6月10日付 読売新聞編集手帳
二つのセリフを知っていれば、
時代劇の敵役はこなせる。
生涯に300本ほどの映画に出演した俳優の故・阿部九州男(くすお)さんは生前、
そう語ったという。
映画監督の瀬川昌治さんが本紙東京版のコラム「とうきょう異聞」で回想していた。
二つのセリフとは
〈退(ひ)けぇ! 退けぇ!〉と
〈かねての手配通り、よいな〉であったそうで、
阿部さんの発言にはマンネリに陥った時代劇への皮肉が込められていたと、
瀬川さんは言う。
いまの政局には、しかし、阿部さんの挙げた二つのセリフさえ、
まともに喋(しゃべ)れる役者はいないようである。
民主党内もまとめきれぬ菅首相は求心力を完全になくしているのに、
「退けぇ!」が言えず、
政権の延命に汲々(きゅうきゅう)としている。
退陣を迫る側には、
政治資金疑惑で冷や飯を食わされた怨念をここぞとばかりに晴らしたい
“動機不純”な勢力もいて、
「かねての手配通り…」のセリフが言える一致結束にはほど遠い。
鞍馬天狗(くらまてんぐ)も桃太郎侍も見あたらず、
守るも攻めるも敵役の政局劇だが、
はっきりしていることが一つある。
退陣が遅れるほど混迷は深まる。
ここはやはり、
「退けぇ!」だろう。