東芝が国内メーカーとして、白熱電球の製造中止。120年の歴史に幕。今年度大卒理系の人気No.1である家電メーカー老舗の東芝。生産をLED電球に切り替える。
生前の父親の若かりし頃の勤務先企業が東芝でした。当時まだ普及前の蛍光管の製造ラインにおいて、抜き取り検査を担当する検査技師としての仕事が父親の初仕事だった。
私が中高生の頃、数学、物理の疑問点があるとき、傍らの父に質問すると、すぐその場でおしえてくれた。微積まで大抵の質問に対して、いつも簡潔に教えてくれた。後年、数学を生業とすることになる原点は、矢張り父親の存在が大きい。
また、私を慶應義塾大学理工に進学させたのも、父親の慶應びいきが根底にあった。東芝の川崎工場でお世話になった上司が慶應義塾大学の理財(現経済学部)ご出身だったことが父親の慶應びいきの大元だった。
今年度に限らず、家電の王者東芝の人気は高い。
生前の父親の若かりし頃の勤務先企業が東芝でした。当時まだ普及前の蛍光管の製造ラインにおいて、抜き取り検査を担当する検査技師としての仕事が父親の初仕事だった。
私が中高生の頃、数学、物理の疑問点があるとき、傍らの父に質問すると、すぐその場でおしえてくれた。微積まで大抵の質問に対して、いつも簡潔に教えてくれた。後年、数学を生業とすることになる原点は、矢張り父親の存在が大きい。
また、私を慶應義塾大学理工に進学させたのも、父親の慶應びいきが根底にあった。東芝の川崎工場でお世話になった上司が慶應義塾大学の理財(現経済学部)ご出身だったことが父親の慶應びいきの大元だった。
今年度に限らず、家電の王者東芝の人気は高い。