1月24日 おはよう日本
東京電力福島第1原発の事故に伴う避難指示の解除から3年4か月がたった福島県楢葉町に
街の情景を俳句で読み続けている男性がいる。
震災後に男性が詠んだ句は1,000句以上。
刻み続けた5・7・5の17音からは故郷への思いの変遷が見えてきた。
冬日浴び 檜皮葺(ひわだぶ)きなる 阿弥陀堂
福島県楢葉町に住む永山和平さん(87)。
未曽有の震災と原発事故からもうじき8年。
趣味の俳句作りが長きにわたった避難生活の心の支えになってきた。
「1日は震災のことを全部忘れて俳句に集中できる。」
震災当時 79歳だった永山さん。
趣味だ俳句を詠んでいた永山さんは
あの日の情景や心情も文章ではなく
5・7・5の17音でとどめていた。
(2011年3月の句)
家崩れ 避難広報 急ぎ立て
ただ逃げる 原発よりも 遠くなれ
夢中で書き留めた当時の句には
俳句に欠かせない季語がない。
「季語なんかない。
季語どころではなかった。
ただ季語で俳句をつくるより実際の今の本当のことを。」
震災後の詠んだ句は1,000句以上。
大好きなふるさとから引き離され
避難生活を強いられた大変な状況も
俳句にすることで1歩引いた目線でとらえられ
気持ちを整理できたのだという。
(2011年冬の句)
冬日差す 死の町車 徐行して
町の大部分が警戒区域に指定されていたころ
時間を区切って立ち入りが認められたときの情景である。
以前のふるさとは失われてしまったのではと
深い悲しみに襲われた。
(2012年6月の句)
無気力の 気怠さ 梅雨の仮住まひ
いわき市の仮設住宅で避難生活をおくり
慣れない暮らしに時には生きる希望を失いかけたこともあった。
楢葉町の非難支持がようやく解除されたのが震災から4年半が経とうとするころだった。
永山さんが解除と同時に町に戻った。
その時のふるさとの景色を見て詠んだ句。
((2015年9月の句)
避難解除 故郷の山 夕焼けて
去年6月には待望の商業施設がオープン。
徐々に町の復興を詠んだ明るい句も増えてきた。
(2018j年6月の句)
商店街 開店幟(のぼり) 風薫る
「帰ってきた者にとっては一番力強かった。
わが故郷の復興の第1歩ができた。」
震災後の楢葉町を俳句に気z見続けてきた永山さん。
最近新たな羽後ds気が合った。
自宅の庭に俳句を刻んだ句碑を立てたのである。
汚染梅 ただ熟し 落ちるのみ
町の復興を詠んだ明るい句もありながら
あえて原発事故で最も苦しかったころ詠んだ句を刻んだ。
このままでは震災と原発事故の記憶が風化してしまうのではないかという危機感が募ってきたからだという。「東京の人が来ると
まだ避難しているところがあるのって
分かっていない
原発事故は終わったと思っている。
私たちが災害にあって苦しかったことを何より伝えたいと思い
汚染の句を詠んだ。
こういう災害になって復興していく過程を自分で見ながら
避難のときのひどいこと
復興のところを1歩でも残していければ。」