新聞によりますと、平成27年度の年金運用損は5兆円を超える見込みという。株式運用比率を50%に引き上げたことがうらめに出た形だ。一体誰が責任を取るのだろうか?
「演習形式の授業をどうこなすか。」懸案事項だったこの問題に対する一応の解答を今年度(2016年)中に提出したいと思う。是非、「思考の独り立ち」を手助けする道筋を発見したいと思います。
昨日のNHKクローズアップ現代で、扱われた「羽衣チョーク」後継者不足で今は廃業となっている。チョークとぴって、何の変哲も無い筆記用具。1本30円。日本製のこの羽衣チョークがアメリカ合衆国スタンフォード大学数学科の先生方に甚く好かれている。なめらかな書き心地に人気があるという。私の愛用のチョークはオリオンチョークだった。軽いタッチでかいても、クリアな文字が楽に描けた。
現在ではICT技術の進展で、電子黒板その他のニューカマーな道具達が教室、視聴覚室にあふれている。自分自身でもこの2,3年ICT技術の教育部門への応用に関して研究を進めてきた。しかし、チョーク一本での授業パフォーマンスにふと逆戻りしたくなるときが時たまあるのも事実である。黒板とチョークを超えた授業は本当に可能だろうかとふと思う、今日この頃である。
現在ではICT技術の進展で、電子黒板その他のニューカマーな道具達が教室、視聴覚室にあふれている。自分自身でもこの2,3年ICT技術の教育部門への応用に関して研究を進めてきた。しかし、チョーク一本での授業パフォーマンスにふと逆戻りしたくなるときが時たまあるのも事実である。黒板とチョークを超えた授業は本当に可能だろうかとふと思う、今日この頃である。
今朝のNHKニュースで道傳愛子解説委員(元アナウンサー)がゲイツ氏と単独インタビューを行い、財団についての概要を知らせていた。財団の基金は約5兆円という。今年度はエボラ出血熱の対策などに4700億円を提供したという。もちろん、基金の額その他どれをとっても個人レベルだけではなく、国家レベルでも破格の協力金額である。ゲイツ氏はいう。「社会貢献の仕方もビジネスの流儀も実は同じで、最大の効果を発揮するように、人も金も物も投入することが大切である。」企業経営で成功した彼ならでの言葉だ。
算数、数学の指導に窮すると必ず手にした、「数学教室」
数学教育協議会の機関誌であった同誌の休刊は残念でならない。
新米の教員時代から、正確に言えば、教職課程の科目履修をしているころから熟読していた「数学教室」は数教協の知恵と努力の集積されたものとして、心強い味方だった。来年4月から復刊される目処がたった、という話も一部聞こえてきました。関係各位の方々のご尽力に、今は頼るしか有りません。どうかよろしくお願いいたします。
数学教育協議会の機関誌であった同誌の休刊は残念でならない。
新米の教員時代から、正確に言えば、教職課程の科目履修をしているころから熟読していた「数学教室」は数教協の知恵と努力の集積されたものとして、心強い味方だった。来年4月から復刊される目処がたった、という話も一部聞こえてきました。関係各位の方々のご尽力に、今は頼るしか有りません。どうかよろしくお願いいたします。
幼稚園の卒業写真に添えられた、父兄の言葉である。もう半世紀以上前のこと。時代は下っても、親の思いは、変わらぬだろう。
右左、上下。普段何気なく使っている位置関係の言葉は、概念をつかんでしまえば決して難しくはない。しかし、いざ関数のグラフを書いたりする段になって、馬脚を現すことがある。このとき、指導者側が概念の欠落に気づくかどうかが、当該生徒の今後の指導に多大の影響を及ぼすこととなる。(x,y)の一見単純な座標の仕組みも、位置関係の概念の把握が背景に潜んでいる。3次元においても事情は同様である。「生徒が出来ない」→「障害はどこにあるのか」の発想を持つことの大切さを忘れてはならない。
右左、上下。普段何気なく使っている位置関係の言葉は、概念をつかんでしまえば決して難しくはない。しかし、いざ関数のグラフを書いたりする段になって、馬脚を現すことがある。このとき、指導者側が概念の欠落に気づくかどうかが、当該生徒の今後の指導に多大の影響を及ぼすこととなる。(x,y)の一見単純な座標の仕組みも、位置関係の概念の把握が背景に潜んでいる。3次元においても事情は同様である。「生徒が出来ない」→「障害はどこにあるのか」の発想を持つことの大切さを忘れてはならない。
教育に使われる道具は、最近のICT技術の急速な変化により、変貌を遂げつつある。これは世界的潮流です。
具体的には、「パソコンの利用→スマホの利用→タブレットの利用へ」のシフトが教育現場で起きています。
一方、街中で、タブレットを持ち歩く人も増えつつあります。
パソコンの利用は、既に30年以上の歴史があります。IBM-PCの誕生は1980年。パソコンの教育的利用は、当初から考えられていました。
一方、スマホをチェッカーとして使う講義が大学で始まって、すでに久しい。ここで、チェッカーとは、解答の選択肢をスマホから入力すれば、リアルタイムな解答結果の解析が可能であり、インタラクティブな授業展開が可能であるという。集計を手作業でやらなくて良いことが、授業者の負担をかなり軽減することは、容易に理解できる。
また、最近、放送大学で始まった、オンライン授業では、質問等が可能で、授業にライブで反映されています。(SNSを利用し、ツウィッター感覚で質問可能という。)
これなどは、今までの通信教育の常識を覆す授業が開始されたことを意味します。「新しい時代には、新しい教育方法がふさわしい。」しかし、授業者の立場では、「黒板とチョーク」による伝統的な授業形態のもつ限界と可能性をより鮮明に意識させられるケースが多いように思います。生徒の反応に応じて、説明方法を変えたり、説明を即座に多段階に展開し直すなどの、ライブでありインタラクティブな教育が可能なのが、伝統的な「黒板とチョーク」による授業ではないかと考えるこの頃です。ICTを利用した授業も、定型的な内容を扱うことは、現在のプレゼンシステムでも十分可能ですが、今後は、生徒の反応に、リアルタイムに対応できるかが、より問われる段階に入って来たように、思います。
昨年度までの、自身の実践結果からすると、インタラクティブな部分は、書画カメラで手書きを行い、プロジェクターで表示することで対応することが、良かったように思います。
欲を言えば、説明画面にライブでキーボードより文字入力、もしくは電子ペンによる手書き入力ができればよいと思います。(開発の方のより一段のご努力をお願いいたします。)
具体的には、「パソコンの利用→スマホの利用→タブレットの利用へ」のシフトが教育現場で起きています。
一方、街中で、タブレットを持ち歩く人も増えつつあります。
パソコンの利用は、既に30年以上の歴史があります。IBM-PCの誕生は1980年。パソコンの教育的利用は、当初から考えられていました。
一方、スマホをチェッカーとして使う講義が大学で始まって、すでに久しい。ここで、チェッカーとは、解答の選択肢をスマホから入力すれば、リアルタイムな解答結果の解析が可能であり、インタラクティブな授業展開が可能であるという。集計を手作業でやらなくて良いことが、授業者の負担をかなり軽減することは、容易に理解できる。
また、最近、放送大学で始まった、オンライン授業では、質問等が可能で、授業にライブで反映されています。(SNSを利用し、ツウィッター感覚で質問可能という。)
これなどは、今までの通信教育の常識を覆す授業が開始されたことを意味します。「新しい時代には、新しい教育方法がふさわしい。」しかし、授業者の立場では、「黒板とチョーク」による伝統的な授業形態のもつ限界と可能性をより鮮明に意識させられるケースが多いように思います。生徒の反応に応じて、説明方法を変えたり、説明を即座に多段階に展開し直すなどの、ライブでありインタラクティブな教育が可能なのが、伝統的な「黒板とチョーク」による授業ではないかと考えるこの頃です。ICTを利用した授業も、定型的な内容を扱うことは、現在のプレゼンシステムでも十分可能ですが、今後は、生徒の反応に、リアルタイムに対応できるかが、より問われる段階に入って来たように、思います。
昨年度までの、自身の実践結果からすると、インタラクティブな部分は、書画カメラで手書きを行い、プロジェクターで表示することで対応することが、良かったように思います。
欲を言えば、説明画面にライブでキーボードより文字入力、もしくは電子ペンによる手書き入力ができればよいと思います。(開発の方のより一段のご努力をお願いいたします。)
テニスの、錦織選手。惜しくも準決勝進出はならなかった。序盤の戦いぶりに緊張感がにじんでいます。焦りからか、いつもの調子が出ていません。精神的なもう一段の成長が必要かも知れません。
かつて、ノーベル経済学賞を受賞した、ジョン・ナッシュ氏が交通事故で亡くなられたニュースが流れた。映画「ビューティフル・マインド」のモデルといえばご存じの方も多いだろう。その昔、ゲームの均衡理論を調べているとき、「ナッシュ均衡」の説明があった。元著書を調べてみた。コンパクトな証明であるが、その中で不動点定理が使用してあった。ブラウアーではなくて、角谷静夫の「不動点定理」であったと記憶する。ナッシュ均衡の基礎部門を支える定理が日本人によるものであったことを知り、誇りに思ったのは私だけではないだろう。今回の事故で奥様も亡くなったとのこと。ナッシュご夫妻のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
現在のパソコン、スマートフォン、タブレットその他、あらゆる民生機器、軍事機器問わず、マイクロプロセッサーの無い生活は、もはや考えられない。そう言った意味では、今年の青色発光LEDに増さずとも劣らないもの、それが、マイクロプロセッサーだ。ぜひ、来年度のノーベル賞は、嶋さん初め、開発にかかわった方々に贈られることを、切に願います。