演劇書き込み寺

「貧乏な地方劇団のための演劇講座」とか「高橋くんの照明覚書」など、過去に書いたものと雑記を載せてます。

「図書館ホスピタル」

2020年03月08日 20時02分33秒 | 読書

中学生や高校生の演劇部を指導していた時期に、一番難しかったのは、脚本の選定に関してでした。
子供の成長には、時期時期があって、読書に例えれば、絵本から始まって、子供向けの童話、子供向けの小説、大人が読んでも子供が読んでも面白い小説、純文学と呼ばれるような高尚な小説、とレベルが上がっていくはずです。
しかし、どこかでつっかえると、「本なんて年間に1冊も読みません。ましてや、純文学なんて教科書に載っていたのしか知りません」ということになります。

脚本選びも同じで、選んでくる脚本を見ると(なぜか顧問の意向なのか脚本が選ばれてから指導に行くことが多かった)内容のなさに、頭を抱えたり、小説ならいいかもしれないが、舞台にするのは力業が必要だと頭を抱えてしまうことがままありました。あまりにもどうしようもないときは、「脚本を替えよう」と提案したりしましたが、時間的に間に合わないことがほとんどでした。
だから、ライトノベルというのは、ある時期の人間にとって、大切な出会いとなることがある。物語の表面的な面白さだけでなく、いろいろな人がいて、いろいろな思いがあるんだということを、体験できる。
演劇だと脚本を読んだときには、それをどう表現したらいいのか、想像することもできるようになる。


三萩せんや著「図書館ホスピタル」は何の前知識もなく図書館で借りてきた本でしたが、ストーリーを楽しめて、主人公の個性がストーリーを引っ張っていくという意味で、面白かったです。ただ、主人公の年齢設定や思春期の生活が、読者層に微妙かなとは思いましたけど。



ストーリーの中に「夜と霧」(ヴィクトール・E・フランクル)の話が出てきますが、私は理由があって読んだことがありません。高校生の時に、当時「狐狸庵シリーズ」で人気のあった遠藤周作が学校に講演に来て、我々としては「どんな面白い話をしてくれるのだろうか」と期待したのですが、彼が話したのは、この「夜と霧」についてで、内容を覚えていないほど、つまらない話でした。
3年間のうち、ほかの二人のお名前は忘れたのに、内容は意外と思い出せるのですが、遠藤周作については「夜と霧」について、それも、やたら短かったような記憶しかありません。はたして、この講演を聞いて「夜と霧」を読んでみようと思った同級生はいたのでしょうか。

 


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