言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

弱者にも法的救済が必要

2009-10-19 | 日記
la_causette」 の 「夢想家でも完全主義者でもない

被害者は、その中傷者に対し慰謝料の支払いを求めることができますし、民事訴訟の判決文の中で、その摘示事実が真実であると信ずるに足りる証拠がないことを明らかにしてもらうことで、名誉の回復を果たすことができる場合があります。


 ( 中傷等、なんらかの ) 被害を受けた場合、訴訟により、法的な救済を求める道がある、と書かれています。



 ( 私は実名主義者ではありませんが ) それはその通りだと思います。

 しかし、( 上記記事の趣旨から外れることを承知のうえで、書けば ) 民事訴訟による法的救済は、通常、弁護士に依頼しなければ実現しません。もちろん、弁護士に依頼せず、自分で訴訟活動をする ( 本人訴訟 ) という方法もありますが、大多数の人にとっては、そんな知識も時間もないのが、実情だろうと思います。

 ところが、弁護士費用は高い。

 したがって、普通の市民としては、なかなか弁護士に相談・依頼するわけにはいかない、というのが現実です。



 小倉先生が、弁護士として、社会正義の実現を求めたり、被害者救済を主張されるのは当然だとは思いますが、法の適用は、社会的・経済的弱者にも等しくなされなければなりませんから、

 普通の市民 ( 庶民 ) が弁護士に相談・依頼しやすいように、弁護士費用を下げる方向の主張もしていただけないものか、と思います。その方法として、弁護士増員は、きわめて有効であると考えられますから、小倉先生には、ぜひとも、( 増員に反対せず ) 増員賛成論を主張していただきたいところです。





 もちろん、実名使用を強制したら誹謗中傷がなくなるとは申しません。法学系の人間は、ある対策を講じたらある種の行為が完全になくなると考えるほどの夢想家ではありませんが、だからといってその対策が講ずるに値しないと考えるほど完全主義者でもありません。社会的に好ましくない事態の発生頻度をそれなりに減少させることができるのであれば、それはそれで意味があると考えるのが、法学系の基本的な発想だろうと思います。


 私も、弁護士を増員すれば弁護士費用が安くなり、普通の市民 ( 庶民 ) が泣き寝入りしなくてもすむ世の中になる、とまでは申しません。

 しかし、だからといって弁護士増員をやめれば、これまでと変わらず、弁護士費用は高いままであり、市民が依頼しづらい価格が維持されるであろうことは、まず、間違いないだろうと思います。

 お金に余裕のある人以外は、被害の救済を求めるために、弁護士に相談・依頼するのは困難である状況が、弁護士増員により、一定程度軽減される可能性が高いのであれば、弁護士を増員すべきであると考えるのが、( おそらく ) 普通の市民感覚であり、この感覚は、

 法学系の基本的な発想 ( であろう考えかた ) をされる小倉先生には、ご理解いただけるものと信じております。



 小倉先生には、ぜひとも、積極的増員論を主張していただきたい、と強く願わずにはいられません。



■追記
 弁護士には、「一見さんお断り」 のかたもいらっしゃいますが、それは事実上、「コネのない人を助ける気はない」 と言っているのと同じです。弁護士に受任義務がないのは承知していますが、「一見さんお断り」 はなんとかならないものか、と思わざるを得ません。

郵政改革 ( 小泉改革 )

2009-10-19 | 日記
 以下は、「郵政改革肯定論」 の続きです。



紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.367 )

「民にできることは民に」は小泉改革のキャッチフレーズだった。このキャッチフレーズはきわめて正しい。小泉改革の誤りは、「民にできないこと」を民にやらせようとしたことだ。
 宅配会社はたしかに郵便物を配達してくれる。書類も本も荷物も配達「できる」のである。郵便貯金がなくても民間の金融機関で預貯金「できる」し、簡易保険がなくても民間の生命保険会社で生命保険に入ることが「できる」。民にできるのだから、郵政三事業を公的に行う必要はない、というのが郵政民営化論の大きな根拠だった。
 だが議論すべきは、宅配ができるか、預貯金・生命保険が提供できるかどうかの点ではない。「どこでも」同じ料金で配達できるか、「過疎地でも」サービスできるか、「小口でも」同じ手数料でサービスできるか、であるはずだ。だが、郵政民営化の議論では、技術的に可能かどうかと、ビジネスとして採算があうかどうかの問題が必ずしも区別されず、論点が整理されていない。
 その気になればできることでも採算がとれなければ、「民にはできない」。民間企業が責任を負うべきは「国民」ではなく「株主」だからである。「営利追求」のビジネスとしては成り立たないが、国民生活を守るためには必要なことは数多い。自由競争の民間の市場メカニズムだけで、国民生活が成り立つなら政府は要らない。小さな政府どころか政府そのものが無用なのである。

(中略)

 まず議論すべきは「どこでも」「過疎地でも」「小口でも」同じようにサービスを受けられること(料金を含めて)が、つまりユニバーサル・サービスが国民にとって「必要かどうか」の点である。必要であるというのが国民の結論なら、次に議論すべきは、それをどういう形で提供すれば、国民負担がもっとも小さくて済むかである。公的事業として行うより民間に補助金を出してやらせた方がコストが低いならそれでも良い。


 民間に 「できる」 かどうかを考える際には、経済的に 「できる」 かどうかを考えなければならない。まず、ユニバーサル・サービスが国民に必要かどうかを考え、必要であるなら、次に、どういう形で行えば国民負担がもっとも小さくなるかである。補助金を出して、民間にやらせた方がコストが低いならそれでもよい、と書かれています。



 著者は、ユニバーサル・サービスは民間には 「できない」 と考えています。上記記述は、民間に、ユニバーサル・サービスを行うことは不可能だという前提に立っています。

 しかし、なぜ、そう考えるのでしょうか? 民間にはできない、というのは、著者の 「思い込み」 かもしれません。

 ユニバーサル・サービスを義務づけたうえで、民営化すれば、それで問題はないと思います。実際、



政府広報オンライン」 の 「郵政民営化が始まりました

郵便事業株式会社については、郵便のユニバーサルサービスの提供義務が課され、これまでと同様、全国一律の郵便サービスが継続されます。




 ユニバーサル・サービスが義務づけられており、著者の批判は、どこかズレているのではないかと思います。



 著者は、「公的事業として行うより民間に補助金を出してやらせた方がコストが低いならそれでも良い」 と書かれているのですから、「補助金を出さずに」 民間にやらせた方がコストが低いなら、なんの問題もない、と考えておられるはずです。

 それならば、ユニバーサル・サービスを課したうえで民営化し、うまくいかなければ、補助金を出すなり、民営化を中止する ( 元に戻す ) なりすればよいと思います。

 試してみなければわからないからです。



 なお、「試してみる」 と考える以上、当然、「うまくいかなければ元に戻す」 道が確保されていなければなりません。したがって、



同 「郵政民営化が始まりました

郵政民営化は段階的に進められていきます。

本年10月1日、日本郵政公社が解散し、政府が100%株式を保有する持株会社「日本郵政株式会社」と、その傘下の四つの事業会社(「郵便事業 株式会社」「郵便局株式会社」「株式会社ゆうちょ銀行(郵便貯金銀行)」「株式会社かんぽ生命保険(郵便保険会社)」)が日本郵政公社の業務などを引き継 ぎ、事業を開始しました。この時点では、四つの事業会社のすべての株式を日本郵政株式会社が保有しています。

今後、遅くとも平成29年9月30日までに、日本郵政株式会社が保有する株式会社ゆうちょ銀行と株式会社かんぽ生命保険の株式は完全に処分することが義務付けられています。その結果、両社に対する政府の間接出資がなくなり、完全な民営化が実現することになります。

ただし、それ以降も、郵便事業株式会社および郵便局株式会社の株式については、日本郵政株式会社が100%保有し、政府は、日本郵政株式会社の 株式の3分の1超を保有することとされています。これは、郵便事業株式会社による郵便のユニバーサルサービス(全国一律のサービス)の提供や、郵便局株式 会社による郵便窓口業務の提供といった政策目的に対応する措置です。


 全株放出、あるいは、株式の3分の1超を保有、と定められている、と書かれていますが、



 株式の過半数を保有すべきだと思います。いつでも元に戻せるようにするためには、政府が議決権の過半数を保有する必要があるからです。

 したがって、この点については、法改正が必要なのではないかと思います。