9月17日 編集手帳
稲の実は熟するときに吼(ほ)える。
コメどころにはそんな語り伝えがあったらしい。
〈稲ノ吼ユルヲ聞カントテ、終夜、田間ニ彷徨(ほうこう)セ ラレシト〉。
越後の人、
良寛はひと晩じゅう田んぼをさまよい歩いたと、
『良寛禅師奇話』という江戸期の逸話集が伝えている。
稲が吼えるわけはないが、
丹精こめて育てた耕作者の耳にはきっと、
実る喜びを爆発させる稲の雄たけびが聞こえるのだろう。
いつもと違うこの秋は、
嘆きの咆吼(ほうこう)であったかも知れない。
東日本を襲った記録的な豪雨で宮城、栃木、茨城3県の農地が冠水した。
収穫期を迎えた水田もある。
大切に育てた稲穂が濁流につかり、
泥にまみれた。
「一粒百行(いちりゅうひゃくぎょう)」 という四字熟語がある。
百の作業を経て一粒のコメは作られる、と。
一粒ひと粒の尊さを説きつつ、
苦労の絶えない耕作者に感謝の心をこめた言葉である。
農家にとって災害に襲われて差し支えのない季節などあるはずもないが、
待望の収穫へ“百行”の仕上げにかかるこの時期の仕打ちはむごい。
〈新米の其一粒(そのひとつぶ)の光かな〉(高浜虚子)。
光に炊きあげられることのない稲穂の、
悲しみに吼える声を聞く。