国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

その後(帰国まで)

2015-12-12 | 結婚@NYまで

式の後は移動してセントラルパークを散歩しました。昼食は皆を招いてレストランで盛大に、とLindaから聞いていたのですが、周囲の計らいで私たち二人だけで過ごすことに(私にとって実質NY最後の日ですから)、そして食事は彼らだけで、ということになりました。

アパートに戻って食事の支度。ここで思い出したことがあったのでLindaに言いました。「日本では結婚披露宴の時のケーキカットを『夫婦初の共同作業』と呼ぶんだけど僕たちのは全然違うね」と。それが何だったのかがどうしても思い出せないのですが、たぶん調理に関係した何かだったと思います。忘れてしまうくらいだから大したことではなかったのでしょう。(追記:思い出しました。私たちの部屋のドアがしっかり閉まらなかったので、金具をLindaが買ってきた新しいものと取り替えることに。彼女に押さえてもらって私がドライバーで締め付けました。判ってみればやはり他愛のないものでしたが、ちょっと珍しい「夫婦初の共同作業」ではないかと思います。)

昼食後にパッキングや今後の打ち合わせなどしていたら時間はどんどん経過し、外出の時間になりました。その晩はメトロポリタン歌劇場でヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」を観ることになっていたのです。

(同じ日にNFLのフィラデルフィア・イーグルスとニューヨーク・ジャイアンツのゲームがあることは知っていました。かなり後方の席ながらチケットが少し残っているのも。けれど見送りました。何せメットライフスタジアムはニューアーク国際空港よりも遠いですから帰ってくるのが大変です。その試合は最後の最後でジャイアンツが逆転勝ちするという大熱戦になりましたが、まあ仕方ありません。いつか観戦できる日も訪れるでしょう。Lindaが日本のパスポートを取って米国に入れるようになったら・・・・・と思ったのですが、最近はロンドンでも毎年数試合が行われているので、そっちという手もありますね。ついでながら、滞在中にはヤンキースの田中将大投手の先発予定試合もあったのですが、右太もも裏の張りによる登板回避でこちらも見送りとなりました。)

再びマンハッタンに着いたのが午後6時過ぎ。開演は7時なのでLindaが何度か行ったことがあるという日本料理店に入りました。(名前は失念してしまいました。ニューヨークはただでさえ物価が高かったのですが、この店も決して安くはなく、東京で食べる場合の5割増から2倍ぐらいの値段が付いていました。カツ丼が15ドルだったかな。)注文を任されたのでBeef Sukiyaki(サラダ&ライス付き)とMiso Soupにしました。「これからは私も慣れないといけないわね」と言ってLindaは箸で食べていましたが、箸使いは決して悪くなかったです。食後いよいよ劇場へ。


私たちが座ったのは2階席で舞台からは結構離れていたのですが、流石に超一流の歌手の声だけあってよく届きます。NHK-BSのドキュメンタリー番組で観たアンナ・ネトレプコ(ロシア生まれ、NY在住)が出演するのを知ってチケットを取ってくれるよう頼んだのですが、彼女の歌はやはり圧巻でした。あと同じくロシア生まれのディミトリー・ホロストフスキーはよく知らなかったのですが、姿を見せた途端に大拍手がわき起こり、指揮者が演奏を止めてやり直しをさせられたほどの大人気。そして同じくド迫力の歌唱を聞かせていました。この二人以外の歌手も実力派揃い。オケも超一流。前の座席に字幕用のモニターが備えられており、私は(日本語はなかったので)英語、Lindaはスペイン語に設定。ということで堪能できる条件は揃っていたのですが・・・・・

私たちはあまりにも疲れていました。この3日間歩き回っていただけでなく、本当にいろんなことがあったので。それで私は前半(第1&第2幕)の、Lindaは後半(第3&第4幕)の終わりにウトウトしてしまいました。今思うと勿体ないことですが無理もないですね。

終演後に小さな食料品店で翌日の朝食を買い、地下鉄と徒歩でアパートに着いた時には日付が変わっていました。そうなるとあとはもう眠りに就くだけ。冷蔵庫に入れておいた日本酒を出してきてワイングラスで乾杯。その後横になったら瞬きする間もなく熟睡していました。

そして目が覚めたら夕方の5時・・・・・ならばドタバタコメディ級の笑い話ですが、さすがにそういうことはなく午前5時に起床。そして8時にRicardoの車でJFK国際空港へ。Lindaは出発口まで見送りに来てくれましたが、その後も私が乗っている飛行機の離陸を見届けるため残っていたそうです。これで2度目の「しばしの別れ」となりました。


追記

本文執筆時には詳細を忘れていたレストランですが、帰国後紛失したと思っていたメニューが出てきたので店名場所も判明しました。(「テンプラハウス」というのは昔の名前でしょうか?)Katsudonの値段は珍しくも記憶通りでしたね。(画像はデリバリー用のコピー版ですが、店内で渡されたのも同じ値段だったと記憶しています。)

店の中はこんな感じです。私たちが座ったのは窓際の席ですが、丸テーブルではありませんでした。内部の写真は2010年7月撮影ということですので、その後配置が変わったということかもしれません。こちらでも旧店名で紹介されていますが、レビューについてはノーコメントとします。ちなみに各種グルメサイトに掲載されている値段と比較して私が持ち帰ったメニューのそれはかなり値上がりしています。ラーメン1杯1500円以上とかちょっと許せませんよねぇ。もちろんLindaがこっちに来たら安くて美味しい日本食をいっぱい食べてもらうつもりです。
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2 Comments

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日本食? (Koji KATO)
2015-12-12 12:31:30
日本のラーメンはすっかり日本食として定着しているんですね。
最近まで知らなかったのですが、中国では音を立てて麺類を食べることはないとか。
南米の方は、やはり日本人の食べ方には抵抗を感じるのでしょうかね。
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わかりません (Yasuhiro)
2015-12-12 18:16:03
Lindaに限らず南米人と一緒に麵を食べたことはありませんから。(パスタでもラザニアは少し違いますし。)今度観察してみます。ちなみに味噌汁は音を立てずに飲んでいました。
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