MELANCOLICO∠メランコリコ!

ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

認知のラビリンス

2014-01-31 17:43:06 | PSYCHOLOGY2

ジムにせっせと通うある知人と少し話した。彼は3年前は目立たない会員だった。ロッカーで挨拶するようになって、その後、スタジオのダンス系のプログラムで顔を見るようになった。そのころのウェアは普通にオジサンだった。でも。昨日は頭に赤いバンダナを締め、グレーのTshirtに真っ赤なロングパンツだった。ダンスは基本的に上手くはないけど、右を左に行くようなことはなかった。彼曰く、「このプログラムが好きになって、毎日のようにこのプログラムを追っかけて他店にも顔を出している」とのことだった。

昨日はスタジオが終わった後、一緒にストレッチしながらお話をした。彼は「もう脚がボロボロ」と言う。彼はジムに通い始めて7,8年になるらしいけど、マシンとかランとかは全くしない。骨格はしっかりして感じだけど、ほとんど筋肉の盛り上がりがない体していたので、「筋トレしてみたら?」と言ったら、表情が少し固まってしまった。

「ランニングマシンもやろうとしたんだけど10分も続かないんだよね。マシンは腕の健をケガしてるのでできない」。ぼくは彼の言葉の裏にある気持ちがスッと理解できて、それ以上勧めたりはしなかった。楽しくないことはやりたくないってことだ。でも、かなりな痛みに耐えているようで、そのままでは重傷になるんではと心配するんだけど、絶対に嫌なことはできないタイプなんだよねって、わかってよっていう無言のメッセージが伝わってきたのだ。

昔、中学生に英語を教えていたときに、何人かが勉強をしようという努力をしなかったという経験がある。もう視線をテキストにもこちらにも向けずにシャッターを閉めるような感じだった。若いぼくはもうそれ以上どうアプローチしていいか分からなくなって、彼/彼女たちが分からないことを無理に教えないようにした。でも、そうすると彼/彼女たち非常に敏感に、自分たちは「見捨てられた」という感覚を抱く。教えようとするとシャッターを閉め、教えなくなると見捨てられ感を抱く。もちろんプロの教育者としてはそのシャッターを開けるように促し、見捨ててないよっていうメッセージを絶え間なく発信していくのが務めなんだろうけど、実際はとても難しかった。

たぶん、この’不可解’なメカニズムはぼくのどこかにもあるのだろう。自分では気づいてないけど、人の能力は人それぞれだし、誰にも理解がすごく負担になることってあると思う。人間の心身は一つだし、時間は一日に24時間しか与えられていないわけで、人は瞬間、瞬間、やることを取捨選択していて、そこには100人いれば100通りの偏りがあるんだと思う。何となく悲観論的だけど、人の認知には限りなくバリエーションがあるわけなので、仕方ないかも。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿