箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「予定調和」は限定になる

2020年11月03日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ


現代の日本人は、自分の生き方や人生に計画をつくり、計画的に思い通りいくようにしたいという思いが強いようです。

国内で戦争がないという平和な時代、自由に生きることができるという原則が保障される国では、その土壌にどんな自分の人生のグランドデザインを描いて生きるかが、重要なテーマになります。

国内で紛争が続き、食べるものにも困るなどの国の状況では、生きるのに必死で、「どう生きるか」など考える余裕もないのです。

「豊か」で「平和」で「自由」のある国では、人びとはその人生を送るうえで、生き方を展開していくうえで、選択が必要になります。

その選択に伴う悩みもいろいろと生まれてきます。

たとえば、
「自分の好きなことを仕事につなげるか」
「夫の両親と同居するか」
「結婚しても、仕事を続けるべきか」
「子どもは2人目を産むべきか、3人目までにするか」
「転職するべきか」

このような悩みをもつ人は少なくありません。

このブログがテーマにしている子育てについても、悩みをもつ人はたいへん多いのです。

その悩みとは、「選ばなければチャンスを逃すことにはならないか」「選んでうまくいかなければどうしよう」などです。

このとき、ベストなチョイスをして、目標に向け努力する。それが、いい人生であり、幸せにつながる。

多くの人がそのように考えるのではないでしょうか。それは悪いことではありません。

しかし、選んだ結果、自分が思い描いた理想と現実がちがったとき、「わたしの生き方、人生は失敗でした」と思うのでしょうか。

もし、そうだとするならば、生きることには心配がつきまとい、不安が大きくなるだけです。

思い描いた通り、計画通りいかなかったとしても、その人の人生が不幸なのでしょうか。

わたしはそうは思いません。
思い描いた通りではないそれぞれの折に、得られた人との出会いや人間関係がその人のかけがえのない宝物になる場合もあります。

予定通り、時間通り、計画通り。人生はなかなかそうなりません。子育てでもなかなか思い通りにいくことはないのです。

それでも「まあ、いいか」と思いながら、計画から外れていく時間を楽しんでいくといいのです。
予定調和しないおもしろさ、楽しさを受け取るのです。

「予定調和」は、人生を限定してしまいます。可能性を狭めてしまいます。

そうではなく、自分に起こる予想できたこと、予想できなかったことの両方を受け入れて、そのなかを誠実に泳いでいけば、最後には「これでよかったんだ」と思える人生になるのでしょう。