森木亮 『日本国破産への最終警告』 ( p.46 )
日本の国債は 60 年償還とされているが、その国債によって造られた公共施設は 60 年も使えない。社会資本の平均耐用年数は 60 年に満たない ( すべての社会資本を平均すれば 32 年 ) 。外国の国債は 20 ~ 40 年償還が多い、と書かれています。
引用文中の 「社会資本の平均耐用年数」 を、左に示します ( 出典は、「経済企画庁: 日本の社会資本(1997年)」 と書かれています ) 。
この表を見ると、たしかに、公共施設の平均耐用年数は、60 年未満であり、すべての平均耐用年数の平均は、32 年です。
したがって、日本は、おおよそ 32 年しか使えないものを造るために、期間 60 年の借金をしていることになります。
これはすなわち、「私たち、いまの世代の者の利益のために、後の世代に借金を押しつけている」 ことにほかなりません。
私たちは、国債を発行して、道路や空港を造り、その便益を享受している。国債は 60 年償還であり、当面、支払いは問題にならない。お金を払わず、利益のみを享受しうるのですから、これほど好都合なことはありません。
しかし、後の世代の者は、耐用年数を過ぎて、もはや使いものにならなくなった道路・橋・空港などの建設費用を、支払い続けなければならない。これほど理不尽な話もありません。
さらに、道路や橋・空港などは、耐用年数を過ぎたあと、修理するなり、再び造るなりする必要もあるはずです。とすれば、後の世代の人々は、自分たちに必要な社会資本建設費用と、私たちが造った社会資本建設費用 ( のツケ ) を、両方、負担しなければならないことになります。本当に、負担しきれるのでしょうか。
私たちは、本来の実力以上に、裕福な暮らしを享受しているのかもしれません。
景気対策などの費用として、次々に国債が発行されています。景気対策には雇用対策としての側面もあり、簡単に 「やめろ」 と言うわけにもいかないのですが、私たちは、贅沢すぎるのかもしれません。
それではどうすればよいのか。次は、国債について考えたいと思います。
国債が累積したのは、財務省の「亡国の技巧」による。
その第一は、「国債の六十年償還ルール」だ。六十年がいかに非合理的な期間かは、政府が定めている社会資本の耐用年数(これとてさしたる根拠はないが)が平均三十二年しかないことをもってしても指摘できる。日本の国債が原則として六十年という超長期償還制度になっているということは、社会資本は六十年以上の耐用年数に耐えられなければならない。
ところが、別表「社会資本の平均耐用年数」を見ると、最も長い学術施設でも五十三年だ。道路は四十五年、下水道は三十四年だ。ということは、我々の子孫は使い物にならない公共施設を抱えながら、借金だけが残っており、なおかつ金利を払い続けなければならないわけである。
会計学の常識では、耐用年数が三十二年ならば、二十年以内の償還が原則である。
六十年償還という年限は、政令や省令にも規定はない。いわば恣意的な年限だ。これにくらべると、日本の地方債は多くが二十年償還である。諸外国の国債でも二十年から四十年が多い。いかに日本国債の六十年償還が異常であるかがわかるのではなかろうか。
日本の国債は 60 年償還とされているが、その国債によって造られた公共施設は 60 年も使えない。社会資本の平均耐用年数は 60 年に満たない ( すべての社会資本を平均すれば 32 年 ) 。外国の国債は 20 ~ 40 年償還が多い、と書かれています。
部門別 | 平均耐用 年数(年) |
---|---|
道路 | 45 |
港湾 | 50 |
航空 | 17 |
JR | 22 |
鉄建公団等 | 26 |
地下鉄等 | 36 |
NTT | 16 |
下水道 | 34 |
廃棄物処理 | 15 |
水道 | 32 |
都市公園 | 19 |
学術施設 | 53 |
社会教育施設 ・文化施設 | 48 |
治水 | 49 |
治山 | 47 |
海岸 | 50 |
農業 | 32 |
林業 | 27 |
漁業 | 50 |
郵便 | 27 |
国有林 | 34 |
工業用水道 | 40 |
合計 (平均として) | 32 |
引用文中の 「社会資本の平均耐用年数」 を、左に示します ( 出典は、「経済企画庁: 日本の社会資本(1997年)」 と書かれています ) 。
この表を見ると、たしかに、公共施設の平均耐用年数は、60 年未満であり、すべての平均耐用年数の平均は、32 年です。
したがって、日本は、おおよそ 32 年しか使えないものを造るために、期間 60 年の借金をしていることになります。
これはすなわち、「私たち、いまの世代の者の利益のために、後の世代に借金を押しつけている」 ことにほかなりません。
私たちは、国債を発行して、道路や空港を造り、その便益を享受している。国債は 60 年償還であり、当面、支払いは問題にならない。お金を払わず、利益のみを享受しうるのですから、これほど好都合なことはありません。
しかし、後の世代の者は、耐用年数を過ぎて、もはや使いものにならなくなった道路・橋・空港などの建設費用を、支払い続けなければならない。これほど理不尽な話もありません。
さらに、道路や橋・空港などは、耐用年数を過ぎたあと、修理するなり、再び造るなりする必要もあるはずです。とすれば、後の世代の人々は、自分たちに必要な社会資本建設費用と、私たちが造った社会資本建設費用 ( のツケ ) を、両方、負担しなければならないことになります。本当に、負担しきれるのでしょうか。
私たちは、本来の実力以上に、裕福な暮らしを享受しているのかもしれません。
景気対策などの費用として、次々に国債が発行されています。景気対策には雇用対策としての側面もあり、簡単に 「やめろ」 と言うわけにもいかないのですが、私たちは、贅沢すぎるのかもしれません。
それではどうすればよいのか。次は、国債について考えたいと思います。