伊江島のタッチューは島の真ん中にあって、頂上からは360度見渡せる。人口は5000人というけど実際はそんなにいない感じだ。産業は牛の肥育、サトウキビ、菊、観光・・・。島の中に米軍の演習場があるのでフェリーではいつも戦闘服の若い米兵を見かける。
これで訪問は2度目だ。一回目は那覇から日帰りだったけど、今度は一泊。ペンションは素泊まり3,000円で朝食が付くと500円増し。家族そろってスペイン旅行して、ガウディにいたく感激したらしく、建物は到るところに曲線とタイルとガラスが用いられていた。もちろん朝食も何となくスペイン風だった。
若い夫婦は沖縄の芸大で知り合ったというだけあって、居間の書棚は芸術書がぎっしりだった。天井は廃材の電信柱を梁に使って、そこからロープを下してブランコまであった。若主人は優しそうな人で、ペンションの案内をしてくれたとき、何度も父親への感謝の言葉を使った。とても考えが自由な人で、せがれにも自由にやらせてくれたのでこのペンションができたとのこと。
嫌みなく、素直に、自然に自分の父親への感謝を初対面の旅人にできる若者はめったにいない。その父親とはすれ違いばかりで会えなかったけど、とても羨ましかった。ちょうど修学旅行の高校生が茨城県から来ていたので、彼女たちへのアテンドでお父さんは忙しかったらしい。ちなみにペンションの敷地には登り窯があって、高校生はろくろで作品を作り、お父さんが焼いて、後日茨城まで送ってあげるらしい。これまた羨ましい修学旅行だ。
島の観光スポットに行くと、数名の修学旅行生と必ず出会った。引き受けた民宿の人がライトバンで案内しているのだ。湧水(ううじい)で、案内していたおじさんに、湧水はまだ使っているのかと聞いたら、いろいろと島の水の歴史を聴かせてくれた。今は、水道水は本島から海底パイプで送られてくるが、農業用水は湧水や雨水を使っているという。湧水の一部は鉄板でせき止められて地下ダムに溜められ、ポンプでくみ上げられている。昔は絶壁から流れ落ちる湧水を海岸のタンクに溜めて、それを人力で各戸まで運んだらしい。おじさんの小さいときは風呂にも週一くらいしか入れなかったという。「それ思うと今は天国だよ」って海を見つめながらつぶやいた。
これで訪問は2度目だ。一回目は那覇から日帰りだったけど、今度は一泊。ペンションは素泊まり3,000円で朝食が付くと500円増し。家族そろってスペイン旅行して、ガウディにいたく感激したらしく、建物は到るところに曲線とタイルとガラスが用いられていた。もちろん朝食も何となくスペイン風だった。
若い夫婦は沖縄の芸大で知り合ったというだけあって、居間の書棚は芸術書がぎっしりだった。天井は廃材の電信柱を梁に使って、そこからロープを下してブランコまであった。若主人は優しそうな人で、ペンションの案内をしてくれたとき、何度も父親への感謝の言葉を使った。とても考えが自由な人で、せがれにも自由にやらせてくれたのでこのペンションができたとのこと。
嫌みなく、素直に、自然に自分の父親への感謝を初対面の旅人にできる若者はめったにいない。その父親とはすれ違いばかりで会えなかったけど、とても羨ましかった。ちょうど修学旅行の高校生が茨城県から来ていたので、彼女たちへのアテンドでお父さんは忙しかったらしい。ちなみにペンションの敷地には登り窯があって、高校生はろくろで作品を作り、お父さんが焼いて、後日茨城まで送ってあげるらしい。これまた羨ましい修学旅行だ。
島の観光スポットに行くと、数名の修学旅行生と必ず出会った。引き受けた民宿の人がライトバンで案内しているのだ。湧水(ううじい)で、案内していたおじさんに、湧水はまだ使っているのかと聞いたら、いろいろと島の水の歴史を聴かせてくれた。今は、水道水は本島から海底パイプで送られてくるが、農業用水は湧水や雨水を使っているという。湧水の一部は鉄板でせき止められて地下ダムに溜められ、ポンプでくみ上げられている。昔は絶壁から流れ落ちる湧水を海岸のタンクに溜めて、それを人力で各戸まで運んだらしい。おじさんの小さいときは風呂にも週一くらいしか入れなかったという。「それ思うと今は天国だよ」って海を見つめながらつぶやいた。
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