小説やエッセイを何冊か買ってあるのだが、読む気が起きない。
老化現象なのだろうか。
23の頃は一日に10冊ぐらい読んだこともあるのに。
まあ、それならそれで老いを楽しむしかない。
ネットのほうが刺激的で、ネトウヨで有名な「よもぎねこさん」のブログなぞ、「なるほどここまで考えたことなかった」という話ばかりだ。小説は、年寄りには刺激が少なくなっているのかもしれない。
特に「人間と労働力 西欧の自死」という一文には考え込まされてしまった。最近、我が家の近所でも外人の家族が増えている。しかし、宗教的な理由で、特別視した扱いをしていいのだろうか。
お互い相いれないから、別々の国だったのだ。自分たちの習慣や宗教をかたくなに守って周辺と相いれなかったから、昔からユダヤは嫌われてきたはずだ。
正月は初詣に行って、お神酒をいただき、子供は日本人と同じ給食を食べ、同じ教育を受けさせ、自治会の活動にもきちんと参加し、ゴミ出しなどのルールを守って、自分たちだけのコミューンを拡大させようとしないなら、まあ、居てもいいかなとは思うのだが。
世界的に社会が不安定になって、強盗や強姦が日常茶飯事になっている国が結構あるようだ。ハワイの治安も急激に悪化していると、ハワイ在住の同級生がSNSに書いていた。
「24歳の女性が誘拐された」とか、まあ大変らしい。
数年前に韓国のことを書いた書籍が大量に出回り始めたが、実際にははるかその前から警鐘を鳴らしていた人たちがいて、だんだんと彼らの予想が現実のものとなってきている。
新しい元号の時代が不幸な時代にならないことを祈るばかりだ。
昔娘が通っていたミュージカルスクールの名前を思い出せなくて「静岡 ミュージカルスクール」で検索したら、11軒ぐらい出てきた。
いくらなんでも、こんな小さな町にそんなにあって、商売は成り立つのだろうか?
最近、清水のミュージカルスクールが1校閉店してましたから(ネットで調べたら移転でした。これで12軒ヒットか)。
検索の結果、娘が通っていたのは「リトル ステップ ファクトリー」でした。
加藤諒くんが5歳から18歳までいたところです。うちの娘は4歳か5歳でやめたはず。その後はバトントワリングやってました。
加藤くんの多摩美術大学時代の先生の一人が、私の知り合いの旦那さんだそうで、まあ、人の縁なんてどこに転がっているか分からないなと思いました。
今から45年前の多摩美は牛が鳴く道を延々と上ったところにありましたが、今ではすっかり街になってしまったようです。
おしゃれな武蔵野美術大学に比べてなんかあか抜けない大学だったなあ。
そういえば、ヒューマンアカデミー仙台校というところから、4月6日に私の作品を上演するという連絡が来てOKをだしたけど、その後何の連絡もないがどうなっているのだろう?
学校の規模としては、かなり大きいようだが。
20日の早朝に年下の友人が亡くなった。前日まで、犬の散歩とか自転車に乗ったりしていたので、本当に急なことだった。
22日に通夜があり、読経の間、一緒に走った時のことや、あまり呑めないのに律義に忘年会や夏のビアガーデンに出席してくれたことを思い出し、涙が止まらなかった。
映画がよかったのと、古本屋で安く出ていたので「三月のライオン」を買い始めたのが、3月17日だった。7冊で216円(+別の本3冊付)それから、不足しているところを買い足して最後に残った13巻を購入し、全巻そろったのが3月24日だった。
その13巻に「雨の匂い 河の匂い」という章がある。棋士の滑川の実家が葬儀屋で、人手が足りなくて手伝いに行った時のエピソードが描かれている。
そこで棋士の滑川が「どして人というのは、こんなにも忘れっぽいんでしょう。こんな風にたくさんの人生の最後を見送ってきているのに、どうしてもっともっと、もっと切迫感をもって生きられないんでしょう」と自分の棋士としての生き方を語りだし、最後に「…これで私、死ぬときにちゃんと、「ああ生き切った」……と思えるのでしょうか‥」と言うと
実家を継いだ弟がぽつりと答えた「「生きる」って事についてなら、僕 思うんです。「自分も いつかは死ぬんだ」って事を、忘れて呑気に日々を送れてしまう事…それって、人間の持っているちっぽけな権利の一つなんじゃないかなって」
まあ、そうなんだが、ちょっと「生き切っていない」自分が情けなく、まずはブログの更新から、とこのブログを書いている。
35年前に茨木大学の学生たちが撮った映画の上映会があるからということで、水戸へ行ってきた。
5時間半の電車は結構きつかった。
なぜ、水戸まで行ったかというと35年間消息が不明だったI君と会えるらしいということが分かったからだ。
さて、映画を観てびっくりしたのは、上映された三本全部に自分が出演していたことだ。しかもど下手。
あとは、35年前にはあまり軽自動車が走っていないとか、みんながタバコを吸っているとか、時代の隔たりを感じさせるものが多かった。
観客はほとんどが知り合いで、その後の飲み会も久しぶりの人たちで懐かしさがいっぱいだった。