオ・ヨウニン,吉岡そんれい,大沢たかお他
ほぼ1カ月の間に野球の映画が3本も公開されるとは珍しい。
『バンクーバーの朝日』、『アゲイン 28年目の甲子園』、そして本作。
野球好きとしては嬉しく、どれもよかったけれど、これがいちばん。
TOHOシネマズ西宮にて。
『海角七号 君想う、国境の南』(2008)と『セデック・バレ』(2011)、
あまりに異なる日本人の描かれ方に、同じ監督の作品なのかと驚きました。
しかし、日本人に対する憎しみは後者にも感じず、
日本人を正しく理解したいというウェイ・ダーション監督の姿勢を感じました。
その監督が脚本と製作を担当した本作は、本国台湾で空前の大ヒット。
本作の監督を務めたマー・ジーシアンは俳優でもあり、
『セデック・バレ』にモーナ・ルダオと敵対するタイモ・ワリス役で出演。
自身、日本人を憎んで当たり前のセデック族の家系なのに、
こんな作品を撮るなんて、それだけで胸が熱くなります。
現在の全国高等学校野球選手権は、1915(大正4)年に全国中等学校優勝野球大会として第1回が開催されました。
1920年代、日本統治時代の台湾のチームも台湾代表として出場を認められていましたが、
出場するのは台湾在住の日本人のみで編成された学校ばかり。
本作は1931(昭和6)年に初出場して決勝まで進んだ嘉義農林学校野球部の実話に基づいています。
「嘉農(かのう)」はみんなに使われていた略称。
日本統治下の台湾へ赴き、会計士となった近藤兵太郎(永瀬正敏)。
かつては愛媛県立松山商業学校を全国出場に導いたこともあるが、
その後は野球を避けるかのような毎日を送っている。
嘉農球部部長を務める教師の濱田次箕(吉岡そんれい)は、
そんな近藤にねばり強く野球部の監督就任を依頼する。
めげない濱田に近藤の妻(坂井真紀)は申し訳なく思うも呆れ顔。
ある日たまたま嘉農野球部の練習を見かけた近藤は、
ちょうどその日も依頼に訪れていた濱田に監督就任を承諾。
1勝もしたことのない嘉農にスパルタ式の厳しい練習を課す。
甲子園出場を果たすという近藤の言葉を最初は誰も信じないが、
毎日「甲子園」を連呼しながらランニングするうち、
それが夢ではないように思えてくる不思議。
初めて試合に勝ったのを皮切りに、快進撃を続ける嘉農野球部。
本命視されていた強豪校を次々と破り、甲子園出場を決めるのだが……。
甲子園で嘉農と対決して敗れた札幌商業学校野球部主将の錠者博美(青木健)が
1944(昭和19)年に台湾を訪れるシーンから始まります。
冒頭、いったい彼にどんな関係があるのかと思いますが、
部外者といえば部外者だった彼の嘉農に対する思いが終盤わかるので、
最初から大事に見ておきたいシーンです。
出番は少なくも灌漑事業に取り組む八田興一(大沢たかお)に励まされる様子は力強く、
パパイヤの木を人間に例える濱田の言葉も面白いです。
日本人と漢人と蕃人の混成チームが勝てるはずはないと嘲笑う者に、
蕃人の足の速さ、漢人の打撃、日本人の守備は目を見張るべき、
この混成チームは必ず最強のチームになると断言する近藤。
厳しい練習には賛否ありましょうが、
近藤の凄いところは、選手にただ「走れ」というのではなく、
自らも選手と一緒になって走るところだと思いました。
『アゲイン 28年目の甲子園』で印象的だった台詞、「ちゃんと負けてから次へ進め」。
近藤も、ちゃんと負けなかったから次へ進めなかったひとり。
ちゃんと負けることができたら、得られる何かが必ずあるはず。
数日前、ニュース番組の1コーナーで本作を取り上げていました。
帰国後の近藤監督に指導を受けたことがある元選手が言うには、
スパルタ式の厳しい練習といっても、近藤監督は選手に決して手を上げなかった。
選手を叩く指導者がいるけれど、叩く人は言葉が足りないんだよ、
言葉できちんと伝えようとしなければと、監督は話していたと。
東日本大震災のとき、世界最大の義援金を寄せてくれた台湾。
なのに、その台湾の新聞には感謝広告を寄稿しなかった日本政府。
2013年のWBCの日本vs台湾終了時、日本が台湾への支援感謝の横断幕を掲げ、
観客席全体から拍手が沸き起こったという話はいつ聞いても泣きそうになります。
本作が台湾で大ヒットしたということはどういうことなのか。
台湾の人たちは私たち日本人にこんな想いを持ち続けてくれている。
それをしっかり受け止めたいです。