昨日、プロ野球セリーグのCS(クライマックスシリージ)にて、中日ドラゴンズが2-1でヤクルトを破り、通算4勝2敗となり10回目のセリーグ制覇を達成した。6回裏の井端、荒木のベテランコンビが勝利を手繰り寄せた。またピッチャー吉見が9回までヤクルト打線を3安打に抑えたことも大きな勝因だ。中日ドラゴンズの選手初め監督、コーチその他、球団関係者の皆様、優勝おめでとうございます。
落合監督の選手育成が見事に開花した結果であると存じます。中日ドラゴンズ生え抜きの星野監督に勝るとも劣らぬ、卓越した指導力が、こうして見事な結果として如何なく発揮されました。引き続き、高木新監督の下、常勝中日ドラゴンズであり続けて欲しいと思います。
このところ、メジャーリーグに転出する野球選手が多い中、中日にあっても、川上投手、福留選手などが抜けた穴を、よくカバーし、次の世代の選手を我慢強く育成されたと、感心いたしております。
落合監督という優れた人材を得て、この8年間、いい夢を見させていただいた思いです。監督には勝利の女神が付いているのでしょう。
秋田工業高校時代、野球部のレベルの低さに嫌気が差し、2度の自主退部。監督、部員に説得されての復活。
一度も甲子園出場はかなわなかったが、才能に恵まれて、東洋大学野球部に推薦入学。
しかし、大学運動部気質が肌に合わなくて、半年での退部、そして退学。
故郷秋田でくすぶっているとき、東芝府中の野球部員募集をすぐ上の兄に教えられ、テストを受けての合格。そして実業団の都市対抗でいきなり、全国優勝に貢献。遅咲きの落合監督ではあったが、ロッテから指名を受け、プロ野球入団。
せパ両リーグで3冠王を3度達成。プロ野球の新人時代、バッティングフォームを金田正一氏(元国鉄スワローズの400勝投手)から欠点をくそみそにいわれても、頑としてフォームを変えなかった、俺流の始まり。しかし、しっかり味方もおり、打撃の神様、張本勲氏から、バッティングフォームは理にかなっており、変更不要のお墨付きをもらう。
若い頃「おまえ、プロ野球で一流の選手になりたいなら、私の言うこと聞け。」と遠征先まで、鍋釜持参でカロリー計算をして料理をつくり続けた、信子婦人にいちもにもなく従う素直さをもった落合監督。(当時24,5歳?)
マスコミに悪妻とどれだけたたかれても意に介せず、落合監督を支え続けた婦人の努力に、私は素直に頭が下がります。
落合監督、信子夫人、まだまだ監督のチャレンジは続きます。中日以外の球団に行かれても、そこでまた新たな選手の育成に携われることを、こころよりお祈りいたします。
有難う、落合監督。そしてさようなら。
日本シリーズでも勝利し、完全制覇をお願いいたします。