7月4日に近所の小学校で読み聞かせをするのでその練習。
確定しているのはしにがみさん。
声を出すので、川の土手でやっている。時間が15分なので、しにがみさんだけだと半分にならないし、2本立てにすると時間がぎりぎりだ。
7月4日に近所の小学校で読み聞かせをするのでその練習。
確定しているのはしにがみさん。
声を出すので、川の土手でやっている。時間が15分なので、しにがみさんだけだと半分にならないし、2本立てにすると時間がぎりぎりだ。
自分はテスラの発明したものや、その人生を伝記を読んで知っているので、それなりに理解できるのだが、予備知識のない人が観たら、ちんぷんかんぷんの映画だろう。
芸術的な映画にしたかったとのことだが、何か勘違いしているとしか思えないシナリオだった。
お勧めしません。
駿河屋のホームページで検索したら、藤枝の駿河屋に目的の本があると書いてあったので、スクーターのバッテリー充電を兼ねて行ってきた。
しかし、店舗に本がない。
店員に確認してもらったら、確かに店舗にあることになっているのだが、これはコンピュータ上の話で、まだいくつかの段階を経ないと、店先には並ばないらしい。
入荷するとすぐに登録されるので、しばしばこういう齟齬が起きるらしい。
それならと、ネットで注文しようとしてみたが、提携店からの取り寄せになるらしく、駿河屋の送料と別で、これがまたえらく高い。
紙の重版を止めてしまったためか、新刊で購入できないため、苦労している。紙でほぼそろえて、あとは最終巻だけなのだ。
全く困ったものだ。
落語の「死神」を子供向けに桂小三治がアレンジした絵本だ。
町内の回覧板に、小学校の「読み聞かせ」のボランティア募集というのが載っていたので、先日応募して、6年生の読み聞かせをすることが決まった。
ネットで検索すると、高学年の読み聞かせでは絵本の「ねこのさら」の評判がいいという。このボランティアの読み聞かせは、子供の読書を推進する一助とする、というものらしく、原則図書室にある本の中から選ぶことになっている。
そこで、学校へ行って「ねこのさら」を借りようとしたのだが、「ねこのさら」は蔵書にはないとのことで、代わりに推薦されたのが「しにがみさん」だ。
元となった落語の「死神」はグリム童話の「死神の名づけ親」が原作で、三遊亭圓朝の創作したものだ。
あらすじは後述するが、絵本版では、金策できないことを女房にののしられた男が死にたいと思ったのだが、死神に医者にしてもらって、その報酬で大金持ちになり、女房子供を連れて豪遊した結果、再び貧乏になり、やってはいけない延命をしてしまう。
ここで絵本版の問題と思えるのは、豪遊したのは一人ではなく、女房子供も一緒だということだ。しかし、最後に出てくる命のろうそくが消えそうなのは、やってはいけない延命をやった男だけなのだ。
落語では、いろいろバージョンがあるようだが、談志のバージョンでは、きれいどころを連れて豪遊する話になっていて矛盾はない。
まあ、解釈の仕方はもう一つあって、絵本のラストシーンでは、男のくしゃみでローソクが消えて真っ暗になって終わる。
だから、みんな殺してしまった、という解釈だ。
これだと矛盾はないが、巻き込まれた人たちはいい迷惑だ。
ネットで感想を検索しても、このあたりに矛盾を感じている感想がないことから、考えすぎなのかもしれないが、果たしてこのまま読んでもいいものなのかどうなのか、しばらく悩むことになりそうだ。
あらすじ(ウィキベテアより)
やることなすこと失敗続きで金もなく、ついに自殺しようとしている男が眼光鋭い痩せこけた老人に声を掛けられる。老人は自らを死神だと言い、男はまだ死ぬ運命にないこと、また自身との数奇な縁を明かして助けてやるという。死神によれば、どんな重病人であっても死神が足元に座っていればまだ寿命ではなく、逆に症状が軽そうに見えても枕元に死神が座っている場合は死んでしまうという。足元にいる場合は呪文を唱えれば死神は消えるので、それで医者を始めると良いと助言し、死神は消える。
半信半疑で家に帰ってきた男が試しに医者の看板を掲げると、さっそく、さる日本橋の大店の番頭がやってきて主人を診て欲しいという。既にほうぼうの名医に診せたが匙を投げられ、藁にもすがる気持ちで男の家に来たという。男が店に行き、主人を見ると足元に死神がいたので、これ幸いと呪文を唱え死神を消して病気を治す。またたく間に元気になった主人は、男を名医と讃え、多額の報酬を払う。
この一件がまたたく間に広まり、男は名医として数々の患者を治し、その報酬で贅沢な暮らしを始める。しかし、それからしばらく経つと、男が訪問する病人はみな枕元に死神がいて治すことができず、しまいにヤブ医者と言われるようになって再びお金に困るようになってしまう。
そんな折、大きな商家から声がかかる。男が病床の主人を見れば、また枕元に死神がおり、諦めるよう諭すが、たった一ヶ月でも延命できたら大金を出すという。積み上がる大金に目がくらんだ男は、一計を案じ、店の男手を集めると、主人の布団を持たせ、頭と足の位置を逆転させた瞬間に呪文を唱え、死神を消した。これによって主人はみるみる病状が改善し、大金の約束を果たすと男に言う。
その帰り道、男はあの死神に再び声をかけられる。どうしてあんなことをしたんだと非難する死神に対し、男は言い訳するが、死神はもはやどうでもいいと答え、男をたくさん火のついた蝋燭がある洞窟へと連れてくる。死神は、この蝋燭の1つ1つが人の寿命だといい、男の寿命は、間もなく死ぬ主人を助けてしまったために入れ替わってしまったと、今にも消えそうな蝋燭を指し示す。驚いた男が助けて欲しいと懇願すると死神は新しい蝋燭を差し出し、これに火を継ぐことができれば助かるという。
そして、男は今にも消えそうな自分の蝋燭を持って火を移そうとするが、焦りから手が震えてうまくいかず、やがて「あぁ、消える…」の一言の後演者がその場に倒れ込み、演目は終わる。
山本巧次の時代小説だが、常磐津の師匠であるお沙夜の裏家業の話でSF的な要素はない。
シリーズは2冊刊行されており、いずれも悪徳商人から大金を奪う大規模な詐欺の話だ。
ただ、話はやや粗く、こんな人物配置でよくばれないな、という感じだ。まあ、昔の「スパイ大作戦」みたいな感じで、読んでいる方は「こんなのでだまされちゃうんだ」と、時々頭を抱えることとなる。
読んでいるときはそれなりに面白いので、お勧めだが、シリーズを続けるのは難しそうだ。
コロナ禍の東京から、江戸へスティホームしようというおゆうさんが、人さらいの事件に活躍する話だ。
コロナは一時的なものだから、小説の題材にするのは難しいのかと思ったが、意外と流行が長く当初の予想よりも大きく世界の政治経済に影響したため、小説で取り上げても実感がこもっている。
だが、それだけではなく、リアルに感じるのは登場人物のイメージが、山本巧次のほかの作品と比較して明瞭だからではないか。これは、このシリーズの読みやすさにもつながっており、同じ作者でも「開化鐡道シリーズ」では、人物の印象がやや薄く、そのために読みづらくなっている。
今回は、3歳児の連続誘拐事件が発生したのだが、なぜか数日で解放され、犯人の狙いが分からない、という謎を解くものだった。
コロナのために江戸と東京を行き来するにも支障があり、いつものような捜査ができないのだが、かえってそれが面白さを増している気がする。