紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.324 )
政府は、年金積立金は過少に見せ、年金給付額は多めに見せている。公的年金は賦課方式なのに、積立不足を言い立てている。政府は年金の危機を演出しているのではないか。年金が本当は大黒字であって危機ではない旨、厚労省の元年金数理課長の確認を得ている、と書かれています。
これ、本当だったら凄いですね。
厚労省の元年金数理課長の確認を得ている、と書かれていますが、上記が本当だとして、そんなことを ( 退官後の? ) 官僚が言うのか、かなり疑問です。「元」 年金数理課長とはいえ、認めて大丈夫なのでしょうか? 気になります。
著者も、というか、出版社も、「元年金数理課長の確認を得ている」 と書かれている部分が決定的に重要なところであるにもかかわらず、「厚労相の元年金数理課長」 などと、記述の信頼性にかかわる誤植をしないでいただきたいところです。
年金が本当は大黒字であるとすれば、年金改革は不要、と考える余地が生じてきます。
しかし、( 年金が大黒字であり、年金制度を信頼するとしても ) 社会保険庁に対する信頼は失われているのですから ( 「消された年金」 参照 ) 、年金保険料を徴収するのではなく、年金は税方式にしたほうがよいのではないかと思います。
黒字だから改革する必要はない、と考える必要はありません。( 信頼を取り戻すために ) 黒字であっても改革しなければならない、と考えるのが自然だと思います。黒字であれば、改革に時間をかける余裕がある、というにすぎません。
なお、公的年金は賦課方式なのに積立不足を言い立てている、という部分は、「現在は3・5人の働き手が一人の高齢者を養っているが、近い将来1・5人に一人になる」 ことを踏まえ、再び人口が増加に転じるまでの期間、( 現在の ) 保険料収入で ( 現在の ) 年金給付を行う 「補填必要額」 を考えれば、積立不足であるとみる余地があり、
( 賦課方式であるにもかかわらず ) 積立不足を言い立てているからといって、政府が事実を曲げていることにはならない、と考えます。
この問題については、以前、「年金積立金の使途」 に書いています。私の考えかたを知りたいかたは、お読みください。
■追記
常識的に考えて、現役世代の人口が減り、年金受給世代の人口が増えるのですから、賦課方式の年金制度は破綻する、と考えるのが、自然だと思います。したがって、「年金が本当は大黒字であって財政危機ではない、という点については、厚労相の元年金数理課長の確認を得ている。」 の記述については、元年金数理課長が 「いまのところ、大黒字であって財政危機ではない」 と言った、と解釈するのが自然ではないかと思います。
年金財政には数々の嘘がある。第一に、公表されている積立金の額は実際よりも過少である。平成15年、年金改革にあたり、小泉政権は年金積立金は147兆円と発表したが、実は、これは実際より80兆円少ない。厚生年金の代行部分30兆円と共済年金の積立金50兆円が含まれていなかったからである。
年金財政の危機を示すために、過少申告したのである。本当は227兆円あったわけだが、その後の運用益の積み増しもあり、少なくとも230兆円はあると推定される。共済年金は厚労省ではなく財務省が管理しているが、公的年金に違いなく、一本化の話もあるのだから、積立金からはずすのは変である。
第一、大きく見せたい年金給付額には、共済年金も含めているのだから矛盾である。年金制度が複雑なのを良いことに、都合よく数字を操作しているとしか思えない。いずれにしろ、公務員の共済年金が当初から別扱いというのも腑に落ちない。国鉄共済など財政悪化の年金をつぎつぎ厚生年金に押しつけて、共済年金だけは、健全経営だ。
ずいぶん国民を馬鹿にした話だが、政府発表の数字の矛盾を指摘する声は、マスコミからも専門家からも聞こえてこない。
第二に、「積立金が足りない」という嘘である。実は日本の公的年金の積立金は国際的にも突出して巨額である。公的年金はどの国も、現在の働き手の保険料を、現在の高齢者の給付に使う「賦課方式」をとっており、積立金は原理的にはゼロで良いから、他の国はごくわずかな積立金しか持たない。
「現在は3・5人の働き手が一人の高齢者を養っているが、近い将来1・5人に一人になる」と高齢化の危機を煽ってきたのをみると、わが国の公的年金も賦課方式のはずである。しかし、それなら、同時に「積立金が450兆円足りない」と主張するのはきわめておかしい。
積立金が足りないという計算が「積立方式」に基づくものだからだ。積立方式とは民間年金の方式で、若い時代に積み立てたものを、年をとってから取り崩す。当然、積立金があり、積立金不足という事態も生じ得る。しかし、賦課方式の公的年金で、積立方式に基づく年金不足を計算することに何の意味もない。もちろん、公的年金もある程度の予備費を持つのが通常である。保険料収入の増減によって給付が不安定になるのを防ぐためだ。しかし他国は、数カ月から1年数カ月の給付を賄う予備費しか持たないのに、日本はなんと5年半分の予備費を持っている。
この予備費を「積立金」と呼ぶこと自体ミスリードで、賦課方式の公的年金で積立不足を言い立てる矛盾を許す土壌を作った。政府は、日本は「修正積立方式」だと言うが、いずれにしろ、賦課方式100%のときの不足と、積立方式100%のときの不足の両方を言い立てるのは矛盾である。そうまでしなければ、危機を証明できないのなら、本当に危機なのかどうかが怪しくなってくる。
このような情報操作を許したのは、ひとつには年金の仕組みが複雑すぎること、国民にわからないように、わざと複雑にしているのではないかと思うほどだ。
ちなみに、年金が本当は大黒字であって財政危機ではない、という点については、厚労相 (引用者註: 原文ママ) の元年金数理課長の確認を得ている。
政府は、年金積立金は過少に見せ、年金給付額は多めに見せている。公的年金は賦課方式なのに、積立不足を言い立てている。政府は年金の危機を演出しているのではないか。年金が本当は大黒字であって危機ではない旨、厚労省の元年金数理課長の確認を得ている、と書かれています。
これ、本当だったら凄いですね。
厚労省の元年金数理課長の確認を得ている、と書かれていますが、上記が本当だとして、そんなことを ( 退官後の? ) 官僚が言うのか、かなり疑問です。「元」 年金数理課長とはいえ、認めて大丈夫なのでしょうか? 気になります。
著者も、というか、出版社も、「元年金数理課長の確認を得ている」 と書かれている部分が決定的に重要なところであるにもかかわらず、「厚労相の元年金数理課長」 などと、記述の信頼性にかかわる誤植をしないでいただきたいところです。
年金が本当は大黒字であるとすれば、年金改革は不要、と考える余地が生じてきます。
しかし、( 年金が大黒字であり、年金制度を信頼するとしても ) 社会保険庁に対する信頼は失われているのですから ( 「消された年金」 参照 ) 、年金保険料を徴収するのではなく、年金は税方式にしたほうがよいのではないかと思います。
黒字だから改革する必要はない、と考える必要はありません。( 信頼を取り戻すために ) 黒字であっても改革しなければならない、と考えるのが自然だと思います。黒字であれば、改革に時間をかける余裕がある、というにすぎません。
なお、公的年金は賦課方式なのに積立不足を言い立てている、という部分は、「現在は3・5人の働き手が一人の高齢者を養っているが、近い将来1・5人に一人になる」 ことを踏まえ、再び人口が増加に転じるまでの期間、( 現在の ) 保険料収入で ( 現在の ) 年金給付を行う 「補填必要額」 を考えれば、積立不足であるとみる余地があり、
( 賦課方式であるにもかかわらず ) 積立不足を言い立てているからといって、政府が事実を曲げていることにはならない、と考えます。
この問題については、以前、「年金積立金の使途」 に書いています。私の考えかたを知りたいかたは、お読みください。
■追記
常識的に考えて、現役世代の人口が減り、年金受給世代の人口が増えるのですから、賦課方式の年金制度は破綻する、と考えるのが、自然だと思います。したがって、「年金が本当は大黒字であって財政危機ではない、という点については、厚労相の元年金数理課長の確認を得ている。」 の記述については、元年金数理課長が 「いまのところ、大黒字であって財政危機ではない」 と言った、と解釈するのが自然ではないかと思います。