昭和20年8月15日は終戦の日です。その1日前14日に母の実家のある熊谷が空襲に会いました。
私が小学校二年生の時です。お盆で母は実家にお線香をあげに行くといっていたのですが、広島や長崎に原爆が落ちたりして危ないからといっていかないで居たのです。
その晩、熊谷が空襲にあい母の実家も丸焼けになってしまいました。
私の住んでいた町からも北東の空が真っ赤になっているのが見えました。
私達姉妹3人は(まだ下の妹は生まれていませんでした。)2階には父の妹夫婦が親子4人で疎開していましたので、その家族と一緒に裏の川原の方へ逃げていました。
父は家に残って守っていたのです。
その空襲で母の実家は焼けてしまい、もし、行っていたらどうしたろう、行かなくて良かったと子供心に思ったものです。
その翌日が終戦なのです。もっと早く終戦になっていたら熊谷も空襲にあわなくてすんだのにと思います。
長男の家族も小豆島旅行の様子を知らせながら夕飯を食べに来た。
Gは船で釣の行ったのが楽しかったようだ。また来年は1人で来なさいと皆に言われたそうだ。
私が小学校二年生の時です。お盆で母は実家にお線香をあげに行くといっていたのですが、広島や長崎に原爆が落ちたりして危ないからといっていかないで居たのです。
その晩、熊谷が空襲にあい母の実家も丸焼けになってしまいました。
私の住んでいた町からも北東の空が真っ赤になっているのが見えました。
私達姉妹3人は(まだ下の妹は生まれていませんでした。)2階には父の妹夫婦が親子4人で疎開していましたので、その家族と一緒に裏の川原の方へ逃げていました。
父は家に残って守っていたのです。
その空襲で母の実家は焼けてしまい、もし、行っていたらどうしたろう、行かなくて良かったと子供心に思ったものです。
その翌日が終戦なのです。もっと早く終戦になっていたら熊谷も空襲にあわなくてすんだのにと思います。
長男の家族も小豆島旅行の様子を知らせながら夕飯を食べに来た。
Gは船で釣の行ったのが楽しかったようだ。また来年は1人で来なさいと皆に言われたそうだ。