HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

一直線の目標がなくなる時

2012-04-25 | 日常
 今日もやっぱり雨。これで何日続いていることになるのかな?先月は干ばつによる野菜の値上がりが心配されるなんてニュースが流れていたのに。
 ただ、ずっと降りっぱなしというわけでなく、時々は晴れるんですよ。これで逆に困るのが、うっかり傘を置き忘れてしまうこと。一度こちらですごく値段の高い(でもとても軽くて使いやすかった)傘を買って、一ヶ月も経たずになくしてしまって以来、我が家に高級な傘は1本もありません。

 先日たまたま通りかかったのが、地下鉄での遺失物を売っている店。時効で所有権が無くなってしまったものを取り扱っているんでしょう。
 店頭に昔からの実際の遺失物が展示されていました。これらは全て非売品で、一種の博物館みたいになっていましたが、その中にあったのが電話。どうしてこんなものを持ち歩いていたのか分かりませんが。



 その意味では携帯があるのは納得しますが、それにしても80年代のものだと大きいですねぇ。そう言えば映画『ウォール・ストリートWall Street : Money Never Sleeps』の冒頭で、主人公のゴードン・ゲッコーが8年の懲役の後出所する時、所持品にあった“携帯電話”がやけに大きかったのを思い出しました。

 そうだ、携帯だけでなく80年代はパソコンも大きかったんですよ。昔友人がMacintosh Portableというのを所有していましたが、これなんてまぁ確かにportableの文字通り“運べる”には違いないんですが、せいぜい部屋と部屋の間を運ぶのが精一杯でしょう。運べるデスクトップって感じでしたから。

 でもこのMacが1989年製だったことを考えると、既に1985年には日本製で“世界最初のラップトップ”と呼ばれるもの(東芝T1100)が存在していたんですから、日本の技術は凄かったわけです。
 それが今や、携帯(いやスマートフォン)でもパソコンでも日本はどこか遅れを取っている感があるのはどうしてでしょうね。

 僕が勝手に思うのは、“小さくする”とか“画質を良くする”とかいった一直線(?)の技術目標が見えている場合は、日本の技術は素晴らしいと思うんですが、いざその技術は自分の生活をどう豊かにしてくれるのか、といった肝心の部分になるとどうも説得力を欠くように思えるんです。

 これを大局的に見ると、経済力を伸ばすという一直線の目標の時は良かったけれど、いざ行き着くところまで行き着いて(おまけに不景気が続いて)さてこの時代に何が幸せかといったことを考える、なんてことがやっぱり苦手なように思えます。
 これってもしかして原発の問題を考える時にも何かの指標になりそうな気もするんですけどね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。