HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

クライマックス・シリーズ

2007-10-20 | スポーツ
 ついさっきセリーグのクライマックス・シリーズが終わりました。パリーグの方は日ハムが順当に日本シリーズへ駒を進めましたが、セリーグはリーグ優勝のジャイアンツが敗れて、2位の中日が日本シリーズに出るという変則的なことになりました。
 もともとはパリーグが前期・後期に分けて戦った時に、それぞれの期の覇者同士でリーグ代表を決めるために短期決戦が始まったと思うのですが、今回のようなシステムだと勝った方も負けた方も、いまいちすっきりしないでしょうね。年間通して130試合以上を戦って優勝したチームが、たった3日間の試合に敗れたことで日本シリーズに出られないのですから。

 そのあたりのことを考慮してか、昨年までのパリーグは優勝チームに短期決戦のアドバンテージとして1勝を予め与えていたのですが、今年からはセリーグも同じシステムを採用するにあたり、このアドバンテージをなくしました。
 これまで通りのアドバンテージ1勝を主張するパリーグに対して、ジャイアンツが強行にそれを失くすことを主張したらしいのですが、穿った見方をすれば、きっとジャイアンツのフロント側は今年自軍が優勝すると思っていなかったんじゃないかと思います(笑)

 さらに皮肉なことには、アドバンテージが無くなったおかげで、パリーグの方は日ハムのダルビッシュとロッテの成瀬という、超一流の若きエース同士の投げ合いを最終戦で見ることができることになり、おおいに盛り上がりましたが、セリーグの方はジャイアンツが三立てをくうという結果になりました。

 言っときますが、僕はジャイアンツ・ファンです。でも、今年はこれでよかったかなと思います(半分強がりですが)。あの苦しいリーグ戦を制覇したのはきっと良い勉強になっただろうし、今度の短期決戦でものの見事に敗れたのも、これからの課題が見つかってよかったのではないかと。
 まだ若い選手が多いですからね。これからのことを考えると浮かれる一方より、成長の幅が大きくなるでしょう。

 でも正直言うと、ダルビッシュ対ジャイアンツ打線、見たかったなぁ(笑)

 あ、書くの忘れるところだった。明日横浜でライヴです。詳しくHOBNOBのホームページを http://hobnob.jp 

若者の海外旅行離れ

2007-10-19 | 旅・イベント
 新聞を読んでいたら、若い人の海外旅行離れが進んでいるとの記事が目に付きました。昨年の20代の海外出国者数は約298万人だったのですが、これは過去最高だった10年前に比べて36%も減少している数字です。
さてそのわけは?大きく分けるとふたつありそうです。

 ひとつにはこの世代、子供の頃に海外旅行を体験したことが多く、海外自体が憧れだった世代に比べると、どうもクールなようです。
 旅行を娯楽として考えるなら、同じ俎上にのせるイベントとして温泉もあれば、パーティもあるし、それらと比べると高い費用のかかり過ぎる海外旅行は、冷静にみて損か得かの判断が働くようです。
 もうひとつは、見知らぬ海外で嫌な思いをしたくない、不自由のない国内の方が楽だ、という安全志向。テレビやネットの情報で満足し、自分の足で行ってみようとはしないのです。

 僕は以前から旅行にはふたつのタイプがあると思っています。ひとつは団体旅行でありがちな“確認の旅”。そしてもうひとつが“発見の旅”です。
 かつてトルコに旅した時、それまであまり日本人の姿を見なかったのですが、その日は数名の人達が現れて、あちこちの名所の前に立ち止まっては記念写真をパチリ。その間一ヶ所に1分足らず。まるでカメラによる記録自体が目的のような様子でした。
 “確認”ならば、なるほどTVやネットで追体験を繰り返せばその気になれるかもしれません。でもやっぱり醍醐味は“発見”にあると思うのです。知らぬ土地で慣れない文化と触れ合って初めて発見したものは、たとえそれが失敗談であっても,自分自身の知的財産になっていくような気がします。

 ところで、20代の海外旅行離れとは対照的に、50代以上の出国者数は10年間で8.4%増えているそうです。もちろんこの中にはビジネス需要もあるのでしょうが、僕の周りの50代以上の人を見ても、本当に精力的に動き回っている人が多いです。
 若者よ、負けるな!

亀田事件

2007-10-18 | スポーツ
 亀田と内藤の試合から既に一週間が経ちます。僕もあの試合は見てました。何だか後味の悪い試合だなと思いましたが、ここまで後を引くとは。
 朝青龍の時もそうでしたが、人間過ちは誰もが犯すものなのだから、その後の対応こそが問題なのだと思います。昨日の謝罪会見は大毅本人、父親、そして金平会長それぞれの態度に疑問があったように思います。本人達の事前の思惑とは違った結果に終わってしまったんじゃないかな。

 それにしてもあの反則はいけない。相手に対してはもちろんのこと、自分自身の才能や、ボクシングそのものまでもを冒涜しているということに気づいて欲しい。でもね、僕は正直言うと、やんちゃ坊主はけっこう好きです。朝青龍も亀田兄弟も、だからあの傍若無人の態度に垣間見せる繊細なところが憎めません。
 むしろそんな繊細なところがあるから、マスコミに踊らされ天狗になって、思い切り持ち上げられたところで、梯子を外され叩かれることになって、口も聞けないほど傷ついてしまうのかもしれません。

 持ち上げられたり叩かれたりするのは別にスポーツ選手だけに限ったわけではありませんが、自分をしっかりもって、驕りもせず動じもしない強さを持っている人が結局長く続くような気がします。
 マドンナの初期を覚えています?デビュー前後の過去を暴かれ、あることないこと書かれ、一斉にバッシングにあったことがありますが、動揺もせずに堂々としたふるまいにとうとうマスコミも根負けし、最終的には味方についてしまいました。いまや彼女のことをけなす人の方が稀でしょう。

 マスコミに言っておきたいことがひとつ。今、あんなに内藤選手を好意的に報道してるけれど、以前世界戦にノックアウトで負けた時『日本の恥』とまで言ってののしったのは誰ですか?またちやほやした後に、あの性格の良さそうな彼を貶めることのないようにお願いします。

ギターに宿った愛情

2007-10-17 | 音楽
 オーガスタの森川さんと久しぶりに食事しました。彼の音楽に対する情熱と、所属のアーティストへの愛情にはいつも感心します。それが結果としてコンスタントに上質なミュージシャンを育てているのでしょう。

 彼が若い頃アメリカに旅に出かけ、翌日には早速ギターを購入しました。何しろ固定相場が終わったとはいえ、まだ1ドルが300円近かった時代ですから、お目当てのJ-45あたりには手が届かず、B-25を購入したそうです。
 それでもその時代のGibsonは高い買い物に違いなく、貧乏旅行で安宿を渡り歩く身にとっては、一番の宝物のギターが盗難に会うなんて事態は考えたくもないことだったに違いありません。どこを行くにもそのB-25を持ち歩いたそうです。

 それほど長年大切にしたギターを、スガシカオくんがデビューした時に彼にプレゼントしています。そしてそのギターが『黄金の月』を始めとする名曲の数々を紡ぎ出すことになるのですから、どこかで森川さんのアメリカでの放浪の魂がギターに宿って、曲作りを手助けしたのかもしれません。

 今日彼とある約束を交わしました。是非実現させて来年ロンドンで会いたいものです。

ジム・モリソンのノート

2007-10-16 | 音楽
 ドアーズの話を昨日書きました。当時としては(というより今でも)珍しくベースのいないバンドで、その分特徴的なキーボードがサウンドを支えていましたが、何といってもヴォーカルのジム・モリソンの声、いや存在そのものがバンドの存在感を決定的なものにしていました。
 ジム・モリソンはデビュー時からギリシャ彫刻に例えられるほど端正な顔つきで、ひと際輝いていたのですが、既にその頃から酒と薬に溺れる日が続いており、バンド活動をやめてパリに移り住んだ頃には、太った顔に髭をたくわえ、精悍な顔つきは見る影もなくなっていました。

 このパリに移った理由というのが、著作に専念するためだったと言われています。彼の書く詩はある種、叙事詩を思わせるほど格調高いもので、詩集だけ別に出版されたりもしています。
 ところがパリに移った数ヵ月後にパリのアパートのバスタブの中で死体となって見つかります。薬物の過剰摂取による事故死というのが一般的な見方ですが、当時の恋人のパメラが殺したという説や、アメリカ政府による暗殺説まで出て、挙句に、これは偽装で本人はどこかでまだ生きているというエルヴィスのような説まで、まことしやかに囁かれました。

 何年か前、僕がずっと欲しかったギターを売ってくれるというパリのミュージシャンを紹介され、大金を握り締めて現地まで出かけました。結局このギターは思ったよりコンディションが良くなかったので買わなかったのですが、その時のミュージシャンというのが、実はジム・モリソンとパリでカップル同士の共同生活をしていたというのです。
 ジムが死ぬ数日前から、自分達カップルはジムとパメラを残して南フランスに旅行に出かけていて、訃報を聞いて慌ててパリに戻ってきたのです。

 その時に残されていたジムのノートが、何十年も経ったその時、彼の手元にありました。中にはジムの走り書きの詩があります。思ったより几帳面な字でした。僕はその宝物にすごく興奮してしまいました。
 冷静に考えてみたら、その所有権がどこに属すのか分かりません。細部の事情も知りませんし。事実彼がパメラの身内に連絡したら、その所有権を主張されて揉めたみたいです。
 その翌年彼から連絡があり、アメリカのオークションに出すことにしたと言ってましたが、さて上手くいったのでしょうか?果たしていくらくらいの値がついたのでしょう?もちろん金には換算できないほど貴重なものですが。

 それにしても、ジム・モリソンを始め、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ブライアン・ジョーンズ、最近ではカート・コバーン、(尾崎豊もそうでしたっけ?)と、ロック・スターはどうして皆27歳という年齢で逝く人が多いのでしょう?

音感 ~ ドアーズとウィーン少年合唱団(??)

2007-10-15 | 音楽
 もうニュースとしては古いのですが、ドアーズのデビュー40周年を記念してこの夏にCDが再発売されました。その時につい買い損ねて、先日とりあえずベスト盤のみ1枚買ってきました。
 このCD、よくある“デジタル・リマスタリング”ではなく、オリジナルのマルチ・トラックにまで遡り“リミックス”した音源なのです。オリジナル・プロデューサーのブルース・ポトニックや残るメンバー3人が中心になって作業したらしいのですが、当時のリミックス時に消した音も拾い上げられたりして、興味深いです。
 『ハロー・アイ・ラヴ・ユー』のイントロが始まる前に一瞬メンバーの(?)会話が入っていたり、『LAウーマン』は調子のはずれた英国国家のフレーズで始まったりします。ビートルズ・マニアだったら、このような細かい点を調べ上げてどこかで発表したりするんでしょうけど、ドアーズ・ファンでそこまでやるマニアっているのかな?

 こまかい点はともかく、パッと聴いた時にすごく違和感を覚えたのが『ハートに火をつけて』。あれっテンポが速い!そして当然の結果ながらピッチが高い!結果としてオリジナルの陰鬱な感じがちょっと明るく転じているような感じがします。
 不思議に思って調べてみたら、やはりこっちがもともとの録音通りで、レコードに収められていた音源は、当時のアナログ・レコーダーが最盛時にやや遅く回ってしまったらしいのです。それにしても、テンポが遅い、音が低い、という事実にこれまでずっと誰も気づかずにいたこと自体が不思議と言えば不思議です。

 それで思い出したのが、昔ウィーン少年合唱団の録音に立ち会った時のこと。伴奏なしに皆が歌い始め、さすがに綺麗だとうっとり聴いていたら、バーンと机を叩くディレクターの声。音が下がっているというのです。
 もちろん僕なんかが聴いていても全然分からないほどの少しのピッチなのですが、さすがに専門家の耳は違うものだと感心しました。
 そう言えばクラシックやっていて耳がすごくいいある人はギターの音が気持ち悪くて聴けないと言ってました。特に初期のビートルズの音は酔いそうだなどとけなします。実はギターのようにフレットがあるものは、ヴァイオリンやチェロやコントラバスのようにフレットレスの楽器と違って、もともと構造上正確な音(もちろん非常に高いレベルの精度ですが)を出すことは不可能なのです。

 何だか音感がいいのが幸せなのか不幸なのか分かりませんね。

2度目のフィラデルフィア美術館展

2007-10-14 | アート
 いくら急いでいる人でも、美術館に走って行くなんてことがそうそうあるもんじゃないですよね。それがアメリカのフィラデルフィア美術館では、入口への階段を駆け上る人を数多く見ます。子供もおとなもお年寄り(こちらはちょっとゆったりですが)も、男女さえ関係なくです。そして上り着いたらみんな右手を大きく突き出してポーズ!
 どうしてだか分かります?実はこのフィラデルフィア美術館の階段は、映画『ロッキー』で主役のシルベスター・スタローンがトレーニングで駆け上り、右の拳を突き上げる例のシーンが撮影された場所なのです。
 
 ロッキーはある意味アメリカン・ドリームの象徴ですが、フィラデルフィアと言えばそのアメリカがヨーロッパの植民地から独立した際に、かの有名な独立宣言が採択された土地です。1876年には独立100周年を記念してアメリカ初の万博が開催され、その時に美術展会場として使われたメモリアル・ホールがフィラデルフィア美術館の起源となり、130年を超える歴史が刻まれました。
 その間のアメリカの繁栄は個人の富をも築き、そこから現れたコレクターの寄贈で、現在の所蔵作品が潤っています。それらの富の象徴を今回日本にいる僕達が享受できるというわけです。フィラデルフィア美術館展がこの10日から東京都美術館で始まっています。

 実はこの展覧会、東京に先立って7月から9月にかけて京都市立美術館で開催されました。京都に遊びに行った時に訪ねたので、僕にとってはこれが2度目の鑑賞ですが、場所が変わり展示の仕方が変わると不思議なことに作品の印象はまた変わって見えますね。その大きささえ違って見えるから不思議です。
 さて、展示の作品は広範囲に渡り、写実主義から、印象派&ポスト印象派、キュビズムとエコール・ド・パリ、シュルレアリスム、そしてアメリカ美術と続き、各作品には分かり易い解説が添えられ、さながら質が高く体裁の良い美術の教科書という感さえあります。特筆すべきは彫刻を除く72点全てが油彩ということでしょう(ワイエスの1点だけが厳密にはテンペラでしたが)。

 “見もの”は色々ありますが、日本初公開となるルノワールの『大きな浴女』はこれまでもあまりアメリカ国外に出たことがない作品なので観ておいた方がいいでしょう。ルノワールの典型的な裸婦像のひとつに入るのでしょうが、その中でも傑作と言われるだけあって、ひと際輝いて見えます。
 その横にある8歳の少女を描いた『ルグラン嬢の肖像』の可憐な姿や髪の毛の繊細なタッチも見事ですし、近くの女学生から「カワイイ!」の声が上がっていた『アリーヌ・シャリゴ(ルノワール夫人)の肖像』には彼の愛情溢れた表現の明快さが見てとれます。この絵を生涯手元に置いていたというエピソードを聞くとなおさら感慨ひとしおです。

 またマチス・ファンの僕としては『青いドレスの女』に再び会えたのは嬉しいです。遠くからひと目でマチスと分かる赤・黄・青(プラス白・黒)のシンプルな色使いと大胆な構成。ため息が出るくらい綺麗です。
 先日観たフェルメールもそうですが、当初は色んなものが精密に描かれていたのに、その後余計なものを削ぎ落とすようにしたその過程も興味深いです。

 考えてみたら、当初ヨーロッパではアカデミーなどの権威力のせいで受け入れられなかった印象派が、アメリカで認められ人気が出たんですよね。先入観なく本能的に、好きなものを好きと思えるアメリカの単純さのおかげで、こんな素晴らしい作品群が現在に残されていると思うと、アメリカ人の性分にちょっと感謝したくなります。

初恋 ~ ドミニク・サンダに会えた

2007-10-13 | 映画・演劇
 久しぶりにDVDを買って来ました。1970年の映画『初恋』。ロシアの作家ツルゲーネフの同タイトルの小説を原作にして、台詞はドイツ語で、主演のジョン・モルダー・ブラウンはイギリスの俳優、劇中彼が憧れるドミニク・サンダはフランスの女優、監督はオーストリア出身のマクシミリアン・シェルで、撮影がスウェーデンのスヴェン・ニクヴィスト、という非常に国際的な映画で、イギリス・フランス・スイス・西ドイツ・アメリカ合作というクレジットがあります。

 昔ドミニク・サンダの大ファンでした。あんな綺麗な人はこの世にいないと思ってました。ロベール・ブレッソン、ベルナルド・ベルトルッチ、ルキノ・ヴィスコンティなどの大監督に抜擢され大物女優の雰囲気を漂わせていましたが、その殆どが10代から20代にかけての若い頃に撮られているんですよ。どうしてあんな人生を全て分かってしまっているみたいな、ある意味冷めた目の表情になるんだろうと思っていました。
 そしたら後から知ったのですが、既に16歳にして結婚し、すぐに離婚、20歳の時には未婚の母になり、と私生活では早熟だったんですね。女優としても上に挙げた監督たちの作品で人気も評価も一気に上がったし、カンヌ映画祭の女優賞も取ってますしね。
 最近あまり見ないと思っていたら『クリムゾン・リバー』に老婆の役(!)で出ていると聞いて、結局観るのはやめました。

 実は80年代に彼女が初来日するきっかけになったイベントの企画に関わってました。空港まで迎えに行くと憧れの人が旦那さん(法律上の結婚はしていなかったようですが)と娘さんと、さらには愛猫と一緒に現れました。緊張して何も言えなかったのですが、コーディネイトしてくれた女性が気を使ってくれて、なんと一緒に写真を撮りました。
 そのままホテル・オークラへ直行し、そこに宿泊してもらったのですがペットは厳禁。内緒で入れたものの、翌日には猫の存在がやっぱりばれてしまいました(笑) そこで、まだイベントまでには日があるし、もともと京都に行きたいとのことでしたので、そちらで一軒家に泊まってもらいました。
 
 その時にサインをもらった写真集がまだうちに何冊か残っています。やっぱりこの写真のように綺麗だったなぁ!

今朝の事故から連想したこと

2007-10-12 | 日常
 今朝の東京は異様な光景でした。自動改札の故障で結局改札を全て開放したため、誰もがそのまま通り抜けているのです。
 SuicaやPASMOなどの非接触ICカードのおかげで、JRと私鉄の乗り継ぎの面倒さがなくなり重宝していましたが、一旦こういった問題が起きると、その影響は単に一社に留まらず広範囲に被害をもたらすものなんだなと改めて思いました。

 今朝起き抜けにこのニュースを聞いた時、真っ先に僕の頭に浮かんだのはテロでした。何しろ現代の世の中はホスト・コンピュータに一極集中しているケースが本当に多いので、これがやられてしまうと都市機能が全てストップしてしまうということが本当に起こりうるんじゃないかと思って、一瞬ゾッとしました。

 テロと言えば、最近は飛行機に乗り込む際にもチェックが厳しいですね。中でも液体を持ち込めなくなったのは不便で、ミネラル・ウォーターを取り上げられるのには困ったものです。アメリカのTVニュースを見ていたら、新しい人体チェックの機械が導入されるようなことも放送していました。
 ビザに関する法律も次から次に改“正”され、今や気軽に英語を勉強しに何ヶ月かアメリカやイギリスに行くというのも容易でなくなりました。

 こんな風潮で何よりも悲しいのは、人への(特にアラブ系の人達への)不信感が常に渦巻いていることです。宗教や文化の違う人間が互いに自分たちの論理の正しさを主張し合っても絶対に折り合いがつくわけもなく、ここは互いの価値観を認め合い尊重し合う方向に持っていかなければ解決はしないでしょう。
 でも、宗教や文化さえ超越し、互いが納得する価値観なんてありうるのでしょうか?

 これに対しては、いくらくさいと言われようと回答はひとつしかありません。LOVEです。

マライアが目の前に!

2007-10-11 | 音楽
 洋書売場で女性誌をチェックしていたら(仕事上必要だったからですよ)、久しぶりにマライア・キャリーが表紙に載っていました。彼女のゴージャスな部屋が紹介されていましたが、中ではキティ・コレクションの部屋がちょっと異色でした。そう言えば彼女の腕に抱かれているキティ柄のピンクのエレキ・ギターを最初にサンリオの展示会で見た時は、ちょっと欲しいなと思ったのを覚えています(笑)
 スターとの遭遇話が昨日・一昨日と続いたので、ついでにマライアのことを。

 何年か前に京都に住んでいた頃、マライアがコンサートで何度目かの来日をすることになりました。大抵は東京のみ、あるいは東京からスタートなのですが、その時は大阪城ホールが初日に設定されていました。
 もちろんチケットもちゃんと取っていたのですが、コンサート初日を翌週の月曜日に控えた金曜日、1通のメールがアメリカから届きました。マライアの関連事務所からなのですが、「初日に君のために最前列の席を2枚用意した」と書かれてあります。
 初めは何かの冗談かと思ったのですが、差出人をチェックするとどうも本物らしいのです。半信半疑で当日出かけて名前を告げるとあっさりとチケットを渡され、コンサートが終わったら楽屋に案内しますので、どこどこで待っていて下さい、と告げられました。えっ、会えるの?

 さて、会場に入ってみると本当に最前列、しかも真ん中に近い最高の席でした。そしていよいよ本番。舞台にいきなりではなく後ろから客席の間を通って現れ、僕のすぐ横を通る時に握手してくれ、さらにはなんと目の前で立ち止まって歌い始めたのです。マライアの声がマイクを通さずに生で聴こえるのですよ。信じられないでしょ?
 そして舞台に上がって歌いながら何度も目が合って......と書くと、これは全ての観客がそう感じるんだよとバカにされそうですが(笑)、それが証拠にこちらに向かって履いていたハイヒールを投げてくれたのです。オーッ!
 ところが、このハイヒールが途中で失速。目の前に落ちたのを拾ったのは屈強な黒人のガードマン。そこに僕の後ろの列から殺到した女の子の一団が。もちろんガードマンは僕にはくれずにその女の子たちのひとりに渡してしまいました。

 ライヴが終わって待つこと1時間余り、いよいよマライアに会えることになったその時、気の利いたフレーズを喋れる余裕もなく、ありきたりのファンの挨拶になってしまい、ぎこちなく握手してほんの何十秒かで終わりでした。それでも一緒に写真を取ってくれ、後から送ると言われたのに、何度催促しても写真は送られてきませんでした。本人の写りが良くなかったのかなぁ?

 そろそろまたコンサートを見たいですね。もうあんないい経験はできそうにないですが。