私は以前に教職員の研修で、プライバシー権について学んだことがあります。
その当時は、「プライバシーの侵害」とは、自分についての情報を自分でコントロールできない、自己決定できない状態であると聞いて、なるほどと思いました。
ところがいまこ日本では、自己の意思とは関係なく、個人に関するデータが第三者に流れ出て、プロファイル化され、さまざまなところで使われています。
そのことを聞いて「そんなのイヤだ」という人は多いのですが、これは権利の侵害であるのに、感覚や感情の問題になるのが日本なのです。
現在は莫大な情報が海のようにあふれるデジタル社会です。このあふれる情報社会では、どれだけ利用者に刺激的に迫り、関心を発信元へ引き寄せるかが重要になります。
身近なところでは、テレビ番組で最近よくありますが、
「このあと衝撃の結末が」
「とんでもない事実が明るみに」
などとナレーションや字幕を入れ、CMが入ります。
このようなやり方は、刺激的なフレーズを押し出し、視聴者の関心をその番組に引き寄せる効果をねらっています。
このやり方は、視聴者の認知領域に入り込み、個人の意思決定を操作しているのです。
いかに人の認知領域を制するかで、どのテレビ局が勝つかを競っているのです。
視聴者が知りたいことや見たいことを自分で自己決定できることは、自己情報をコントロールする権利が保障されているということです。