寒波がやってくると、いつも友人Fを思い出す。彼はアルコール依存症になり、数年前に内臓の疾患で一人アパートで孤立死した。大学時代はそれほど感じなかったけど、卒業をまじかに、彼は急にサラ金からお金を借り、それを踏み倒して、学位に振り向きもせず、「逃亡生活」を始めた。
それ以来、ときどき電話連絡はあったけど、会うのは2,3年に一回といった感じで、どんな生活をしているかもよくわからなかった。今思えば、サラ金に手を出したあたりから精神的な問題を抱えていたと見るべきなんだろう。借金の元本は数十万円だったらしく、彼曰く、お酒を買う金が欲しかったからだという。しかし数十万円はあっという間に利子で数百万円になって、親元に盛んに業者から電話がはいるようになった。親は頑として返済要請を受け付けず、息子を勘当した。
Fから連絡があるときは転職先が決まって、出直そうという気持ちがあったときで、ぼくはそれに騙されていた。たぶん、連絡から連絡の間は、仕事にも行けず、家賃も払えず、着替えもできずに鬱になっていたんだと思う。
彼が10年ほどのホームレス生活にくたびれ果てて生活保護を受けるようになって、歯医者に通い、眼鏡も作り、仕事も見つかったとき、「何が一番つらかったか」というぼくの問いに、「寒さ」だと答えたことがあった。「あれだけはどうにも耐えられなかった」。寒さにめっぽう強く、大学時代は毛布一枚あればぐっすり眠れるヤツだったけど、公園のベンチでは何枚着込んでも寒さが骨を貫いてくるらしい。
クリスマスの時期だったろうか、英語紙にスーパーの建物の片隅にうずくまったまま動かなくなったホームレスの老人に長靴と手袋を買ってあげた若い警官の話題があった。店からの通報で駆け付けた警官が、椅子のようなものに座った老人の前に膝まづいて話しかけ、そのあと、店内に入ってそれらを買い物し、老人に履かせたという。
よくあるヒューマンな作り話なのかもしれないけど、なんとなく、自分もこの警官の立場だったら同じことをしていたかもしれないと感じた。警官の給料はいくらなのか知らないし、その長靴と手袋がいくらしたのかもわからないけど、一生を棒に振るような金額だと躊躇うとおもうけど、その月に節約して浮かせる事ができる額であれば、躊躇わなかったと思う。そのホームレスがその後どうなったのか書かれていなかったけど、シェルターに入ることを拒否してそうしていたというから、そのままだったのかもしれないし、その警官に心を開いてシェルターに入ったかもしれない。
寒波の話題を聞いたり、寒さに震えるとき、いつも思い出すのは18歳の元気なF。父親とお姉さんをすごく敬愛し、絵が上手かったF。病気さえなかったら今頃いい仕事ができていたんだと思う。
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