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ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

手入れ

2017-08-03 17:08:19 | 日記
昨日は実家の庭の草むしりに行ってきた。夏は雑草が伸びるのも早い。

実家は街の中にあるので、生えてくる雑草の種類が山の中にある我が家と違って面白い。

山がすぐそばの我が家の庭では名前もわからない草類に混ざって、落ちた木の種が芽を出している。

草はまだしも、そのままにしておくと木の芽は大木に育ってしまうので、小さな葉のうちに抜くようにしている。

ところが実家の庭は木の芽はまったく出ていなくて、雑草というより隣家の庭から侵食してきたツタが幅を利かせていた。
また、我が家では見かけることがないドクダミもたくさん繁殖していた。

こちらの敷地に入った隣家のツタは遠慮なく抜かせて頂いて、ドクダミもあの独特の臭いに辟易しつつ抜いていって、一時間程かかってきれいにすることができた。

父が亡くなり、家主のいなくなった家は時々行って手入れをしないと、不思議なものであっという間に、家の中も外も荒れていくような気がする。

これは住宅に限らず自然も同じかもしれない。

人の手がほとんど入らないで植物が伸び放題になった自然の野山は、一見すると「荒れた」ように見えることがある。
草も木も大きく枝葉を茂らせて、周囲は薄暗くなり、そこへ入って行くにはかなり勇気がいるというのか、気味悪く感じる場所もある。

ただ、このような人間の手が入らない野山は、自然のままに長い年月をかけて、自然界のサイクルによって循環していくから、それはそれでよいのだろう。

問題なのは人と植物が共生している場所で、そのような場所ではやはり植物への手入れは欠かせないものなのではないかと思う。

「手入れ」というのは正直めんどうくさいことで、特に庭の草むしりなどはできることならやりたくないことなのだが、そこに人が関わる以上は、やはりやった方がいいものだと私は思っている。

多くの木々に囲まれて自然豊かな場所に建っている神社が、どうしてあんなに気持ちがよいのだろうと考えた時、それは植物の力もさることながら日々の手入れが行き届いているからだと思う。

手入れの行き届いた神社のように気持ちの良い場所にしたいと思いつつ、汗をかきながら実家と自分の家の草むしりをする日々です。




家の庭から見た森林。

毎日たくさんの小鳥や虫たちがこの木々の中を飛び回り、木の種を食べている。

そして、それを見ているだけで私も癒される。

鳥や虫を育てている木達だが、この家に越してきて12年、木はずいぶんと大きくなり、新しく芽吹いた木がまた育ってきて、森林が薄暗くうっそうとしてきたのが気になっている。

庭に覆いかぶさるようになった木もあって、秋になったらノコギリと鋏を持って、少し手入れをしに森へ入ろうかと思っている今日この頃です。









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