箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

分断ではなく連帯

2020年11月08日 09時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ

 
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、解雇された人がいます。

健康保険料が支払えず、無保険の人がいます。

また感染する心配から、病院へ行かず、体調がよくなくても我慢して、持病が悪化の末、手遅れでなくなる高齢者が増えているとも聞きます。
 
今年になり、このように、いのちに関わる格差が深刻になっています。
 

新型コロナウイルスは、日本では社会の課題を明らかにしたのです。

格差は人と人の分断を加速します。


人と人が分断される問題に、人びとが意識を高くもっていないと、孤立する人がますます増えます。

このままでは、自死する人が増えるのでないかとも心配されています。


新型コロナウイルス収束後を見通した時、このままでは自力で元の生活に戻れる人とがんばっても戻れない人の格差がさらに進むでしょう。
 
その格差は、個人の努力がどうかではなく、社会のしくみが生み出したものです。

社会のしくみから生み出される問題には、公的な手厚い支援を行うことが必要です。

なのに、公的な支援をうけられず、置き去りにされた側の苦しみや痛みは、当事者でなければわかりにくいのです。

まわりの無理解から、「自助努力が足りない」「自己責任でしょう」という言葉が投げかけられます。

このように、生活困窮者など弱い立場の人は、社会の冷ややかな視線にさらされるのです。

 でも、じつは「自助」で救われない人は多いのです。
 
社会が行き詰まるほど、自助努力を求める声は高まるります。
 
自助を言う人は、自力で道を切り開いてきた人ほど、その思いが強く出るようです。

だが、苦労を重ねたからといって、他者の痛みに敏感だとは限りません。
 
「自助、次に公助、そして絆」と言いますが、公助が先であり、「絆」とは政治家に言われて目指すものではありません。
 
日本の社会は、今後、連帯に向かうのか、分断に向かうのか。

いま日本社会は、その分かれ目の曲面に来ていると思います。

子どもたちには、他者の思いに共感できる人になってほしいですし、社会のしくみによりうみだされる課題は他者と手を取り合い、つながることで解決に取り組むことを学習していってほしいと、わたしは願います。