198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

銭ゲバ最終回。

2009-03-14 23:19:10 | 「愛と誠」と「朝日の恋人」(チクマ秀版社)梶原一騎の世界
先程、銭ゲバが終わった。最初から最後まで目が離せない展開が続き、この冬一番の楽しみにしている番組だった。
(2番目は、アグリべティー、出版業界の内幕が良く描けていて笑えるし、やけにリアルな番組だ)
私があった時のジョージ秋山先生は、さすがは銭ゲバの作者と思わせるだけの人物。
いまは、廃業してしまったチクマ秀版社から、かつての(パットマンX )などの初期作品からの少年物を、いくつかセレクトして出していきたいと相談しに編集者二人と三人で仕事場へ訪ねたのだ。
その日は広いマンションの一室に先生一人だけ。
約束の6時に訪ねていくと、先生自らのお出迎えに恐縮しきりの三人。
最初、缶に入ったウーロン茶が出され、話が始まると直ぐに紙コップにヘネシーがストレートで出される。そう、ウーロン茶は、ヘネシーを割るために出されたのだ。
そして、(自分の少年物はあまり売れないから出さない方が良い)と言われ、(そこを何とか出させて貰えませんか?)
と粘る三人。
(青年物ならいいけど、どう?)
(いや、少年物で)
と我々三人は引き下がらない。
延々と話は続き夜は更けていく。
途中、先生の最近の仕事の話になり、書き下ろしの聖書物語についてや、幻冬舎創立10周年記念事業出版(武士道というは死ぬことと見つけたり・2004年)
に話が及ぶ。
だがこの時、我々は何と三人ともまだ先生の書き下ろし作品を読んでいなかったからさあ大変!!
(読んでないのに来たの!そんな編集者は初めてだ !)
と凄い剣幕。
(これで全てが終わった) と思い観念して帰ろうとしたところ、先生が奥から本を持って来てプレゼントしてくれたのだ。
そして、武士道についての話となる。
私の先祖は、サムライが誕生してから幕末明治維新になるまでそのほとんどがサムライであった。
佐渡の地頭時代には、日蓮上人との逸話がのこっている。
上杉により、佐渡を追われるまでの記録と、その後、庄内酒田の三代目、光丘の子が分家して庄内鶴岡に武家として分かれてから幕末明治維新までが庄内藩のサムライである。
本間光丘は9代前の先祖、最近、株式相場の神様として話題になる本間宗久はその叔父にあたる。
本間ゴルフの前社長一族の素性は良く分かっていないし、私の家とは何ら関係ない。
佐渡に本間の苗字は今も多いが、上杉との戦いで、そのほとんどが滅び、主流は庄内に移っている。
私の父の実家は、鶴岡では古い本間家だが、酒田との行き来はなくなっている。さて、肝心のジョージ秋山先生についてだが、ジョージ秋山先生は、この話を興味深く聞くと、
(この本で、間違っていることがあったら教えてね。)
と、すっかり上機嫌になり、ヘネシーのボトルが一本空いてしまう。
時間も既に11時をまわっている。
結局、その日は契約はまとまらず、また後日とあいなった訳だが、売れっ子の先生の大事な時間を5時間以上(通常インタビューでも1時間ぐらいが標準である)も使わせてしまって、大変恐縮していると、先生は一言
(締め切りを一日間違えちゃって昨日原稿終わらせちゃったんだ。だから今日は暇だったんで来てくれて丁度良かったよ。)
何の事はないジョージ秋山先生は、退屈しのぎに初対面である私達三人を相手に5時間半にわたり暇潰しをしていたのである。
さすがは、ジョージ秋山先生、と感心してサ三人は家路を急いだのである。

最後に、私個人としてもう一度読みたいジョージ秋山作品は、(花のよたろう)である。少年チャンピオンコミックスに一度だけまとめられたことがあるのだが、最後まで収録されていない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 倉持功さんと二上洋一さんと私 | トップ | 赤塚不二夫先生から貰ったサイン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

「愛と誠」と「朝日の恋人」(チクマ秀版社)梶原一騎の世界」カテゴリの最新記事