ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

友人との会話

2018-05-10 16:59:40 | 日記
懐かしい友人からメールをもらった。

「久しぶりに電話で話さない?」と書かれたメールを読んで、すぐ「いいね」と返事を送った。

それからお互いに都合の良い日時を選んで、連休が終わった翌日の午後に話すことになった。

約束の時間になって、電話から聞こえてきたのは懐かしい声。
高校時代とまったく変わっていない。

彼女とは高校2年生の時に同じクラスになり、また部活が同じだったことが縁で友達になった。

彼女は興味を持ったことは何でも積極的にチャレンジをするタイプで、私はどちらかと言うと慎重派で一つの事を長く続ける保守的なタイプ。

全然似ていない者同士なのに、なぜか気が合った。

一緒だったのは高校2年生から卒業までの2年間だけだったが、それからもずっと友だちとして続いているのは、こまめに連絡してくれる彼女のおかげだったと思う。

「昔の10代から20代にかけて、交換し合った手紙が出てきたんだけどね。それを読んでいたら、急に声が聴きたくなっちゃって」と彼女は言ってくれた。

そういえば彼女は筆まめな人で、よく手紙を書いて送ってくれた。

だから、その返事として、私もまた彼女へ手紙を出していたような気がする。

「私の送った手紙、まだ持ってる?」と聞かれてどきりとした。

(無い。たぶん、いやかなりの確率で持っていない・・・)
そう思ったが、口には出せない。
手紙はもらった時に読んだら、後から取り出して何度も繰り返し読むということをしない私が、何十年も前の手紙を持ち続けていることはあり得なかった。

彼女はさすが大人なので、それには深くは触れず言った。

「手紙を読んでいたら、あの頃のことがよみがえって来たわ。ところで当時は思っていなかったけど、あなたって実は内面は男っぽかったのね。手紙を読み返してわかったわ」

彼女に男っぽかったと言われて、今なら「そうそう、そうなのだ~」と言える。

この歳になって、やっと自分自身のことが理解できるようになった。

私が子供の頃から女同士のべたべたとしたつき合いが苦手だったのも、井戸端会議(特に他人の噂話)が苦手だったのも、瞬間湯沸かし器(すぐにムカッとなる)だったのも、男性的な部分を多く持っていたからなのだと思う。

しかし、どんな人もみんな「男性的な部分」と「女性的な部分」というのを持ち合わせていると思う。

どちらの性がより強く出るかによって、内面が男性っぽかったり女性っぽかったりするのかもしれない。

男っぽいと友人に言われた私だが、今は女性に生まれてきてよかったと思っている。

人それぞれ色々な生き方があるが、私は女性として、結婚して家庭の中で家族の成長を見守ったり、手助けしたりすることがやりたかった。

このことが分かったのは、もう7~8年前のことだが、もしも過去生と言うものがあるのなら、これが今まで経験した多くの人生の中でやってこなかったことだったのではないかと思っている。

だから、今は自分のやりたいことをやることができて幸せ。

「主婦が天職です。これがやりたかったことです」と言ったら笑われるかもしれない。

でも、本心・・・

次回は書けたら、この続きを書いてみたいと思う。







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