ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

義理の親子

2024-06-17 11:59:25 | 日記

夫が沈痛な表情を浮かべて言った。

「親父とお袋から、いつまでここに置いとくつもりだと言われた。もうそろそろ迎えに行かないといけないな」

それを聞いて動揺しながら考えていた。

「うちから向こうの実家へ戻って、まだ何年も経っていないのに、また戻りたいとは、、、引越しが大変だなぁ。でもそんなことより、自分はまた義父母と一緒に暮らしていけるだろうか。いやもう無理だ。でもそんなことを言ったら夫が困るだろうな、、でも戻ると言っているなら戻るのだろう。できるかな?わたし、、、」

とかなんとか、色々考えて動揺していたら目が覚めた。

義父が亡くなって13年、そして義母が亡くなって4年が経ったが、いまだにこんな夢を見るとは、義父母と暮らした15年は、これほど私の人生で記憶に残り、そして学ぶことが多い年月だったのかと思う。

義父母と暮らしてみて、これまで気づかなかった自分の欠点がよくわかったし、もちろん色々な葛藤もあった。

また、良い意味でも悪い意味でも義父母から学んだことは多かった。

結婚して、突然知らないおじさんとおばさんが親になり、「お父さん、お母さん」と呼んで、義理ではあるけど家族になり親子になるのだから、これはもう衝撃的な出来事だ。

ずっと昔から世界中?で行われて来たことだけど、よく考えてみると、すごいことだと思う。みんなよくやってるわと、今更思ったりする。

ところで息子夫婦から「一緒に公園へ行かないか」と誘われた。

たまには孫と遊びたいだろうと思ってくれる息子夫婦の優しさに、喜んで出かけて行った。

孫は可愛くて、最初は人見知りで隠れていたが、慣れてくると両手を広げて抱っこをせがむ姿に、じじもばばも顔のパーツすべてが下がりっぱなしになる。

孫がかわいいのは、世界共通なのかな?

でもお嫁さんはどうなのだろう?

嫁姑問題はずっと昔からあるし、こちらも世界共通ではないかと思うくらい、他国(数カ国)の人に聞いたところによれば、嫁姑問題はやはりあるそうだ。

ただどこでも例外はあって、嫁姑がとても仲良しという関係もあるだろう。

私は実母を早く亡くしたので義理の母と仲良しになりたいとずっと思っていた。

できれば二人で旅行もしたかった。

義母は海外へ行ったことがないから、行くならシンガポールがいいかな(なぜシンガポールなのか、今となっては謎だが)と思い、夫にもそれを話してOKをもらっていたのに、いつの間にかそんなことも頭の中から消えていた。

日常の些細な出来事が、心の殻をどんどん硬くして行ったように思う。

今思うことは、上辺だけではなく、もっと心の中から優しくできたらよかったのにということだが、当時の私にはそれができなかった。

だから、とてもよい勉強になったと義父母には感謝している。

というわけで、そんな反省を踏まえて、今度は姑となってお嫁さんに接して行こうと、息子が結婚する時に思ったものだった。

まずは第一に自分が言われて嫌だったことを、お嫁さんには言わないように気をつけようと思った。

例えば自分の知ってる育児法など、決して押しつけるように言わないことだが、ただお嫁さんの近くには実のお母さんがいるから、何かあればお母さんに聞くでしょうと思うので、これは私が口を挟むまでもなかったが。

さて息子夫婦と行った公園は、孫を見ているだけでも幸せで楽しかったが、今回はお嫁さんとたくさんお話しできたことが楽しかった。

家の中で話しているのとは違って、自然の中でのおしゃべりは、心が解放されるのか、普段は話さないようなことも話すことができた。

そして楽しくおしゃべりしながら、はたと気がついた。

今まで自分が嫁だとか姑だとか思っていたから、うまく接しているようでどこか無理をしていたのかもしれないと、、

だから義母についても、心から相手を受け入れることができなかった。

いつもどこかで緊張していることが、きっと相手にも伝わるのだ。

だから、これからは嫁とか姑だとかは考えず、久しぶりに会う友だちのように、自分が楽しくなるようにおしゃべりをしてつきあえばよいのだと思った。

まだまだ緊張感が伝わってくるお嫁さんだが、その緊張感を解いてあげようなんてことさえ思わなくていいのかなと思う。

無理をせず自然体で自分が楽しい気持ちになって、礼儀として相手が嫌がることはしないように気をつけていれば、それでいいのかもしれない。

 

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