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SMAPの草なぎ剛が彼の映画をご覧になった皇后さまにほめられ、「生まれてきて一番うれしかった」と興奮して言ったという。
そういえば、昨年10月にも俳優の中村雅俊が皇后さまとの初対面で、「僕のこともよく調べてくれていてうれしかった」と感激していたっけ。
やっぱ美智子皇后は”どなたか”と違って、会う人全てを魅了する何かをお持ちなのだろう。
さて、その”どなたか”だが、なんと、又々週刊誌のネタにされている。それも同じ頃に同じ内容で4誌がそろって・・。
まずはタイトルをみていただこう。
【週刊新潮(1月20日発売)】:『2年で5人が去った「東宮」に何が起きているのか!』
【週刊文春(1月20日発売)】:『雅子さま「側近たち」はなぜ次々去るのか-「東宮女官長」辞任の衝撃!』
【女性自身(1月18日発売)】:『雅子さま〝復活〟へ 前例なき抜擢! 新女官は「東大卒61歳翻訳家」 』
【女性セブン(1月20日発売)】:『「皇太子妃雅子さまの盾に!」新リーダー<命の献身>』
早い話、女性誌は雅子さまを擁護する立場から、新潮、文春はたて続けにやめる職員に東宮の異常さを疑問視しているのである。
マッシーパパがひときわ興味を引いたのはメッタにみられない文春、新潮の示し合わせたような同じ記事。
それも引き合いに出した人数も偶然5人(但し、共通するのは4人)と同じだが、はたして、この人たちはどうして辞めなくてはならなかったのか。その真相が気になるところである。
①まず、直近に辞任した東宮女官長の木幡清子女史(67才、2011年1月17日付け退職)。
新潮は辞任の理由を「雅子様さまとのあつれき」とし、なかんずく愛子さまの「不登校問題」で学習院擁護発言が雅子さまの勘気に触れた(?)とする。
一方、文春は「東宮が愛子さま一色」となり女官長が閑職化。その上、雅子様お気に入りの別の人の跋扈で存在感が薄れ、やる気をなくした(?)と推測する。
②次に小山久子さん(2010年12月27日健康上の理由で辞任)。2008年3月31日付けで学習院幼稚園園長職を選択制定年退職(学習院は65歳定年だが、小山氏は61歳でこの制度を利用)し、同年4月1日付で敬宮愛子さま養育専門の東宮女官として採用された女性。
但し、教育に関しては筋を通す性格が災い、愛子さまの不登校問題を契機に雅子さまと亀裂を深めたためにいづらくなったともいわれる。
③次に末綱隆(東宮侍従長の職を2009年3月31日辞職。理由は雅子さまとの相性が会わなかったともいわれる)
皇太子の英国留学時代、在英日本大使館の一等書記官として、“お守り役”を務め、天皇皇后両陛下はもとより皇太子殿下の信頼も厚かったのに無念のリタイヤ、真相は今なお語られることなく闇の中。
④福迫美樹子さん(09年4月16日辞職)。
雅子妃の田園調布雙葉の三期上、ご病気の妃殿下に代わり幼い愛子さまの養育を立派に果たしたが、小山さんの登場で居場所を失ったとも。
また、一説には愛子さまをあやすため新年写真撮影に同行したことに、天皇陛下がご不快の念を示されたという“事件”の責任を取ったともいわれる。
⑤5人目はなぜか、「文春」が楠田恵美(07年9月10日)で兼職が(雅子さまに)ばれて身を引いたとし、「新潮」が東宮事務主管補佐(名前不肖)、その理由は雅子さま周辺から 滞在中に生じる経費についての要望があり、この補佐が首を縦に振らなかったので、レッドパージにあった(?)。などなど。
ま~、何しろ、菊のカーテンの隠蔽の威力はすでに紹介済みのエントリー(http://massypapa.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post.html)をみてもらうとして、今回は正直、どこまでが真実、どこからが虚構なのかマッシーパパも定かでない。
だからといって、「新潮」のいうように確かに、2年に5人はちと異常。
下世話の世界ではこういうのを、定着率の悪い問題職場と呼ぶ。
本来なら、職場の何かに問題があるので、徹底的に分析が入るものだが、そこが何しろ、タブーの東宮。
ま~、尤も、調査せずとも経験則で、定着率が悪い原因は一にも二にも上司に問題があると決まったもの。
勿論、この場合の上司とは野村のおじちゃま、乃至はその後ろで糸を引くアノお方?
ともあれ、優秀な人が居つかぬ東宮というのも困ったもの。おまけにいずれは天皇、皇后両陛下になられるかたがた。
はたして、草なぎさんや中村さんのように、会う人に初対面で感動を与えるような皇后さまになれるのでしょうか?・・。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご批判ご賛同、なんでもいいですからコメントもいただければ幸いです。♪
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SMAPの草なぎ剛が彼の映画をご覧になった皇后さまにほめられ、「生まれてきて一番うれしかった」と興奮して言ったという。
そういえば、昨年10月にも俳優の中村雅俊が皇后さまとの初対面で、「僕のこともよく調べてくれていてうれしかった」と感激していたっけ。
やっぱ美智子皇后は”どなたか”と違って、会う人全てを魅了する何かをお持ちなのだろう。
さて、その”どなたか”だが、なんと、又々週刊誌のネタにされている。それも同じ頃に同じ内容で4誌がそろって・・。
まずはタイトルをみていただこう。
【週刊新潮(1月20日発売)】:『2年で5人が去った「東宮」に何が起きているのか!』
【週刊文春(1月20日発売)】:『雅子さま「側近たち」はなぜ次々去るのか-「東宮女官長」辞任の衝撃!』
【女性自身(1月18日発売)】:『雅子さま〝復活〟へ 前例なき抜擢! 新女官は「東大卒61歳翻訳家」 』
【女性セブン(1月20日発売)】:『「皇太子妃雅子さまの盾に!」新リーダー<命の献身>』
早い話、女性誌は雅子さまを擁護する立場から、新潮、文春はたて続けにやめる職員に東宮の異常さを疑問視しているのである。
マッシーパパがひときわ興味を引いたのはメッタにみられない文春、新潮の示し合わせたような同じ記事。
それも引き合いに出した人数も偶然5人(但し、共通するのは4人)と同じだが、はたして、この人たちはどうして辞めなくてはならなかったのか。その真相が気になるところである。
①まず、直近に辞任した東宮女官長の木幡清子女史(67才、2011年1月17日付け退職)。
新潮は辞任の理由を「雅子様さまとのあつれき」とし、なかんずく愛子さまの「不登校問題」で学習院擁護発言が雅子さまの勘気に触れた(?)とする。
一方、文春は「東宮が愛子さま一色」となり女官長が閑職化。その上、雅子様お気に入りの別の人の跋扈で存在感が薄れ、やる気をなくした(?)と推測する。
②次に小山久子さん(2010年12月27日健康上の理由で辞任)。2008年3月31日付けで学習院幼稚園園長職を選択制定年退職(学習院は65歳定年だが、小山氏は61歳でこの制度を利用)し、同年4月1日付で敬宮愛子さま養育専門の東宮女官として採用された女性。
但し、教育に関しては筋を通す性格が災い、愛子さまの不登校問題を契機に雅子さまと亀裂を深めたためにいづらくなったともいわれる。
③次に末綱隆(東宮侍従長の職を2009年3月31日辞職。理由は雅子さまとの相性が会わなかったともいわれる)
皇太子の英国留学時代、在英日本大使館の一等書記官として、“お守り役”を務め、天皇皇后両陛下はもとより皇太子殿下の信頼も厚かったのに無念のリタイヤ、真相は今なお語られることなく闇の中。
④福迫美樹子さん(09年4月16日辞職)。
雅子妃の田園調布雙葉の三期上、ご病気の妃殿下に代わり幼い愛子さまの養育を立派に果たしたが、小山さんの登場で居場所を失ったとも。
また、一説には愛子さまをあやすため新年写真撮影に同行したことに、天皇陛下がご不快の念を示されたという“事件”の責任を取ったともいわれる。
⑤5人目はなぜか、「文春」が楠田恵美(07年9月10日)で兼職が(雅子さまに)ばれて身を引いたとし、「新潮」が東宮事務主管補佐(名前不肖)、その理由は雅子さま周辺から 滞在中に生じる経費についての要望があり、この補佐が首を縦に振らなかったので、レッドパージにあった(?)。などなど。
ま~、何しろ、菊のカーテンの隠蔽の威力はすでに紹介済みのエントリー(http://massypapa.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post.html)をみてもらうとして、今回は正直、どこまでが真実、どこからが虚構なのかマッシーパパも定かでない。
だからといって、「新潮」のいうように確かに、2年に5人はちと異常。
下世話の世界ではこういうのを、定着率の悪い問題職場と呼ぶ。
本来なら、職場の何かに問題があるので、徹底的に分析が入るものだが、そこが何しろ、タブーの東宮。
ま~、尤も、調査せずとも経験則で、定着率が悪い原因は一にも二にも上司に問題があると決まったもの。
勿論、この場合の上司とは野村のおじちゃま、乃至はその後ろで糸を引くアノお方?
ともあれ、優秀な人が居つかぬ東宮というのも困ったもの。おまけにいずれは天皇、皇后両陛下になられるかたがた。
はたして、草なぎさんや中村さんのように、会う人に初対面で感動を与えるような皇后さまになれるのでしょうか?・・。
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長い皇室の歴史、いろいろな天皇様がおられたわけで、必ずしもすべての資質に満たされた方ばかりではなかったであろうと推察します。まして皇后は長らく冊立しなかった時期もあり、必須ではないと思います。
昔と違い、外交や国民行事のお飾りとして、皇族が人目にさらされる公務が多すぎる。個人の資質(とくに人心掌握できる美質?)などを、下々が批判するような状況になっていますけど、これは皇室にとって過酷すぎる気がします。どのような天皇・皇后であっても盤石に存在できるシステムがないと、22世紀まで皇室はもたないでしょう。
それから、現体制下で男子のみの相続は妃殿下がたに負担が大きすぎです。だからといって女系天皇は「最期」の選択肢でしょう(女性天皇はいいけど)。GHQによって廃された宮家を皇族として復活させ、また宮家が男系男子(今は庶民であられても)を養子に迎えられるようにするのが先にすべきことと思います。
それが国民の怨嗟の対象になるようでは誰も尊敬しなくなる。
このことを一番恐れているのが天皇皇后両陛下ではないだろうか。
なぜ、この親心がわからないのでしょうか。