言語空間+備忘録

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需要不足だとしても、規制緩和は必要

2009-10-11 | 日記
紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.306 )

 竹中経財相は、サッチャリズム、レーガノミクスを手本にしていたそうだが、彼らの状況と、今日日本がおかれている状況はまったく異なる。当時の英米の問題は供給の不足であり、不足をもたらしている非効率だ。
 しかし、日本の供給は限界的なまでに効率化され、不足しているのは需要である。需要の不足は競争原理や規制緩和で補うことはできない。


 英米とは異なり、日本では、供給は限界的なまでに効率化されている。不足しているのは供給ではなく、需要であり、競争原理や規制緩和では補えない、と書かれています。



 日本では需要が不足している、というのは、その通りだと思います。

 しかし、( 中国などの ) 新興国の製品がきわめて安価である以上、競争上、日本企業も、安く製品を作る努力が必要となります。規制緩和を行わなければ、日本は没落への道をひた走ることになると思います。



 なお、サービス業については、事実上、国際競争が存在しないケースが多いと思われますが、それだけに、規制が敷かれやすく、また、規制が緩和された場合であっても、そこで生じる競争は、製造業ほど厳しいものにはならないのが通常です ( 「サービス業における競争の特殊性」 参照 ) 。

 実際、サービス業の一種である弁護士業について、規制緩和 ( すなわち増員 ) の結果、競争が生じていますが、それに対する弁護士の反応には、「「はじめに増員反対ありき」 の弁護士?」 や、「皮肉を言う暇があれば」 でみたように、「どこか、甘えた態度」 がみられます ( 甘えていなければ皮肉は言わない ) 。

 「甘えている」 というのは、言いかたを変えれば、「まだ、余裕がある」 のであり、本当に真剣に競争をし、サービスを向上させようとしている人間の態度ではありません。まだまだ競争が足りない、と考えられます。

 サービス業の分野についても、効率化への努力がもっとなされるように、規制緩和が必要だと思います。



 サービス業の非効率・高価格が、製造業の足を引っ張っている面もあるのではないでしょうか。日本が生き残るには、サービス業の規制緩和も必要不可欠だと思います。



■追記
 本文中で 「日本では需要が不足している、というのは、その通りだと思います。」 と書いていながら、タイトルが 「需要不足だとしても、規制緩和は必要」 となっています。( 実際に ) 需要が不足しているのか、( かりに ) 需要が不足していても、なのか、やや矛盾がみられます。
 私が云わんとしている ( いわんとしている ) のは、多くの製造業の分野では、需要が不足しているが、サービス業の分野では、( たとえば弁護士業など ) 需要がみられる分野がある。したがって、両者をあわせて表現すれば 「需要不足だとしても」 規制緩和は必要、です。