イギリスサッカーについて調べていると、クラブ間の敵対心や憎悪の拠ってきたるところの奥深さに揺り動かされる。行き着くところ、階級、地域、宗教になるけど、少なくとも150年の歴史が絡んでくるので簡単には「理解できた」とは言いがたい。それに、そうした感情が人々のアイデンティティの根源になっている部分もあって、いいとか悪いとかも軽々しく語れない。
アイデンティティは結局、敵を作り、敵を共有する他者と共感をもつことなのではないか。自分がどういった人間かという意識・無意識は、どこに住み、どんな仲間を持ち、誰を「敵」とするかで強化され、強固になっていく。それに「敵」を持つことは、いわばソシュールの言う弁別性につながり、全体を構成する一要素としての存在意義を自らに与えることになる。
アイデンティティは結局、敵を作り、敵を共有する他者と共感をもつことなのではないか。自分がどういった人間かという意識・無意識は、どこに住み、どんな仲間を持ち、誰を「敵」とするかで強化され、強固になっていく。それに「敵」を持つことは、いわばソシュールの言う弁別性につながり、全体を構成する一要素としての存在意義を自らに与えることになる。
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