前回の記事を読みながら、まるで他人事のように「人が消えるなんて有り得ないでしょう」と思っている自分がいる。
夢を見ていたのではないかと思う一方で、いや間違いなく現実だったと思い出す日々。
とはいえ、これも旅のよい思い出。きっと一生忘れられないと思う。
ところでまた旅の話。しつこく三回目。
旅の最終日は、帰りの飛行機が夕方の便だったので、大阪で少し観光をしようと思っていた。
そこで京都を出発する前に、朝からホテル近くにある東本願寺へ行ってきた。
東本願寺といえば浄土真宗お東の本山。
それほど熱心に信仰している訳ではないが、夫の家も私の実家も、知る限り祖父母からの門徒で、ちょうど良い機会なのでお詣りへ行ってきた。
開門は季節によって違うが、午前六時前後から誰でも自由に入ることができる。
到着したのは午前七時過ぎだったが、ちょうど読経が行われており、たくさんの方が手を合わせていた。
読経が終わり、次はお坊さんによる法話が始まったのだが、これがとても良いお話だった。
愚になりなさいというお話。
「愚」というのは、頭脳の良し悪しではなくて、人間がもともと持っている愚かなものをいうのだとか。
例えば自分を良く見せたいとか、人より上へ行きたいとか、自分に都合の悪いものを排除する、欲望に囚われ自分を見失う、他者を傷つけて悲しませるなどなど、一つは誰もが当てはまることばかりで耳が痛いのだけど、「愚になりなさい」とは、そのような自分の愚かさをよく知りなさいということだそうだ。
人間は、どうしても自分をよく見せたい、自己弁護して自分を正当化したいと思うものだ。
これはわずか一歳の子どもでもそうである(と言って、自分の子の幼い頃の話をして下さった)
自分の愚かさを認めるというのは、なかなか出来ることではない。
しかし自分の愚かさを認めることによって、初めて他者を認めることができる。
自分の愚かさをよく知ったものが、まことの人間であると仰られていた。
これは親鸞聖人の師匠で法然聖人の言葉だそうだ。
京都最後に朝から心が清められるようなお話を聴き、時間は短かったが大阪観光では、パワフルな大阪エネルギーを頂いて、今回の旅もまたとても充実したものになったと思う。
さらに夕方の飛行機では、素晴らしい景色を見ることができた。
関空から千歳まではずっと陸地の上を飛ぶのだが、今回は雲が少なくて陸地の様子がよく見えた。
地上に光る灯りを見ながら、灯りの一つ一つにいろんな方の人生があるんだなあ、、なんて思ったりして。
そして長い日本列島の上を飛びながら、京都最古の禅寺、建仁寺で見た天井画を思い出していた。
やはり日本列島は龍体なのかもしれない。
上の絵は2002年に創建800年を記念して描かれたものだが、その迫力たるや圧倒されるほどすごかった。