7月10日付 読売新聞編集手帳
<遂に爆発・角界革新の叫び/協会大狼狽>
の見出しが1932年(昭和7年)1月の本紙に見える。
待遇改善や当時の相撲協会の改革を求めた力士が、
集団で協会を脱退した春秋園事件。
その後相撲人気は長く低迷する。
八百長問題で今年4月、
一斉処分が出たことを受けて開かれた緊急力士会は、
約80年前のこの事件同様、角界分裂の危機すら孕(はら)んでいた。
「場所をボイコットすべきだ」の過激意見が飛び出す。
制したのは魁皇関である。
「俺たち力士が相撲を取らないでどうする」。
場の雰囲気は一変、
全員が納得するしかなかった。
38歳、最年長関取のひと言が、
大相撲の信頼回復へ、
力士の気持ちを一つに束ねたと言える。
中学時代、相撲に興味はなかった。
入門半年で逃げ出す。
反省し、
「始めたからには絶対に強くなろう」と稽古に励んだ――
『かがやく先輩からのメッセージ』(国立青少年教育振興機構編)で魁皇関が語っている。
「万年大関」「引退か」と言われながら、
客席からの歓声は今も角界一である。
通算最多の1045勝まであと1勝。
大記録へ、
きょう名古屋場所初日の土俵に上がる。