上競技場のトラックのように、人生にも与えられたトラックがあって、「あなたは第1コース」と言われたら、もう1コースをはしるしかない。200m走だと内側を走ると実力が発揮できて、外側だとだめという選手がいるかもしれないけど、一定のルールで出走前に決められちゃうともう文句は言えない。つまりレースを終えるまでコースを外れることはできない。
これは格差の固定といった貧困問題の比喩にも使われることがある。貧困家庭に生まれた人は努力してもなかなか貧困から逃れられない。裕福な家庭に生まれると、生活の心配をすることなく勉強やスポーツに集中することができていい結果を得たりする。「いい家庭」の出身者は親の財産の恩恵を受けるということのほか、教育を受けるチャンスが増え、社会に出るときも、親の社会的な力がいわゆるハロー効果をもたらしたり、募集する企業にその子息を雇用することで親の社会的影響力を利用できるという思惑を抱かせる。
偏差値の高い大学に入ってくる学生の家庭は年収が高い。日本においてこの傾向は固定化されている。これは遺伝と、「頭がいい人」は社会で成功しやすいという二つの要素が絡んでいるから、当然と言えば当然なんだろう。社会が成熟してくると社会階層が固定化されてしまい、いわゆる人生の大逆転といった出来事は、宝くじに当たって一気に10億円を得るといったことと同じくらいの低い頻度になってくる日は近いのかもしれない。
日本には300万人以上の食べることにも困っている子供たちがいて、その数は減る傾向にない。もしその300万人に1人10万円の支援を贈るとしたら3000億円の予算が要る。軽減税率の話題で首相が4000億円以内で軽減税率対象商品を考えるようにという指示を出したというけど、その財源を直接支援に回せれば机上の理論としては意義ある貧困対策になりうる。そんな考えがチラッと頭に浮かんだ。ある調査によれば貧困階層の人たちは、調理環境が悪かったり、調理にあてる時間が少なかったり、調理する能力が低かったりして、加工食品を多く購入する傾向にあるという。軽減税率対象商品の線引きを中途半端にすると、恩恵を受ける主たる階層が中流になってしまう危険性は高く、階層固定化に拍車をかけることになりかねないような気がする。
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