久しぶりに妹と二人で食事をした。
妹とは2月始めに父の介護をめぐって意見の相違があり、抑えていた怒りを私が妹にぶつけたことから、お互いになんとなく気まずい感じになり、それ以来ずっと会っていなかった。
その間まったく連絡はしていなかったのかというとそうではなかった。
このままの状態ではよくないと思った私は、なぜあの時、私が怒ったのかをきちんと話さなければと思っていた。
そこで2~3度電話をしたのだが、妹は用事があったのか分からないが、その時にすぐに電話に出ることは無く、いつもあとから電話がかかってきた。
しかも、いつも出先からかけてくる電話だった。
妹が自宅からの電話じゃないので、こちらも込み入った話などできない。
「もしかしたら妹は、この前のことを蒸し返されたくないのかもしれない。だから用事だけ話して電話を切りたいのかも・・」
そう思ったら、あえてそのことには触れなくてもいいか・・・と言う気持ちになり、父についての事務的な話だけをして電話を切った。
その後は、用事も無かったのでこちらから連絡をするということはせず、もちろん妹から連絡が来ることはなかった。
あれほど頻繁に長電話をし合っていたのに・・・と思うと、なんだか悲しかった。
しかし一方で、妹の言葉を思い出しては怒りの感情が湧きあがってくるのも事実だった。
自分はまだとても怒っているのだと分かった。
そして、この怒りの感情が湧きあがってくる間は、やはり妹と距離を置こうと思った。
姉妹や兄弟というのは、成人してお互いに家庭を持ったりすると、限りなく他人に近くなってしまうものなのだろうか。
一つ屋根の下に暮らしていた頃は、喧嘩をしてもしばらくするとなんとなく仲直りができたものだったが、お互いに家庭を持って離れて暮らすようになると、頻繁に顔を合わさない分、なかなか仲直りをするきっかけがつかめない。
こうして妹と距離をとるようになると、今までの妹との出来事などをよく考えるようになった。
そんな時は、喧嘩の原因となった妹との会話が思い出されてきて怒りの感情が湧いてきたり、悲しみの感情が湧いてきたりした。
また時には、今まで妹がしてくれたことを思い出して後悔する気持ちが湧いてきたりもした。
妹とぎくしゃくしてからしばらくは、妹のことを考えると怒り、悲しみ、後悔と言ったネガティブな感情が現れてきて苦しかったが、妹のこと以外では、普段の生活の中には喜びや嬉しさの感情も感じた。
日々、自分の中に色々な感情が湧いてきては消えていった。
人はこうして自らの中に色々な感情を作り上げて生きているものだったのかと、あらためて考えていた。
そうか、この感情を作り上げているのは他でもない自分自身だったのだ。
その出来事は出来事として起っただけのこと。
しかし、その出来事に対する私の感情や解釈の仕方で、自分の感情はこんなにくるくると変わるものなのだ。
昔、読んだ詩集の一遍が思い出された。
自分の感受性くらい
自分で守れよ
ばかものめ
詩人、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩の一文だが、ネガティブな感情が湧きあがってきそうになると、なぜかいつもこの詩が思い出された。
この前、本当に久しぶりに妹から父の事で電話があり、その時にゆっくりお互いの気持ちを話し合うことができた。
まるで冷たい氷が解けていくような気がした。
そして二人で食事に行った。
妹の話も聞き、妹に対する思いやりが私には足りなかったと反省した。
数ヶ月間の妹との関係は辛かったが、今回は自分自身を見つめるよい機会になったと思っている。
妹とは2月始めに父の介護をめぐって意見の相違があり、抑えていた怒りを私が妹にぶつけたことから、お互いになんとなく気まずい感じになり、それ以来ずっと会っていなかった。
その間まったく連絡はしていなかったのかというとそうではなかった。
このままの状態ではよくないと思った私は、なぜあの時、私が怒ったのかをきちんと話さなければと思っていた。
そこで2~3度電話をしたのだが、妹は用事があったのか分からないが、その時にすぐに電話に出ることは無く、いつもあとから電話がかかってきた。
しかも、いつも出先からかけてくる電話だった。
妹が自宅からの電話じゃないので、こちらも込み入った話などできない。
「もしかしたら妹は、この前のことを蒸し返されたくないのかもしれない。だから用事だけ話して電話を切りたいのかも・・」
そう思ったら、あえてそのことには触れなくてもいいか・・・と言う気持ちになり、父についての事務的な話だけをして電話を切った。
その後は、用事も無かったのでこちらから連絡をするということはせず、もちろん妹から連絡が来ることはなかった。
あれほど頻繁に長電話をし合っていたのに・・・と思うと、なんだか悲しかった。
しかし一方で、妹の言葉を思い出しては怒りの感情が湧きあがってくるのも事実だった。
自分はまだとても怒っているのだと分かった。
そして、この怒りの感情が湧きあがってくる間は、やはり妹と距離を置こうと思った。
姉妹や兄弟というのは、成人してお互いに家庭を持ったりすると、限りなく他人に近くなってしまうものなのだろうか。
一つ屋根の下に暮らしていた頃は、喧嘩をしてもしばらくするとなんとなく仲直りができたものだったが、お互いに家庭を持って離れて暮らすようになると、頻繁に顔を合わさない分、なかなか仲直りをするきっかけがつかめない。
こうして妹と距離をとるようになると、今までの妹との出来事などをよく考えるようになった。
そんな時は、喧嘩の原因となった妹との会話が思い出されてきて怒りの感情が湧いてきたり、悲しみの感情が湧いてきたりした。
また時には、今まで妹がしてくれたことを思い出して後悔する気持ちが湧いてきたりもした。
妹とぎくしゃくしてからしばらくは、妹のことを考えると怒り、悲しみ、後悔と言ったネガティブな感情が現れてきて苦しかったが、妹のこと以外では、普段の生活の中には喜びや嬉しさの感情も感じた。
日々、自分の中に色々な感情が湧いてきては消えていった。
人はこうして自らの中に色々な感情を作り上げて生きているものだったのかと、あらためて考えていた。
そうか、この感情を作り上げているのは他でもない自分自身だったのだ。
その出来事は出来事として起っただけのこと。
しかし、その出来事に対する私の感情や解釈の仕方で、自分の感情はこんなにくるくると変わるものなのだ。
昔、読んだ詩集の一遍が思い出された。
自分の感受性くらい
自分で守れよ
ばかものめ
詩人、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩の一文だが、ネガティブな感情が湧きあがってきそうになると、なぜかいつもこの詩が思い出された。
この前、本当に久しぶりに妹から父の事で電話があり、その時にゆっくりお互いの気持ちを話し合うことができた。
まるで冷たい氷が解けていくような気がした。
そして二人で食事に行った。
妹の話も聞き、妹に対する思いやりが私には足りなかったと反省した。
数ヶ月間の妹との関係は辛かったが、今回は自分自身を見つめるよい機会になったと思っている。