2月29日 読売新聞「編集手帳」
詩人の吉野弘さんには、
漢字に着想した作品も多い。
「目」という一字について、
姿形から次のように書いている。
<目に表裏はない
裏返されて逆さにされて、
目が回っても!
とかく、
心は、
見たものを見ないと言い
見ないものを見たと言うが
目は、
目それ自身に正直だ>
(「目」の見方)
選考に際して、
誰よりも厳しい目を持たねばならなかった人だろう。
東京五輪柔道の男子代表選手を発表した井上康生監督である。
異例の記者会見になった。
まず口にしたのは、
代表の座を得た者の名ではない。
夢破れた選手の名前だった。
「これまでの選考大会を思い浮かべると、
ぎりぎりで落ちた選手の顔しか浮かばない。
永山、橋本、海老沼、藤原、長沢、村尾、飯田、羽賀、影浦…
すべてをかけてここまで戦ってくれた」。
一人ひとりを丁寧に読み上げ、
途中で何度も声を詰まらせた。
五輪の畳を踏めなくなった彼らも、
監督の目に浮かんだ涙を生涯忘れまい。
努力する中から一人を選ぶなど、
自分にも心を隠さなければ、
辛(つら)くてできない作業なのかもしれない。
でも、
いい場所を選んで広げて見せてくれた。