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ロンドンから徒然に

Tolerance

2015-01-16 | 日常
 若い頃から暇ができると海外の様々な場所を訪ねました。旅の何が楽しいかと自問して“異文化に触れる”ことだと思っていましたが、何日何週間の滞在で触れる異文化など所詮上っ面なことにしか過ぎません…そのことを今回のシャルリー・エブドへのテロ事件で一層考えさせられました。

 言論の自由は守られるべきだし、テロはどんな理由であれ糾弾されるべきだと思います。このことは疑いありません。

 ただ “言論の自由”とて当然無制限ではなく、例えばナチズムを賞賛するなどということが許されるはずはないのです。このことは、痛ましい過去の歴史という事実が厳然として存在するので、誰もが納得するでしょう。

 では、今回のように宗教が絡んだ場合の基準はどこに持てばいいのでしょう?
 偶像崇拝を禁じるイスラムの教えから言えば、預言者ムハンマドを(ましてや風刺の形で)描かれるというのは言論の自由の範囲を超えて許しがたい表現かもしれません。(繰り返しますが、かと言って短絡的にテロ行為に及ぶことが許されるわけはありません)

 ところで “異文化”という視点は単純に自分達に馴染みのない(それゆえ理解し難い)民族のものに向きがちですが、ふと考えてみると、日本人にとって慣れたつもりのヨーロッパ文化でさえ異国の文化には違いないわけです。

 そのヨーロッパでは、そもそもこれだけ様々な国に様々な民族が住み、国境をまたいでの交流がなされる中で、割と我の強い主張をも含めて多様な表現の自由を許すことこそがバランスを取る方法だったと思うのです。それゆえ絶対に守られなければならない価値観に違いありません。
 そういった意味でのヨーロッパの土壌に根付いた“表現の自由”の重みを、おしなべて自分を抑えることで社会秩序を守ろうとする傾向のある僕達日本人は同じ感覚で共有しているんでしょうか?

 ともあれ、異文化の衝突に対する完全な解決策は簡単に見いだせるはずもなく、事件以降あちこちのニュースで目に付くのはTolerance(寛容)の文字です…異なる価値観を理解し認め合うこと。
 もちろん口で言うほど簡単なことではなく、むしろ目に付くのはIntolerance(不寛容)。イスラム教徒の女性への嫌がらせやモスクへの攻撃。その中には発砲や放火までもが含まれます。一部のテロリストと一般のイスラム教徒には何の関連もないにもかかわらず。
 テロへの憎悪がテロまがいの行為を呼び起こすというのは悲しい現実です。

 それにしても驚くべき数字は、連続テロに抗議するフランス国内の370万人の大行進、また500万部まで増刷予定というシャルリー・エブドの最新号の発行数。これだけ多くの人達が表現の自由を守るために立ち上がったのは凄いことです。

 ただ、もしこれが一時の扇情的なムードに煽られての行動だったとすると、今後ふとしたことでどんな方向に向いてもおかしくないと、どうにも僕はここにもある種の危うさを感じてしまいます。

 とにかく世界が平和であってほしい。単純にそんなことしか今は言えないけれど。

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