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不純物が目立つ五輪

2018-02-27 07:00:00 | 編集手帳

2月15日 編集手帳

 

 読売歌壇にスポーツ選手の実名入りの短歌が載ったことがある。
<我も又重き荷負わせし一人ならむ許したまえよ高梨沙羅よ>(加治勢以)

ソチ冬季五輪でまさかの4位に終わった高梨選手に期待があまりに大きかったせいだろうと詫びている。
まじめさゆえか、
いつもインタビュアーの顔をまっすぐに見て話す17歳(当時)の少女の、
落胆した姿を浮かべる方は多かろう。

そこからはい上がったと思えば、
表彰式の笑顔がよけいにまぶしく映る。
平昌五輪スキージャンプ3位の高梨選手である。
メダルの色は目標の金には届かなかったとはいえ、
力を出し切れたというコメントがうれしい。

五輪に限らず、
選手とそれを観る人はお互いに心を使う。
負けた選手の談話によく「すいません」があるけれど、
先の歌に従えば、
応援する側も例外ではない。
よかった。
悔しい――澄んだ心でそれを共有するからスポーツは栄えるのだろう。

ただ、
この五輪で残念なのは不純物が目立つことである。
きのうはアイスホッケー女子の応援席で領有権を主張する島を明示する朝鮮半島旗が掲げられた。
心の使い方が歪んでいる。


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