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ロンドンから徒然に

じっくりとね(2)

2016-02-26 | 日常
先日書いたことを補足することになりますが;

まず映画の件。決して感動することを否定しているわけじゃないんです。その結果の涙なんて当然ですし。ただ、泣くことの浄化作用(と呼んでいいのかな?)ってとても大きいので、それで全て良しとしてしまうことってないですか?

例えば震災や事故の後なんてすごい金額の寄付金が集まったり、ボランティアでの活動が盛んになったりします。我も我もと参加して(意地悪な言い方ですが)「自分は良い人」みたいなムードに酔ってしまう。
でも、その後もずっと続けている人って一体何人くらいいるんでしょう?

こんな連想はこじつけなのかもしれないけれど、何だか簡単に泣くということは、そういう風に簡単に忘れるということにも通じるような気がしてならないんです。

一方映画に限らずどんな作品でも、これを作り手、発信者側から言うと、おそらく上っ面で簡単に泣かせる作品を創るのはやさしいことでしょう。そんな壺くらいプロならば当然心得ているはず。
でも、それはおそらく受け手の想像力を信用していない、ある意味バカにした姿勢なので、真に優れた作り手はその上を目指しているはずです。

そしてその意味でも、本というものは本質的に読者の能動、想像力を必要とする媒体なので、そもそもTVやネットみたいには受動的(もちろん全てがとは言いませんが)でいられないんじゃないかと思うんです。

「映画を観てすぐに泣く人を信用しない」、「本を読まない人を信用しない」という言葉の意味は、おそらくその場のムードに流される、自分で能動的に考えない、想像力を働かせない、そんな人を信用しないということなのではないかと思います。

威勢の良い言葉とか、ナショナリズムを持ち出して、人を煽るのは易しいことです。近頃の政治家の(論理的には既に破綻しているとしか思えない)一つ覚えの発言が、とてもたくさんの支持を受けているらしいことが、時々空恐ろしくなります。

国民投票は何もイギリスだけのことではなく、日本でも憲法をめぐって本当に起こりうることかもしれません。その時が来て慌てて判断することのないように(ましてや扇情的な言葉に簡単にひっかからないように)じっくりと考えたいものです。



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