箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

関心が他者に向くこと

2020年11月24日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いまの人びとは、個人の関心が他者にではなく、自分に向く傾向が強くなっています。
この傾向を、研究者はプライバタイゼーション(privatizatin=私有化)と呼びます。

この用語が教育界や社会的な人間関係について使われるとき、プライバタイゼーションは「個人化」という意味でとらえることができます。

個人の関心が自分に向き、言動が他者ではなく自分軸で行われます。

他者のことよりも、「わたしが」、「わたしは」となります。

「わたしが、こんなに傷ついている」
「わたしがこんなにたいへんな思いをしているのに」
「わたしの悲しみ(腹立たしさ)をわかってほしい」
「わたしのことを気にかけてほしい」
・・・・・・・・・・・・・・・

みんなが「わたしのことをわかってほしい」という、ヒリヒリした気持ちでいるのです。そんな時代です。

そのなかでも、周りや環境になじめない、なじみにくい人は、臨床心理に基づくカウンセリングや教育相談で、傷ついた心を癒したいという人が増えています。

このコロナ禍で「自粛警察」が問題になったのも、「わたしはこんなにがまんしているのに」とか「わたしはこんなに協力しているのに」という思いが強いからと考えることができます。

「マスクをしない人は許せない」「時間を守らず店を開けて、けしからん」という発想になります。

そこで、いまの時代に必要なのは「公共性」という概念です。

「公共性」は、自分と社会の関係を知り、社会に参画する主体として自立することや他者と協働してよい社会をつくり、今の社会の課題を解決しようとする言動になって現れます。

公共性はさまざまな人が社会で共に生きていくために、学校の児童生徒が学習して、身につける言動様式です。

先ほどのマスクをする/しないについてなら、公共性を考える学習では、次のようになります。

小学生や中学生は、新型コロナウイルスに感染しても、それが即、生きるか/死ぬかという問題にはならず、無症状のままかもしれない。

でも、高齢者は体が弱ってくるので、感染すると重症になりやすい。
そのとき、マスクをしていれば、飛沫を防ぎ、感染しにくい。そこで街を行きかう人にマスクをしてほしいと願っている。だから、私たちはマスクをつける。

たんに「高齢者を大切にしよう」という価値観を教えるのではなく、高齢者が身体的に弱い場合が多いので大事にするのだと理解できます。

かといって、四六時中マスクをするのでなく、屋外の人が混み合っていない場面ではマスクを外していてもいい。
それでも誰かが前からやってきたらマスクをつけるのもありだね。

子どもたちは、このようなことを柔軟に考えます。

いまの日本はゼロか100の議論になりすぎます。
白か黒か、〇か×かという結論でなければならないという力学が働きます。

子どももたちが、ゼロか100ではなく、その中間を選ぶという公共性へ対応できることが望ましいのです。

人を排除するのではなく、合意に基づき誰にとってもよりよい社会を形成していく公共性を身につけることが、いま強く求められます。