思いがけず新しいガイドネトラさんの実家に泊まることになってしまった。
ネトラさんの実家は典型的な農家だ。
家に入っていくと若い女性がいる。ネトラさんの妹だという。
英語で挨拶すると「有り難う。こんにちは!」など知っている日本語をいってくれる。
お母さんも顔を見せてくれたので挨拶したが、直ぐに家の奥へ入ってしまう。
妹さんが台所の火のそばへ入れという。
そこでミルクティーをご馳走してくれる。
どうやら、この家に住んでいるのはネトラさんの両親と兄さん夫婦、それに妹さんの5人のようだ。
そして、家の直ぐ下にある段々畑がネトラ家の畑のようだ。
空が曇ってきて霧雨が降りだす。
対岸には遙か下の方にある川から延々と段々畑が山の上へと延びている。
これだけの段々畑をいったい何年かって作り上げたのだろうか?
気の遠くなるほどの時間がかかっているに違いない。
この段々畑の中を左から右に向かってアンナプルナ内院へ行く道が続いている。
ネトラさんは、霧雨が降る前に干してあったトウモロコシをまとめ、袋に入れていた。そして、私に1時間ほど留守にするけれど大丈夫かと聞く。
大丈夫だと答えると、そのトウモロコシ袋を額で担ぎ、谷の下へ向かって下っていった。
一人残された私は、何もすることがないので付近を散歩する。
直ぐ下に水汲場があり、その前を横断するような道が続いている。
どうやらこの道がガンドルクへ続く道のようだ。
戻ってくると、忙しそうにしている妹さんが手招きする。
外は寒いから火に当たれという。
ネトラさんの妹さんです。お世話になりました!
この場所が台所です。
広さは2メートル×3メートルほどの小さな部屋です。
床は土間なのですが、水フキされて表面はきめ細かくなめらかです。
この台所の手前にある土間のテラスも同じように水ぶきしているようで表面は綺麗に手入れされ、雨が降ったときなどは作業場となるようです。
このテラスに私がトレッキングシュ-ズのまま上がり込んだため表面の土が割れてしまいました。
すると妹さんが直ぐにホウキで掃いて細かな土を取り除きぞうきんで水フキします。
乾くとまた綺麗になるようです。
お兄さんのお嫁さんが外で仕事を始めました。
見ると大きなザルで穀物の選別をしているようです。
その手際に良いこと、ザルの中の穀物を振り上げ実の入っているものと殻のものをより分けているようです。
こんな光景は、昔、子供の頃に見たものです。
女性はよく働くし、きれい好きです。
家の前に積み上げられているマキの中に写真が1枚投げ捨てられていました。
その写真を拾って見ていると、ネトラさんがリラさんの奥さんだという。
リラさんというのは、私が今回のトレッキングのコーディネイトを頼んでいたガイドさんです。
カトマンズに住んでおり、トレッキングに来る前にリラさんのお宅で夕食をご馳走になりました。
その時に奥さんとも会っています。
リラさんの話だと、奥さんとはトレッキングガイドをしているときに見初めて結婚したといっていました。
今回のトレッキングでは妻の家の近くを通りますよ。
などといわれていたのですが、まさか、リラさんの奥さんの実家へ泊まることになるとは思いもしませんでした。
ネトラさんとリラさんの奥さんが兄弟だということは、ネトラさんの一番上の兄さんがバンタンティーで宿をやっているので、そこで手伝っていた奥さんをリラさんが見初めたということらしい。
ビビさんのおばさんが亡くならなければ、ネトラさんが私をガイドすることもなかっただろうし、この家に泊まることもなかった。
これが縁というものなのだろうか。
リラさんと私には不思議な縁があるのかも知れない。
さて、この民泊も善意で行われたわけではないようだ。
というのは、翌日の朝、ネトラさんがお人さんにお金を払っているようだった。
私の宿泊費はトレッキング費用として前払いしている。
宿へ泊まっても民泊しても私が支払うものではない。
ネトラさんが宿へ泊まったことにしてお兄さんへ私の宿代としてなにがしかのお金を支払うのは問題がない。
私が泊まったことでネトラさんの実家にとって貴重な現金収入をもたらしたならそれはそれでいいことだ。
夕食は、ダルバードをいただく。
妹さんが作ってくれたもので美味しかった。
夕食後はネトラさんがインド映画のビデオを写してくれたが、テレビの写りが悪く久しぶりに走査線が乱れた画像を見た。
電気は貴重なので、早々に寝ることにする。
ネトラさんの実家は典型的な農家だ。
家に入っていくと若い女性がいる。ネトラさんの妹だという。
英語で挨拶すると「有り難う。こんにちは!」など知っている日本語をいってくれる。
お母さんも顔を見せてくれたので挨拶したが、直ぐに家の奥へ入ってしまう。
妹さんが台所の火のそばへ入れという。
そこでミルクティーをご馳走してくれる。
どうやら、この家に住んでいるのはネトラさんの両親と兄さん夫婦、それに妹さんの5人のようだ。
そして、家の直ぐ下にある段々畑がネトラ家の畑のようだ。
空が曇ってきて霧雨が降りだす。
対岸には遙か下の方にある川から延々と段々畑が山の上へと延びている。
これだけの段々畑をいったい何年かって作り上げたのだろうか?
気の遠くなるほどの時間がかかっているに違いない。
この段々畑の中を左から右に向かってアンナプルナ内院へ行く道が続いている。
ネトラさんは、霧雨が降る前に干してあったトウモロコシをまとめ、袋に入れていた。そして、私に1時間ほど留守にするけれど大丈夫かと聞く。
大丈夫だと答えると、そのトウモロコシ袋を額で担ぎ、谷の下へ向かって下っていった。
一人残された私は、何もすることがないので付近を散歩する。
直ぐ下に水汲場があり、その前を横断するような道が続いている。
どうやらこの道がガンドルクへ続く道のようだ。
戻ってくると、忙しそうにしている妹さんが手招きする。
外は寒いから火に当たれという。
ネトラさんの妹さんです。お世話になりました!
この場所が台所です。
広さは2メートル×3メートルほどの小さな部屋です。
床は土間なのですが、水フキされて表面はきめ細かくなめらかです。
この台所の手前にある土間のテラスも同じように水ぶきしているようで表面は綺麗に手入れされ、雨が降ったときなどは作業場となるようです。
このテラスに私がトレッキングシュ-ズのまま上がり込んだため表面の土が割れてしまいました。
すると妹さんが直ぐにホウキで掃いて細かな土を取り除きぞうきんで水フキします。
乾くとまた綺麗になるようです。
お兄さんのお嫁さんが外で仕事を始めました。
見ると大きなザルで穀物の選別をしているようです。
その手際に良いこと、ザルの中の穀物を振り上げ実の入っているものと殻のものをより分けているようです。
こんな光景は、昔、子供の頃に見たものです。
女性はよく働くし、きれい好きです。
家の前に積み上げられているマキの中に写真が1枚投げ捨てられていました。
その写真を拾って見ていると、ネトラさんがリラさんの奥さんだという。
リラさんというのは、私が今回のトレッキングのコーディネイトを頼んでいたガイドさんです。
カトマンズに住んでおり、トレッキングに来る前にリラさんのお宅で夕食をご馳走になりました。
その時に奥さんとも会っています。
リラさんの話だと、奥さんとはトレッキングガイドをしているときに見初めて結婚したといっていました。
今回のトレッキングでは妻の家の近くを通りますよ。
などといわれていたのですが、まさか、リラさんの奥さんの実家へ泊まることになるとは思いもしませんでした。
ネトラさんとリラさんの奥さんが兄弟だということは、ネトラさんの一番上の兄さんがバンタンティーで宿をやっているので、そこで手伝っていた奥さんをリラさんが見初めたということらしい。
ビビさんのおばさんが亡くならなければ、ネトラさんが私をガイドすることもなかっただろうし、この家に泊まることもなかった。
これが縁というものなのだろうか。
リラさんと私には不思議な縁があるのかも知れない。
さて、この民泊も善意で行われたわけではないようだ。
というのは、翌日の朝、ネトラさんがお人さんにお金を払っているようだった。
私の宿泊費はトレッキング費用として前払いしている。
宿へ泊まっても民泊しても私が支払うものではない。
ネトラさんが宿へ泊まったことにしてお兄さんへ私の宿代としてなにがしかのお金を支払うのは問題がない。
私が泊まったことでネトラさんの実家にとって貴重な現金収入をもたらしたならそれはそれでいいことだ。
夕食は、ダルバードをいただく。
妹さんが作ってくれたもので美味しかった。
夕食後はネトラさんがインド映画のビデオを写してくれたが、テレビの写りが悪く久しぶりに走査線が乱れた画像を見た。
電気は貴重なので、早々に寝ることにする。
ガンドルクの周辺は、みなさんグルン族のようです。
といっても、私には良く分かりませんが、お父さんの服装が国際山岳博物館に展示されていたグルン族の服装でしたので、間違いないと思います。
ネトラさんは何族なんでしたっけ?