言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

解雇規制の緩和

2009-10-08 | 日記
la_causette」 の 「解雇規制を緩和すると正規社員と非正規社員との競争が起こりエリートが起業?

 むしろ,雇用を増やすのであれば,潜在的な需要はあるが,供給者側のコストと,需用者側が支払いうる価格との間にギャップが大きいが故に需要が拡大していない介護等について,公的資金を用いて価格ギャップを埋めた方がよいように思うのですが。そのための原資としては,相続税の基礎控除の引き下げとかいくらでもできることはあると思うのです。


 雇用を増やすには、解雇規制を緩和し、エリートの起業を促すのではなく、事業者補助が有効である、と述べられています。



 これには同感です。現在、解雇規制の緩和が叫ばれているのは、雇用を増やすためではなく、雇用の維持が困難になってきたからだと思います。要は、もはや企業には、余分な人員を抱えている余裕はない、日本経済の縮小が予想されるなか、正社員を増やすなんて論外。増やすどころか、減らしたい、といったところでしょう。

 雇用を増やすには、経済が拡大する必要がありますが、「雇用問題の根源 ( 転職は可能か )」 でみたように、なかなか新産業が生まれない。新産業が生まれないならば、全体のパイを ( 全員で ) 分けあう、すなわち、一人あたりの給与を下げるほかないと思われます。そのためには、雇用の流動化が必要になってくると思います。

 もっとも、現実には、このような主張はされず、次のような形になると思われます。



ある女子大教授の つぶやき」 の 「新雇用政策

 EUでは、柔軟性と保障を意味する英語を組み合わせた「フレキシキュリティ」というキーワードで、新たな雇用政策を打ち出している。雇用や解雇を容易にした米国型と高税負担で雇用保障をする北欧型の中間の政策で、デンマークやオランダといった欧州の小国ですでに取り入れられている。「労働市場の柔軟性」と「雇用の保障」を両立させる考え方である。

(中略)

 解雇規制の緩和で労働力の移動を容易にし、産業構造転換を図りやすくする。同時に、失業対策を講じて労働者の不安を取り除く。それだけだと、失業者が保障に頼って働かなくなるので、それを防ぐために、失業手当を受け取るための条件として、職業訓練プログラムへの参加を義務づけ、失業者のスキルを高めて再就職を促す仕組みを整えている。雇用保障を労働市場全体で行う考え方で、この結果、長期失業率は減少することが示されている。民主党政権でも十分に検討していることと思う。


 米国型と北欧型の中間をいく政策、すなわち、解雇規制の緩和と失業手当の充実、職業訓練プログラムの実施が EU で実行されつつある。( 日本の ) 民主党政権も検討しているだろう、と書かれています。



 中間をとる、というのは、いかにも日本人好みですし、政治的にも、この政策には 「夢がある」 ので、実行しやすいと思われます。この考えかたのもと、おそらく、日本でも雇用の流動化が進められるのではないか、と予想されます。



 問題は、この政策をとった場合でも、新産業が生まれなければ、一人あたりの収入は下がってしまう、というところにあります。そこで、いかにして、新産業を生みだすか、が ( 再び ) 問題になってくるのですが、

 冒頭に引用した、「潜在的な需要はあるが,供給者側のコストと,需用者側が支払いうる価格との間にギャップが大きいが故に需要が拡大していない介護等について,公的資金を用いて価格ギャップを埋めた方がよい」 という部分が、鍵になるかと思います。

 はじめは公的資金に頼らざるを得ないかもしれませんが、次第に効率を高めれば、公的な補助は不要になります。最終的に、補助を受けない新産業が成立するなら、それでよいのではないか、と思います。



 これを機会に、( 私は ) さらなる効率化に邁進したいと思います。



■追記
 「雇用規制の緩和」 の表記を 「解雇規制の緩和」 に訂正しました。

生命保険の破綻

2009-10-08 | 日記
紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.178 )

 平成9年4月、日産生命が破綻した。日産生命を皮切りに、中堅生保がつぎつぎ破綻することになる。中堅とはいえ、世界に名を轟かせた「ザ・セイホ」の破綻である。

(中略)

 低金利は、銀行には恩典だが、生保には痛手となる。預金金利がゼロ金利と言われるほど低くなったことで、銀行は、仕入れ金利が低くなるために、不良債権の処理を行う業務利益を得ることができる。しかし、銀行にとっての栄養補給は、反面、生保の生命を奪うことになった。
 生保にとっては、低金利であればあるほど、逆ザヤが大きくなる。しかも、生保の契約は数十年におよぶ長期である。さらに、保険業法で、予定利率の変更は認められていなかった。逆ザヤの累積損は、低金利が続く限り拡大し続けるのである。
 生保の掛け金は、株式や不動産にも投資されている。資産デフレの影響も甚大だった。

(中略)

 生命保険は、ある意味では預金以上に、国民生活の安全の基盤だ。一家の稼ぎ手に万一のことがあったときに、残された家族の生活を支える、まさしく保険である。
 預金は金額保護されてきたが、日産生命の契約者は、破綻によって、予定利率を引き下げられた。結果、満期保険金や年金支払いは、それに応じて減額された。金融ビッグバンは、生保の競争を加速した。損保と生保の相互参入、外資の参入など、競争は激化していた。日産生命は、予定利率を引き上げることによって顧客を獲得しようとし、逆ザヤも大きく、結局、それが命取りになったのである。

(中略)

 日産生命の社長は、4年前から債務超過であり、その事実は、その都度、大蔵省に報告していたと明らかにした。大蔵省は、日産生命が高利回りで客を勧誘し、資金集めをしていたことも承知していたはずだ。知らなかったとしたら、それ自体が監督能力にかかわる。それにもかかわらず、何の措置もとらず、国民が契約するのを放置した。
 挙句、破綻が現実化すると、すべてを契約者の自己責任に帰し、保険契約、年金契約の最大7割をカットした。預金は全額保証されたが、生命保険や年金契約は、大幅に削減されたのである。契約者の自己責任という理由だった。
 しかし、検査に入った大蔵省が、何の措置もとらず、警告も発しなかったのだから、安全なのだろうと国民が思ったのが間違いだというなら、大蔵省は、自らを信頼するなと主張しているに等しい。
 銀行の破綻と同じく、生保の破綻でも、監督責任は一切とらなかった。市場淘汰を掲げた金融ビッグバンは、大蔵省の責任回避の理由になっただけで、国民には何のプラスももたらさなかったのである。


 低金利で逆ザヤが大きく、生命保険会社には痛手だった。しかも、( 株式や不動産の ) 資産デフレによる損失も、蒙っていた。そのうえ、金融ビッグバンが始まり、保険会社の競争が激化した。債務超過でありながら、予定利率を引き上げて資金集めをしていた日産生命に対して、監督責任を負う大蔵省は何もせず、責任もとらなかった。国民は、金融ビッグバンによって不利益のみを蒙った、と書かれています。



 この記述は、「おかしい」 と思います。

 一般に、金利が低ければ、株価や地価は上昇します。したがって、低金利で逆ザヤが大きかったとはいえ、低金利があるがゆえに、資産デフレによる損失は解消される可能性があった、と考えられます。

 とすれば、低金利で逆ザヤが大きく、債務超過に陥っていたからといって、破綻すると決まったわけではなく、なんの問題もなく状況が改善していた可能性もあった、と思われます。大蔵省の立場で考えれば、なんらかの措置をとったり、警告を発したりしていれば、かえって状況が悪化したかもしれず、対応の難しいところだと思います。



 また、日産生命が破綻したとき、( 銀行が破綻した場合とは異なり ) 生命保険や年金契約は全額保証されず、大幅に削減された、と指摘されていますが、

 預金が保護されるのは、国民の財産保護のみならず、資金決済の確保を図るためですから、預金と同様に保護しろ、という主張は、認められないと思います。



 とはいえ、私も、まったく大蔵省に責任がなかったとは思いませんし、なんらかの保護が必要かもしれない、とは思います。



 なお、金融ビッグバンは、保険会社の競争力強化につながった可能性もあり、国民の利益にもなっている可能性があります。国民が不利益のみを蒙ったか否か、検討が必要かとは思いますが、

 いま私は、( 現在の争点になっていない ) 「改革」 を振り返っても何にもならないのではないか、と思い始めており、「改革」 を振り返るモチベーションが確実に下がってきています。