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ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

夢分析

2010-05-28 03:01:19 | 日記
夢を語ることの少ない幼少時代を送った。母は毎日「宿題は?」ってうるさかったけど、将来何になるのかということを訊かれた記憶がない。訊かれても忘れているのかもしれないが、訊かれることが少なかったことだけは確かだ。

小学校の高学年で何になりたいかを絵に描けと言われたとき、ぼくは「社長」という役職の札(?)が置いてある机を描いた。先生の評価はよかったけど、自分で社長が何する人なのかわかっていなかった。卒業文集には「将来は外交官」と書いた。世界のあちこちに行きたいからという単純な理由だったけど、このときも外交官ってどうやったらなれるのか皆目見当がついていなかったし、それを教えてくれる人もいなかった。

中学になって、ぼくにとっての「夢」は眠って見る「夢」となった。いっぱしの男子中学生らしく夢精も経験し、眠っているときの自分が別人のようで、少し怖く感じられたときもあった。高校生になって、フロイトの解説書でイドという言葉を知った。ああ、人間ってこういった幼少期に育まれた無意識の力によって突き動かされて、性格も、人生も決まってしまうのかなって、かすかに恐怖とともに虚無感を感じたのを覚えている。

このGWに『夢分析』(川嵜克哲 2005 講談社)を読んだんだけど、夢の理解と人間の社会史的な関連をかなり詳細に解説している本で面白かった。著者がユング派だからか、少し、河合隼雄先生っぽい饒舌な言い回しが気になったけど、西洋のトイレや寝室の歴史と、現代人の夢の解釈方法のところは夢中で読んでいた。思わずトイレの研究を始めようかと思ったくらいだ。

最近、夢分析に魅せられている。たかが夢だし、夢が語られるときは意識のバイアスがかかるのは不可避だし、決して見た通りのものにはアプローチできない運命だけど、たかが夢、されど夢であって、フロイト流でもユング流でもいいんだけど、やはり夢は無意識に迫る王道であって、自分自身への気づきへの獣道のような感じがする。

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